
商工中金津支店が移転した跡地に建てた竹屋精肉店が閉店していました。
張り紙には昨年11月21日にオープンしましたが閉店したということで1年もたなかったんですね。レストラン営業は続けるともありました。
でっかい精肉のオブジェが店頭にあったんですが朝日屋と伊勢屋の間に割り込んだ形での出店でしたから、難しかったのかなあ。
商工中金津支店が移転した跡地に建てた竹屋精肉店が閉店していました。
張り紙には昨年11月21日にオープンしましたが閉店したということで1年もたなかったんですね。レストラン営業は続けるともありました。
でっかい精肉のオブジェが店頭にあったんですが朝日屋と伊勢屋の間に割り込んだ形での出店でしたから、難しかったのかなあ。
継体天皇は応神天皇の5世孫であり越前国を治めていた人物。万世一系ということなら、ほとんど傍流で、この時に王朝交代したのではという説もあります。継体天皇陵は宮内庁指定ではなく高槻にある今城塚古墳と言われています。
継体天皇は大和に入れなかったのか、または越前-琵琶湖ー淀川の水運(当時の交易は日本海ルートが主でした)を重視したのか根拠地とした宮殿が
507年 樟葉宮(くすばのみや:枚方市)
511年 筒城宮(つつきのみや:京田辺市)
518年 弟国宮(おとくにのみや:長岡京市)
526年 磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや:桜井市)
と移り替わり、大和に入ったのは即位から19年後になります。
同志社大学・京田辺キャンパスの入口を入ると右手にこんもりとした森があり、階段を登ると開けた場所があって、ここが継体天皇・筒城宮跡伝承地で石碑などが建っています。周りはキャンパスに囲まれています。
京田辺は木津川に近く、琵琶湖と大和や難波(瀬戸内海)との水運を意識するなら最適地になります。
午後、企業研修でしたので大阪から桔梗が丘へ。駅前に近鉄百貨店がありましたが、撤退。三重県内の百貨店は津の松菱と四日市の近鉄百貨店だけになりました。
近鉄百貨店時代は喫茶店やパン屋さんなどランチに困らなかったのですが、今は伊勢が中心のスーパーが入っています。このスーパーの一角にトラカフェ食堂があります。別に阪神ファンというわけではなく、スーパー・ギュウトラだからだそうです。伊勢を中心に展開している地元スーパーです。
駅前でランチを食べようとすると、このトラカフェ食堂だけですね。定食が6種類ほどあって安い(460円だっけ?)ですので、とってもリーズナブル。買い物客などが利用しています。
大和山村館から少し行ったところにあるのが崇道天皇陵です。
野村萬斎が安倍晴明役だった映画が「陰陽師」。後に羽生結弦選手がこの陰陽師の振り付けでオリンピック連覇を成し遂げました。安倍晴明のライバルが道尊で、最後には早良親王を復活させます。この早良親王が崇道天皇です。天皇にはなっていないのですが、祟りを恐れて延暦19年(800年)、崇道天皇と追称されました。
■早良親王とは
兄が桓武天皇で平安京へ遷都する前に長岡京遷都が行われました。この時に長岡京建設の司令官である藤原種継暗殺事件が発生します。早良親王は、この事件に連座していると疑いをかけられ乙訓寺に幽閉。淡路国に配流される途中、無実を訴えるため絶食し、現在の守口市あたりで亡くなりました。
ここから宮廷などで怪異があいつぎ、早良親王の祟りと噂されるようになります。
■崇道天皇陵
早良親王が死に際し石を9つ投げ、落ちたところに葬って欲しいと告げて絶命したという言い伝えがあり、それらのうち8つがこの地で見つかり、親王の陵が造営されたと言われていますが、本当の被葬者は誰か分かっていません。
天皇陵は山の辺の道沿いにあり、天皇陵の前の池には万葉仮名で書かれた歌碑がありました。
午後に予定していた仕事が日延べになったので、これ幸いと奈良へ。
正倉院展です。昼間に入ったら人だらけですので夕方のオータムレイトチケット狙いです。奈良国立博物館に着いたのが16:30過ぎで、入場待ち時間はありませんが、まだ会場内が混雑していますで休憩コーナーでビールを飲んで時間をつぶし17時に入場。
会場には日本史の教科書に載っていた「鳥毛立女屏風」が六扇すべて揃っていました。往時はヤマドリの羽毛が貼られていたので、この名前がついたんですね。
古文書コーナーには薩摩国正税帳があり、そこに遣唐使の文字が!第二船が唐から薩摩にたどりついたようで食糧などを渡した記事です。この時の第一船には玄昉、吉備真備が乗っていました。当時の記録に、しっかり遣唐使という文字が書かれているのを見ると感激しますねえ。
時代祭りが順延になったことで久しぶりに見ました。大学時代以来ですから40年ぶりぐらいですかねえ(笑)。
錦の御旗と維新勤王隊列を先頭に江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と時代を遡る行列です。
徳川城使上洛列、織田公上洛列、楠公上洛列など、よく考えたら、「田舎から都へよう上ってきはったな~あ」という、あくまでも京都至上主義目線。井上章一氏の「京都ぎらい」の世界ですなあ(笑)。
室町幕府執政列には足利将軍の後ろに山名や細川が付き従い、「お前らが都を燃やしやがって」という目で見ておりました(笑)。先導役が伊勢氏で最新の研究では、この伊勢氏の一族が戦国大名・北条早雲となります。
交通量が多い烏丸通の半分を占拠しての行進なので、信号制御しながら、ゆっくり進むので気の長いお祭りになります。せかせかした都会の中で悠長な時間が流れるのがよいですねえ。
カレンダーが祝日じゃなかったので、すっかり仕事だと思っていました(笑)。
本日は新天皇の即位。皇位継承に際しては大嘗祭(だいじょうさい)が行われ、行う場所を霊畤(れいじ)と呼びます。日本で最初に大嘗祭を行ったのが神武天皇で場所は鳥見山にある鳥見の霊畤で、現在の桜井市にあります。戦国時代は城跡となって霊畤の場所は外山城の郭になっています。
他に天皇家に伝わる三種の神器(八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉)も重要です。ただし、八咫鏡は伊勢神宮に、草薙剣は熱田神宮に納められているため崇神天皇の時代に鏡と剣のレプリカが作られた、勾玉と共に宮中に伝わったとされています。
■三種の神器のドタバタ
ところが源平の戦いで平氏が逃げる時に安徳天皇とともに三種の神器が持ち出されてしまいます。壇ノ浦の戦いで入水する時に三種の神器も海に沈み、なんとか鏡と勾玉は救い出されましたが剣は見つかりませんでした。後鳥羽天皇は発見の祈祷と捜索を命じますがダメでした。この時にいろいろと理屈をつけて別の剣をレプリカとします。
次に起きるのが南北朝の戦いで南朝方が三種の神器を持ち出してしまいます。この頃から天皇自体が徳であり三種の神器は必要ないという論理が展開されだします。
八尾の商店街にあるのが常高寺。行基創建と伝わり河内音頭発祥の地ということで境内に碑が建っています。ここが若江・八尾の戦いの舞台です。
大坂冬の陣が終わった後、徳川との和睦の条件で、大坂城の堀を埋めてしまい防衛能力が低下。籠城はできず討ってでるしかありません。大坂城からは徳川家康、秀忠を狙って木村重成、長宗我部盛親、増田盛次が出陣し、徳川方の井伊直孝、藤堂高虎と戦います。
これが若江から八尾近辺が戦場となった若江・八尾の戦いです。若き木村重成は自ら槍を取って戦いましたが討死。結果は痛み分けとなりましたが藤堂勢、井伊勢も大きな被害をうけました。
八尾の戦いでは常高寺の門前が激戦地となり藤堂高虎側の将士71人が戦死しています。
津市・北丸ノ内の国道23号線沿いに郵便ポストがあります。近くには第三銀行・津支店があります。
通るたびに不思議だったのが郵便ポストの向き。微妙に30度ほどずれています。歩道も広いので、まっすぐに郵便ポストを置いても問題はなさそうですが、なぜかずれています。台風などの風を考慮して、この向きにしたのか、工事をした時に何かの手違いでこうなったのか謎は深まるばかり。
何年もずれたままでしたが、最近、郵便ポストが新しくなり向きも普通になってしまいましたあ。微妙にずれていた方が味わいがあったのに(笑)。
近鉄八尾駅の近くにあるのが八尾神社。
祭神は宇麻志麻治命(ウマシマジ)で饒速日命(ニギハヤヒ)の子供になります。ニギハヤヒは神武東征より前に天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)に降り立ち、大和に移った天津神で、最後は神武天皇を助け大和に迎え入れます。この神さまが、物部氏の祖となります。
八尾市、東大阪市から交野市にかけてが物部氏の本拠地で、蘇我馬子・聖徳太子連合軍が攻めた物部守屋の館は東大阪市と八尾市のほぼ間にある衣摺といわれています。戦勝したお礼に聖徳太子が建立したのが四天王寺になります。
東大阪や八尾の神社をまわると本当に物部の神様ばかりで楽しめますよ。