千本松原 木曽三川

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    小さい頃、読んだ絵本に「千本松原」があります。薩摩藩が苦労しながら木曽三川の治水工事にあたった物語。木曽三川が集まった地域は水害の多い所で、そこで川を分ける工事が行われます。幕府に命じられたのが薩摩藩。堤防が作られ、堤防には松が植えられました。これが千本松原です。 

    多額の費用がかかった難工事で、薩摩藩士の多くが怪我や病死。また藩に迷惑をかけたと家老などが切腹しています。工事に関わり命を落とした薩摩義士は桑名の海蔵寺などに埋葬されています。 

    新幹線で木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)を通過する時は、川と川の間隔は空いていますが、下流の近鉄名古屋線やJR紀勢本線あたりでは、かなり狭まります。特に長良川と揖斐川はほとんどひっついていて、川の間は道路が走っているだけ。この堤防の一部が薩摩藩士が作った千本松原です。 

    何気なく見ると、川の中を車が走っているなかなか他では見られない風景を見れます。この道路もすぐ下流でなくなり、長良川と揖斐川が合流し、さらに木曽川が合流して伊勢湾に流れています。 

東京ビッグサイト

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    東京ビッグサイトへ行くのは新橋から「ゆりかもめ」が定番ですが、東京駅からバスが出ていたので、これに乗ったんが失敗。ホームページには15分とありましたが、いろいろなバス亭に各駅停車するので結局、40分ぐらいかかってしまいました。ようやく東京ビッグサイトに到着。 

    さて東京ビッグサイトの展示会に入るのは実は初めて。大きいですねえ。今日は燃料電池展を見に行ったのですが、他にも太陽電池展やスマートグリッド展など8つの展示会が併設されていましたが、一つの展示会で受付したら、他の展示会は全てフリーパス。展示会ごとの入場者カウントなど、どうやって処理しているんでしょうねえ。 

    インテックス大阪でも併設して展示会が開催されますが、それぞれで受付しなければならず面倒。なかなかよいやり方です。それにしても出展社も多かったですが来場者もすごい人。インテックス大阪やポートメッセ(名古屋)の閑散としている光景とは全然、違いました。 

    さて帰りはバスじゃなく「ゆりかもめ」にしようと歩いていたら水上バスの文字を発見。1時間に1本、日の出桟橋と結んでいます。時刻表を見たらちょうど10分先に出るところだったので、水上バスに乗り込みレインボブリッジを横に見ながら日の出桟橋へ。ちょっと歩いたら浜松町駅でした。

今池 地名の由来(名古屋)

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    今朝、ちょっと早く名古屋駅に着いたので地下鉄・桜通線で吹上の2つ手前にある車道駅で下車。地下鉄のすぐ近くをJR中央本線が走っていて千種駅があります。この千種駅から少し行ったところにあるのが高牟(たかむ)神社。 

    ■高牟神社 
    延喜式にも記載されている古い神社で、もともとは尾張物部氏の武器(牟は鉾のこと)を納めた倉があり、そこから高牟神社となりました。境内には「延命長寿」や「恋が生まれる」という名泉「古井の清水」があります。高牟神社のあるあたりは古井町と呼ばれていました。 

    この高牟神社前からゼロ戦を運んだ、郡道が走っていて今日は郡道を歩きながら吹上に出ようと思ったら1本、道を間違っていました。あとで古地図をみたら郡道は1本道なんですが、けっこう曲がっていて、現在は住宅地に変わってしまったため、行ったり来たりしないと郡道に出られないようになっていました。 

    ■今池 名前の由来 
    郡道と飯田街道が交差する近くにあるのが古井ノ坂(こいのさか)。このあたりも高牟神社と同様に豊富に湧き出る土地で、地下水脈は同じようです。この水があったのでサッポロビール名古屋工場ができました。現在はイオン千種になり、敷地の一部は名古屋ビール園・浩養園(こうようえん)になっていて名古屋市新事業支援センターの宴会でよく使っています。 

    郡道のすぐ近くに馬池という農業用のため池がありました。郡道を通る馬に水浴びさせるところから馬池と名づけられました。吹上の一つ先が今池ですが、今池の地名はこの馬池からきています。現在は埋め立てられ今池中学校になっています。

尾頭塚(金山)

otouduka201402.jpg金山・尾張元興寺跡のすぐ近くにあるのが尾頭塚。 

鎮西八郎と呼ばれた源為朝の墓なんだそうです。源為朝は保元の乱では崇徳上皇方に属して戦いましたが敗れ、伊豆大島へ流されます。ところが伊豆大島で暴れて、島を事実上支配したので、追討を受け自害しました。 

為朝には義経と一緒で英雄生存説があり、伊豆大島を脱出して琉球に渡り、琉球王になったという小説が滝沢馬琴の「椿説弓張月」。小説のもとになったのが琉球王国の正史「中山世鑑」でここに書かれていたのをネタにしたようです。この小説に熱田大宮司の藤原季範(為朝の親族)に船で会い、熱田の地に来ることを勧められます。誘いは断りましたが、子供を季範に託す話が出ています。 

どうも金山駅近くの古渡の地は源氏との関わりが昔から深かったようです。実際、大島、大矢、磯部という姓の住人が多く、これらの名前は為朝の一番信頼の置ける従者の名前でした。 

そういえば熱田神宮の前で源頼朝が生まれましたが、これはお母さんが季範の娘だったことからです。源氏との深い結びつきから為朝塚が作られたのでしょう。尾張元興寺も為朝の子である尾頭義次によって再興されました。尾頭橋などの名前はこの義次が由来になっています。 

尾張元興寺

owari_gangoji201402.jpg午後は名古屋ソフトウェアセンターで会議。日本一分かりにくい名鉄名古屋駅ホームから金山駅へ出かけてきました。東に向かう名鉄電車は全て金山駅に停車するので、とりあえず来た電車に乗ればよく、これなら迷うことはありません。 

金山駅のすぐ近くに尾張元興寺があります。元興寺というと奈良町にある寺が有名です。蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最初の仏教寺院・法興寺が前身で、平城京遷都に伴い、法興寺を移転したのが元興寺と言われていましたが、どうも飛鳥の法興寺は移転せず、そのまま残って今の飛鳥寺になったようです。 

元興寺と言えば、有名なのが鬼。敏達天皇の頃。尾張国の農家に落雷と共に子供の姿の雷神が落ちてきました。やがて農夫の妻が、雷神の申し子とでも言うべき子供を産み、この子供が奈良の元興寺の童子となりました。元興寺の鬼退治をして、その後、出家し法師になったという伝説があります。 

日本霊異記などに書かれている話ですが、この法師が故郷の尾張・古渡に帰って建てたのが尾張元興寺。発掘調査では飛鳥地方と深い関係のある瓦が出土していて名古屋に初めてできた寺の一つです。金山駅周辺は高台になっていますので、ここに伽藍が建っていたらランドマークとなり、目立ったでしょう。、 

お伊勢さんへ

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    午後、伊勢商工会議所で窓口相談だったので、お昼に商工会議所近くにある外宮へ寄ってきました。昨年ほどではありませんが、参拝客は多いですね。新旧の社殿が並んでいるのは、この時期だけです。 

    間違えている人も多いのですが、伊勢神宮は日本人の総氏神的な存在ですので、正宮では個人的なお願いをせず、その代りに日頃の感謝を神様に伝えます。個人的なお願いは同じ神様の荒魂(あらみたま)が祀られている多賀宮(内宮は荒祭宮)にお参りします。 

    荒魂ですので正宮の遷御が行われると、すぐに多賀宮の遷御が行われます。外宮には多賀宮の他に土宮、風宮がありますが、まだ遷御は行われておらず古い社殿になっています。11月~12月に遷御が行われます。 

    この伊勢神宮ですが垂仁天皇の時代に、豊鋤入姫や倭姫が今の伊勢の地に定めたということですが、実在が確認できる斎王は天武天皇の皇女・大来皇女からです。ただ雄略天皇の時代には祭祀が既に行われていて祭祀遺跡が外宮、内宮の双方から出土しています。 

    内宮は荒祭宮、近くから出土しており、どうも荒祭宮を中心に内宮全体が造られたようですね。外宮・多賀宮もえらい高台にあり、なかなか不思議な位置関係です。

吹上の郡道をゼロ戦が通る

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    映画「風立ちぬ」で、名古屋港にあった三菱重工業株式会社・名古屋航空機製作所から牛車でゼロ戦を岐阜県の各務原飛行場まで運ぶシーンが出てきますが、名古屋市新事業支援センターがある吹上を通る郡道をゼロ戦が通っていたんですね。 

    郡道というのは明治42年に完成した道路で、愛知郡内の村々を結ぶ主要道として整備されました。大正期には愛知郡内に49本もの郡道がありましたが、都市化などによってどんどん消えていきます。吹上を通る道は今だに郡道と呼ばれ、飯田街道の古井ノ坂交差点から東海道の呼続を結んでいます。 

    郡道といっても幅3メートルほどの狭い道で吹上では100メートル道路に分断されています。郡道の両側には商店が並んでいましたが、だいぶ少なくなり吹上あたりでは吹上八幡社の写真にある吹上観音(吹上にあった古墳を祭る)の前を通って名古屋工業大学のキャンパス横をずっと通っていきます。 

    ここが昔の幹線道路でゼロ戦が通っていたとは誰も思わないでしょうね。ゼロ戦の輸送にはトラックも使ったのですが道路状況が悪く、機体が破損したりしたので牛車が使われるようになりました。

高速道路が通るビルで研修

osaka20140127.jpg大阪の福島近くにある高速道路が通るビルで研修。いつ見てもシュールですね。 

認定支援機関向け経営改善・事業再生の研修で、今回は実践力向上編(2日間コース)を受講中。全国各地で行われた研修も、この大阪の研修で、すべて終了だそうです。 

【経営改善・事業再生研修】 
・基礎編(2日間) 
・実践力向上編(2日間) 
・個別分野コース 経営改善等計画策定演習(1日) 
・個別分野コース 計画策定後のフォローアップ等(1日) 

とりあえず「個別分野コース 計画策定後のフォローアップ等」以外はすべて受講。講師は監査法人トーマツで、受講料は無料です。 

いずれの研修も事業がうまくいっておらず負債が多い企業をケースに、グループで討論しながら課題をこなしていくスタイルです。今回のグループは5人で税理士さん3名(内2名はTKC)、金融機関(地銀)、中小企業診断士(1名)という構成です。さあ、明日もがんばろう! 

陣屋おそるべし

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    午後は三重県産業支援センターの職員と伊賀の企業でしたのでお昼は陣屋へ 

    伊賀では有名なお店で、場所は剣豪・荒木又右衛門が生まれた荒木から、松尾芭蕉が俳諧集「貝おほい」を奉納した上野天神宮へ向かう坂を登るところにあります。 

    こじんまりとしたお店で席は25席ほど。12時ちょうど入りましたが案の定、ほぼ満席。ちょうど2名分空いてたので相席で座ることができました。ここの日替わり定食(650円)はボリュームたっぷりで有名です。 

    夜は居酒屋になりますが店内は普通の定食屋さん。ただし天井に定食屋さんには絶対にない大きなスピーカーが2つあり、バックミュージックにジャズがいつも流れています。店主の趣味なんでしょうが、店主の恰好はいたって普通の定食屋の親父。 

    日替わり定食の内容を聞くと、「今日はサバ煮です」ということで2つ注文。しばらくして出てきたのは丼に入ったウドンとご飯と漬物。いわゆるウドン定食です。(笑)あと味噌汁とキャベツ盛りの上に肉巻きを揚げたのが2つ入った小鉢が出てきました。これだけで十分です。 

    とりあえず、うどん定食を食べ始めたら、今日のメインですと、サバ煮が出てきましたが、普通の定食屋さんの倍はあります。これにコーヒーがついて650円ですから、流行るはずです。 

    陣屋おそるべし。

神社は百貨店より専門店?

isikiri201401.jpg松の内も終わりなので注連縄を納めに枚岡神社へ。境内は初詣やお祓いの人で賑やかでした。

枚岡神社から枚岡公園を通って、参拝客で賑わう石切参道商店街から石切神社へ。神社の入口に着いたら、すごい初詣客で、鐘を鳴らしてお参りするためにすごい行列が出来ていました。神社入り口の鳥居を超えて山門まで続く行列で、こんなん行列に並んでおられないと脇からお参りしてきました。それにしてもすごい参拝客です。 

この地域で神社としての格が一番高いのは河内一宮である枚岡神社。石切神社は社格としては枚岡神社より低いのですが参拝客では雲泥の差になっています。 

石切神社は「デンボ(腫れ物)の神さん」として有名ですが枚岡神社は特に特色はなく、家内安全、無病息災、厄除けんど、なんでも揃う百貨店型、石切神社はデンボに特化した専門店型で参拝客の差はこんなところに出るんですかねえ。デンボは関西弁でデキモノのこと。 

石切の切からデンボの神様になったという説もありますが、物部氏の氏族である木積家(石切神社の社家)に代々伝わった伝法(秘法)から、どうもデンボになったようです。