枚岡神社は四條畷の戦いの舞台

ume201103.jpgだいぶ暖かくなってきたので枚岡神社境内に広がる枚岡梅林へ。

枚岡は「ひらおか」と呼び、枚岡神社は近鉄奈良線・枚岡駅からすぐです。満開にはまだ少し早く、5分咲きでした。

梅林を歩いていると井戸があり、楠木正行ゆかりの井戸と説明書きがありました。説明によると梅林のあたりは四條畷の戦いの舞台になったところと書かれていました。

楠木正行は楠木正成の長男で、湊川の決戦に向かう正成と桜井の駅(島本町)で別れるシーンは昔から講談などで有名です。楠木正成がなくなった後、
南朝方を統率したのが楠木正行。足利方の高師直・師泰兄弟と戦ったのが四條畷の戦い。正行の本陣は枚岡神社から南に1kmほどいった往生院で、四條畷はだ
いぶ北になります。

四條畷には戦いにまつわる地名がいろいろ残っていますが、実際の戦は広範囲で行われたようです。枚岡も激戦地だったんですね。楠木正行は地の利がない戦いで勝ち目がないことはわかっていたようです。

シロモチ君

siromoti201103.jpg津駅から大阪へ戻ろうと津駅西口に震災の募金を呼びかける声が。

先頭にいるのは津に来て戦隊ツヨインジャー。ツヨインジャーは津の観光PRヒーローで西口にいたのは赤のツヨレッドでした。ツヨイエローとツヨブルーは東口にいるのかなあ。その後ろにいるのが津のゆるキャラ・シロモチ君です。

シロモチ君は三段腹の変わった格好をしているのですが藤堂高虎の出世の白餅に由来しています。

若い頃に浪人していた藤堂高虎が三河の餅屋で空腹に耐えかねてを無銭飲食しますが、主人から故郷に帰って親孝行するようにと諭され路銀まで与えられます。

やがて大名となった藤堂高虎が参勤交代の折に立ち寄り、主人に餅代を返すという人情話になっています。以来、藤堂藩では参勤交代では必ず、この店
に立ち寄り餅を食べるのが慣習になりました。藤堂高虎の旗指物はこの逸話から「三つ餅」。白餅は、「城持ち」に通じるという験担ぎもあるようです。この三
つ餅から作られたのがシロモチ君。

募金したらシロモチ君のステッカーがもらえました!

桔梗が丘へ

kikyou201103.jpg午後から桔梗が丘の企業へ。

桔梗が丘は奈良県との県境にある名張市にあり、近鉄が開発した住宅地です。大阪のベッドタウンの最東端になっています。一戸建ての広い家が買える
ということで人気で近鉄・桔梗が丘駅から大阪まで通う人が多かったのですが、通っていた世代も団塊の世代になってしまい、定期の利用者が極端に減ったそう
です。

桔梗が丘は近鉄が開発した地域ですが昔から奈良の桜井から初瀬街道が通っていて、伊勢神宮に仕えた斎王が伊勢へと赴いた道です。壬申の乱で東北へ
向かう大海人皇子が歩いた道でもあり古代の国道1号線ですね。次の美旗駅には古墳群があり、駅のすぐ近くに前方後円墳が今でも残っています。電車の窓から
見れます。前方後円墳の頂上へ登れますが、けっこう高く実に雄大ですねえ。

大阪あそ歩 放出(はなてん)

osaka20110316.jpg紀伊國屋書店・本町店へ行くと、大阪あそ歩まち歩きマップ集3分冊が山積みになっていましたので、買ってきました。

大阪あそ歩とは大阪の町を歩いて、その町の歴史を知ろうという取り組みで、早く言えばブラタモリ大阪版。もっとも番組よりだいぶ前から始まっています。150コースから選び、集合場所に集まるとガイドが2~3時間かけて案内してくれます。

マップ集には全150コースが掲載されていますが、けっこう知らない歴史があるんですね。昔、難読地名で有名な放出(はなてん)の近くに住んでいたのですが、地名の由来に三種の神器の一つ・草薙剣がからんでいました。

熱田神宮から草薙剣を盗み出した新羅の僧が乗った船が難破してこの地に漂着し、神の怒りを恐れて剣を放ったというのが放出のいわれなんだそうです。へ~え!知らなかった。

大阪あそ歩
http://www.osaka-asobo.jp/

AllAbout大阪ガイドの陸奥さんが大阪あそ歩のアシスタント・プロデューサーをしています。


合成の誤謬

今日、大阪商工会議所のネットショップセミナーに参加しましたが冒頭、気仙沼商工会議所など連絡が取れなくなっている商工会議所がいくつか出ているという話がありました。

商工会議所でもセミナー中止を検討したが、無事な私たちはしっかり事業をやって適正な利益を出し、税金を納めることで被災者に貢献しましょう。そのために商工会議所はバックアップしますと挨拶していました。

イベントを自粛しようという動きが出ておりますが、華美なイベントなどはどうかと思いますが、萎縮せず実施した方が結局はお金という形で経済がまわりますので被災者のためになると思います。

経済学で「合成の誤謬」という言葉を学びました。一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全体で見ると逆に思わぬ悪い結果を招いてしまうことです。例えば貯蓄は美徳ですが、皆が同じことをやってしまうとお金がまわらなくなり不況になってしまいます。

無事だった関西こそ、イベントなどをバンバン行い今以上に経済を活性化しなければなりません。私たちコンサルは支援先がしっかり利益を出し税金を支払ってもらうようにがんばりましょう!

伊賀は寒い

sanagu201103.jpgJR奈良駅から加茂駅へ出て、ひなびた関西線に乗り換え伊賀へ

2両編成のレールバスですが、けっこう乗客は多いですね。途中の月ヶ瀬あたりでけっこう降りたので梅林見学の観光客のようです。列車はひたすら山の中を通り、島ヶ原を過ぎると人里に出てきます。

次の伊賀上野駅は観光地なので、けっこう降り、列車の中は閑散としてきます。佐那具駅で降りたのは私を含めて2人だけでした。駅に降りると雪が残っていました。昨日は雪だったそうです。どうりで寒いはずです。

帰りは佐那具から1両編成の列車に乗って帰ってきました。

お台場へ

daiba201102.jpgAllAboutのイベントが土曜日にあり金曜から2年ぶりに東京に着ています。

日頃、メールなどでやり取りしている会社などを訪問していました。そのうちの1社がお台場にあり、新橋からユリカモメに乗って出かけてきました。少し時間があったので第三台場へ。お台場というのはペリー艦隊来航に驚いた幕府が作った江戸湾の防衛施設です。

レインボーブリッジの下に第三台場が残っていて中に入ることができます。けっこう大きいですね。中は窪みになっていて陣屋跡や弾薬庫跡が残っています。ただほとんど人はおらず犬を散歩させている人ぐらいです。東京の連中に聞いてもお台場には行ったことがあるが台場なんて行ったことがないというのがほとんどでした。

東京は暑かったですねえ。山手線などは冷房が入っていました。

雪の伊賀へ

 
iga20110215.jpg大阪から近鉄で伊賀神戸駅へ

西大寺、八木経由で行きましたが奈良は雪一面でなかなか幻想的。途中の榛原はまるで雪国のようでした。昨日は止まっていた伊賀鉄道は動いていました。昨日は雪の影響で停電となり、しばらく不通になったようです。駅に張り紙がしてありました。

雪の原野の中を走る2両編成の伊賀鉄道はなかなかオツですね。伊賀の街に着くと、晴れていたので屋根の雪からポタポタ雫が落ちていましたが、盆地のせいか、けっこう雪が残っています。城下町ですので、なんだか雪の飛騨高山を歩いているような印象でした。

大阪へ戻ってきましたが奈良や大阪はすっかり雪は消えていました。

大雪

tsu201102.jpg津は朝、晴れていたのですが、だんだん曇ってきて14時くらいから雪に。見る見るうちに積もり始め積雪が5cmほどに。

東大阪へ戻るため津駅から近鉄電車に乗ると、大雪の影響で電車は遅延。名古屋線、大阪線、京都線とも特急などが連絡しているので遅れが全路線に伝播。

それにしても青山高原から榛原あたりは、雪国のような様相でした。伊賀神戸駅には伊賀鉄道の電車が止まっていましたが、中は真っ暗で学生が20名ほど乗っていました。駅のアナウンスで「伊賀鉄道は大雪で止まっています」と流れていたので再開を待っているのでしょう。

大和八木あたりまで戻ってくると雪も少なくなり、大阪も降ったのですが積雪はなくなっていました。結局、30分ほど遅れて到着。

忍者の里 伊賀へ

kayamati201101.jpg朝から近鉄で伊賀へ

伊賀神戸で2両編成の伊賀鉄道に乗り換えて上野へ向かいます。上野市駅の一つ手前の広小路駅で降りると昔の大和街道がそのまま商店街になっています。。伊賀は盆地なので京都と同じで底冷えしますね。さすがに雪はありませんでした。

大和街道は奈良から伊賀を経由して伊勢に通じる道で途中で分岐して江戸へ向かう道でもありました。この街道筋にあった鍵屋の辻で江戸へ向かう河合又五郎を仇討したのが渡辺数馬と荒木又右衛門。曾我兄弟、赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つです。今は資料館や碑が残っています。

用事をすませて、茅町から伊賀鉄道で帰ってきました。伊賀神戸、上野市は終着駅なので駅員がいますが、他に唯一駅員がいるのが茅町駅。伊賀鉄道はワンマンカーなので、無人駅は先頭のドアだけ、ここだけは全ての車両のドアがあきます。