マイドーム大阪のすぐ近くにあるのが大阪活版所跡の碑。
活版印刷というのは活字を組み合わせて版を作り、印刷するやり方です。銀河鉄道の夜の冒頭で主人公ジョバンニが小さな箱に活字を拾って版を作るアルバイトをしているシーンがでてきますが、あれが活版です。
コンピュータで印刷するDTP時代となり活版印刷は、すっかり見なくなりました。活版の歴史は古く、764年に藤原仲麻呂の乱を平定した称徳天皇によって印刷された百万塔陀羅尼があります。時たま古書業界に出回っており、700万円ほどで買うことができます。ほぼ正倉院の時代のものですので安いものでしょう。(笑)
その後は木を削った木版印刷が主となりました。ところが天正遣欧少年使節の時にヨーロッパから活字と印刷機を持ってきて作られたキリシタン版などが登場します。イエズス会が発行した書物ですが、これは部数も少なく、天理図書館や上智大学などにあります。徳川家康も活版印刷をしており、これが駿河版。美術本として有名な本阿弥光悦の嵯峨本などはありましたが江戸時代は木版印刷が主流となります。
やがて明治となり活版印刷が復活します。まず長崎に新町活版所が作られますが、その後にできたのが大阪活版所。明治3年に五代友厚の懇望をうけ本木昌造が作りました。マイドーム大阪のすぐ近くにある地から大阪の近代印刷がスタートします。
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神戸サンパルと「なでしこジャパン」との関係
サンパル6階にある「ひょうご産業活性化センター」で窓口相談。
朝、エレベータに乗ろうとサンパル1階に入ると、フロアーにずらっとイスが並べられ、テレビのインタビューを受けている人がいました。「なんだ、なんだ、この騒動は!」と思ったら、イングランド戦を戦う「なでしこジャパン」の試合観戦のようです。サンパルと「なでしこジャパン」がどう関係するのかなと思ったら、サンパル近くがINAC神戸レオネッサ発祥の地なんだそうです。
INAC神戸レオネッサから「なでしこジャパン」には7名の代表選手が出ています。このINAC神戸の応援会長を務めるのがサンパルにある文具店店主。文具店というと1階の富士商会・店主ですかねえ。なんでもINAC神戸・創世記の事務所が、サンパル近くにあり、選手もよくサンパルに買物に来ていたそうです。その当時から応援していた歴史があるので長いですね。
港町神戸には明治初期、いち早く欧米からサッカーが伝わったこともあり、日本最初の女子チームが誕生したのが神戸。1981年、女子サッカーで国内初の国際試合(今回と同じ日本対イングランド戦)が開催されていたのも神戸なんだそうです。へ~え、サンパルは日本女子サッカーと深い縁があったんですねえ。
伊勢鳥羽志摩サミット
午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談。
近鉄・宇治山田駅を降りると伊勢志摩サミット決定という看板がありましたが、伊勢商工会議所前にもありました。サミット会場となる賢島があるのは志摩市。
伊勢志摩サミットとなっていますが、伊勢市と志摩市の間には鳥羽市がありますので、本当は伊勢鳥羽志摩サミット(笑)。このままだと鳥羽市が埋没すると、東京で海女を描いたバスを走らせるなど鳥羽市では知名度アップに今からいろいろと仕掛けをしていくようです。
JR参宮線は鳥羽駅が終点。賢島へ行くには近鉄しかありませんが、鳥羽駅から先は基本的に単線。しかも普通と特急しかなく急行はありません。近鉄・特急は特急券がいるので普通に乗っていくと、なかなか鄙びいていて風情があります。
もともとは志摩電気鉄道というローカル線がスタートで、そこらへんに急勾配や急カーブがあり、特急もあんまりスピードが出ない路線になっています。特に鳥羽駅近くはなかなかすごいですね。そうそう九鬼水軍の居城だった鳥羽城のすぐ横を通っていきます。
夏越の祓
6月30日。今年も無事に半分が過ぎました。というわけで夏越の祓です。
いつもは地元の枚岡神社へ行くのですが、津にいますので三重県産業支援センターの仕事が終わってから、津城横の高山神社へ行ってきました。津藩の藩祖・藤堂高虎を祭る神社。藤堂高虎の法号が高山なので高山(こうざん)神社という名前になっています。
夕方から、あいにくの雨になっていましたが境内では4名ほどが茅の輪くぐりをしていました。しかも女性ばかり。
傘をたたんで雨に濡れながら3度、8の字をかくように茅の輪をくぐります。これで厄落としも、終了。後半戦、がんばらなくちゃあ。
写真は高山神社ではなく、先日行った伊賀天満宮の茅の輪です。
天野屋利兵衛は男でござる
マイドーム大阪の裏口が東横堀川となりますが、この一角に「義侠 天野屋利兵衛之碑」があります。
天野屋利兵衛って、あの忠臣蔵の天野屋利兵衛!!
忠臣蔵十段目に登場する堺の商人が天野屋利兵衛(忠臣蔵では天河屋義平)。吉良邸への討ち入り用と判っていながら、赤穂浪士に武器を援助する商人として登場。役人(実は天野屋利兵衛の真意を疑う赤穂浪士が変装した姿)の取り調べを受けますが、決して口を割りません。武具が入っている長持の上に座り、有名なせりふをはきます。それが、「天野屋利兵衛は男でござる」。
天野屋利兵衛は実在した人物で、熊本藩細川家と岡山藩池田家の大阪屋敷に出入りしていたと伝わっています。屋敷が東横堀川に架かる大手橋(本町橋から北に2つ目の橋で、マイドーム大阪のすぐ近く)のたもとにあったと伝承されています。それで碑が建っているんですね。
天野屋利兵衛は忠臣蔵で有名ですが、赤穂浪士とは関係がなかったというのが定説です。ところが赤穂浪士の一人である大高源吾が墓のある薬王寺に共に葬られていますので、なにかあったのかなあ。竹本座のパトロンでもあったので、自分が登場するように画策したとの説もあります。
そういえば幕末、高杉晋作を助けた政商として白石正一郎の名前がよく上がりますが実際はそれほどでもなく、入江和作が幕末の志士たちを援助し、高杉晋作の住居の世話や「おうの」
の面倒もみていましたが、あまり世間に広まっていません。
本町の曲がり
大阪府よろず支援拠点のすぐ西側を東横堀川が流れています。
もともとは豊臣秀吉が大坂城の西惣構堀として掘った堀川。ちょうど上町台地が終わるところで、防御上のメリットもありました。この東横堀側が大坂城の西の境界にあたり、大坂冬の陣では徳川側の蜂須賀と豊臣側の塙団右衛門が激突した激戦地となります。東横堀川が本町橋を過ぎたところで曲がっていて、上を通っている阪神高速も曲がっています。
てっきり横矢をかけるために堀を曲げたのかなと思ったのですが、どうも当時あった浄国寺という寺を避けるために曲げたようです。ここが「本町の曲がり」とよばれるようになり、江戸時代は誰もが知っている自殺の名所で、恐ろしい化け物が行き交う場所だったそうです。曲げたことで水流が岸にあたり、渦となるので水難事故も多かったことが原因だったかもしれません。
上方落語「まんじゅうこわい」では、暇な連中が集まって嫌いなもの、怖いものを言っていき、なかの一人が「俺はまんじゅうが怖い」と言い出すことから話が展開していくんですが、冒頭で皆が怖いことを言っていくシーンで、この「本町の曲がり」が出てきます。
「南農人町(のうにんまち)から本町の曲がりへかけて、そりゃ夜は人も通らん寂しいとこやった」と幽霊の話になっていきます。ビジネス街だし、この辺りはあまり店もないので、今も夜になると寂しい通りなんですが、江戸時代は心霊スポットだったんですねえ。
八宮巡りコンプリート
生田裔神八社で最後まで残った七宮神社。これで一宮神社から八宮神社まで完全制覇、八宮参りコンプリートです。とりあえず厄除けはこれで大丈夫。他によいことないかなあ。(笑)
七宮神社は兵庫港の近くにあり、阪神・阪急の新開地駅かJR神戸駅から少し歩いたところにあります。七宮神社の隣を阪神高速が走っていて交通量が多いところ。主祭神は大己貴命なんですが、他にも大国主命、大物主神、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顧国王神と七つの名前のある神様ですので、それで七宮神社というそうです。へ~え。
平清盛が日宋貿易の拠点である大輪田泊を作り、この時に七宮神社の社殿を建てました。清盛が遷都した福原京も近くにあり、当時は大いに賑わったでしょう。大輪田泊は中世には兵庫津となり、信長に反乱を起こした荒木村重を破った池田恒興が兵庫津に城を造り、これが兵庫城となります。七宮神社のある兵庫津周辺が当時の繁華街でした。淡路出身の高田屋嘉兵衛が拠点をかまえたのも兵庫津です。
ところが幕末となり、兵庫津のお隣の神戸は寒村で土地もあったので、勝海舟が海軍操練所をつくり坂本龍馬や陸奥宗光が学びます。開国で神戸港が外国船の停泊地に指定されたのをきっかけに、神戸が発展。三宮神社周辺が居留地となります。いまや神戸の中心地といえば三宮ですが、本来は七宮だったんですね。
伊勢の国では、まだまだお木曳が行われています
伊勢神宮の式年遷宮では、木遣り歌を歌いながら台車に乗せた神木を引っぱるお木曳きが行われ、テレビなどで放映されました。
内宮、外宮の式年遷宮は終わりましたが、伊勢の国では、まだまだお木曳きが行われています。行われたのは関宿(亀山)と桑名。
関宿には東海道と伊勢別街道に分かれる東の追分があります。京や近江からお伊勢参りに行くには東の追分で伊勢別街道に入り伊勢を目指します。ここが伊勢神宮への西からの玄関口にあたります。東の追分に建っているのが鳥居。
鳥居の近くには、「これより伊勢へ」「外宮まで15里」と刻まれた石の道標が建っています。式年遷宮の際に、内宮の宇治橋が建て替えられますが、この宇治橋の鳥居の旧材を活用して、東の追分の鳥居が建て替えられます。つまりリサイクル。宇治橋の鳥居も、さらに20年前は内宮正殿の棟持柱でした。
江戸を出て熱田神宮の宮宿から七里の渡しを船で渡り、上陸するのが桑名。ここに伊勢国一の鳥居が建っていて、ここが伊勢へ向かう東側の玄関口になります。この鳥居も宇治橋の鳥居(おはらい町側)のリサイクル。さらに20年前は外宮正殿の棟持柱でした。
つまり棟持柱が20年建つと宇治橋の鳥居になり、さらに20年建つと伊勢への入口のとなる鳥居へリサイクルされます。土曜日に関宿で、日曜日には桑名でお木曳きが行われ、鳥居が建て替えられました。関宿などの旧鳥居はさらに全国の神社などへリサイクルされます。阪神大震災後で神戸の生田神社の鳥居が被災しましたが、この時は関宿の鳥居が使われました。
リブロ池袋本店が閉店へ
池袋駅で待ち合わせする時に必ず行くのが西武百貨店に入っているリブロ池袋本店。7月末に西武百貨店との出店契約が終了するため、近日閉店するそうです。ただし、池袋駅周辺への移転を検討しているそうです。
リブロの入口付近でよくフェアをやっていて、並んでいた本が面白かったですね。1975年、池袋に登場したリリブロは親会社がコロコロ変わり、西武→西友→ファミリマート→パルコとなり、今では日販の持株会社になっています。
入居している西武百貨店はセブン&ホールディングスの傘下になりますが、鈴木敏文会長が日販のライバルであるトーハン出身だから、契約解除とともに追い出したという見方もあります。もっとも書店に来る客が百貨店の客になっていないというような分析があったのでしょう。
リブロはセゾングループの創業者・堤清二(小説家・辻井喬)によるセゾン文化を体現する場所で、特に人文・社会系の品揃えには定評があります。書店入口のワゴンに1点の本をたくさん積みあげる陳列がありますが、業界では「トットちゃん積み」といっています。「窓ぎわのトットちゃん」がベストセラーになった時にリブロの中村氏が始めたそうで、講談社の営業マンがその陳列を見に来て、これはよいと全国の本屋に広がりました。
五宮神社(神戸)
生田裔神八社の1社が五宮神社。
生田裔神八社とは生田神社を囲むように点在している八社で、せっせと八宮をまわっています。五宮神社は兵庫区五宮町にあるのですが、なかなかの高台。神戸駅、湊川駅からバスが出ていますので五宮町のバス停で降ります。
バス通りから、大きな車なら絶対に通れない細い道をせっせと登ると社がありますが、高台なので神戸の街が一望できます。
五宮神社の隣には祥福寺という禅寺があり、二重の塔があります。ここからは神戸のずっと西の方を見わたせます。祥福寺までは車で登れる道があり、宅配便は寺の駐車場にいれて、五宮神社周辺に宅配していました。坂の多い神戸では宅配業者も大変です。
この祥福寺には幕末、神戸警備のために来た長州藩兵、数百名がこの寺を基地に、兵庫、神戸を護衛したそうです。西宮警備を命じられた備前藩兵が三宮神社の前で隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させる神戸事件が発生した頃と同じ時期になります。