枚岡神社 秋郷祭2013

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枚岡神社の秋郷祭
初日がスタートし、街中をふとん太鼓が巡っています。毎年14日、15日の日程固定のお祭り。今年はラッキーなことに14日が祝日になりました。
平日開催になると近辺の会社などはお休みが当たり前。なんせ社員が担ぎ手になっていて、社員がいませんから休みにせざるをえません(笑)さすがに学校はやっていますが、「ふとん太鼓をたたくので早引けする」が続出します。
一の鳥居から太鼓台を担ぎ上げて枚岡神社に宮入。けっこうな急坂で、一番のハイライトが近鉄・枚岡駅の狭い踏切超えです。近鉄電車は特急、急行も全て徐行運転。近鉄・職員が踏切にはりついてダイヤ表とにらめっこしながら間隔が長いところを狙って一気に太鼓台を通しますが、踏切を超えたところが急坂でなかなかの難所になります。
徐行する電車に乗っている人は駅周辺の山のような人だかりに何事が起きているのなどという顔をしています。
→ 動画 枚岡祭(You Tube)

谷山浩子コンサートに学ぶオペレーション

kobe20131007.jpg日曜日に谷山浩子コンサートが神戸・酒心館ホールであり、奥さんに連れられて行ってきました。コンサートは面白かったのですが、知っている曲がなかった(笑) 

17:30開園でしたが17時になったらホール前に並び始めます。と言っても列ができているわけではなく、適当に立っているだけ。「10分ぐらい前に入ったらええやん」と奥さんに言ったら、なんと自由席制。17時から整理番号順に入って、自分の好きな席に座るという方式でした。そんなコンサートもあるんだあ。 

■スタッフは最少人数 
入口で整理番号を呼んで、中に案内する男性スタッフが2名。中でチケットを確認したり半券をちぎる女性スタッフが2名。グッズ販売が2名。ここまではバイトで可能。 

音響1名、照明1名で専門職が必要ですがホールの関係者に頼んで神戸で確保できるでしょう。ピアノの弾き語りなので演奏スタッフはゼロ、しかもピアノはホール据え付けのようですので搬送スタッフもいりません。途中でリクエスト・タイムがあったので楽譜を管理してタイミングよく持ってくるスタッフ1名が必要。 

グッズを次のコンサート会場に送れば、楽譜管理のスタッフと歌手の谷山浩子さん2名で移動すればOKです。なかなかコスト・パフォーマンスがいいですね。 

■コンサートは2部構成 
1時間&10分間休憩&1時間の構成で、テーマは「物語のある曲」。小説など物語に触発された歌で選曲されていましたが膨大な歌のストックがあるのでできる技。前半1時間は後から考えると軽めの曲が多く、途中で会場から4曲を聴衆とのジャンケン大会で選んでやっていました。ですので楽譜管理のスタッフが必要です。トークも面白かったですねえ。あとで奥さんに聞いたら、全部リクエストというコンサートもあるそうで、そりゃすごい! 

前半で聴衆をつかんでから、後半は割と重い曲が多く、ゲド戦記の王国など歌もすごいですがピアノ演奏が迫力ありました。流れがなかなかうまいですね。セミナーでリクエスト・タイムを作るのは難しいですが構成の組立方などは大変、参考になりました。


とってもまったりとしたコンサートでした。

遷御の儀 内宮のお引越

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    午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談 

    宇治山田駅に着いたら商工会議所から電話。相談者から急なお客さんがきたとかで、相談時間を1時間ほどをずらしてほしいということで了解。 

    これ幸いと伊勢商工会議所のすぐ近くにある外宮へ参拝に行ってきました。伊勢の街は「祝、御遷宮」と書かれたのぼりがたくさん、はためいていました。 

    外宮入口の火除橋を渡り手水舎で浄めてから鳥居をくぐろうとすると入場制限になっていました。なにごとかいなと見ていると黒塗りの車が火除橋を渡ってきます。火除橋を車で渡るとなると皇族しか考えられませんので、 
    神宮祭主をつとめる黒田清子さんが乗った車のようです。鳥居を入ってすぐのところにある斎館に入られました。 

    外宮は団体客でわんさかわんさか。今日の午後から内宮の一般参拝ができませんので皆、外宮に参拝に来ているんですね。また礼服姿のお参りも多く、遷御の儀に出られる招待客でしょう。 

    外宮の遷御の儀は5日(土)で午後13時から翌朝5時まで参拝ができなくなります。内宮は明日の5時から参拝できますので、今頃、宇治橋の前にはずらっと並び始めているんでしょうね。 

枚岡薪能

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    午前中は桑名で経営革新塾2回目。今日のテーマはプレスリリースで「自社の商売にキャッチフレーズをつけよう(販売促進を考える)」。 

    講師は「元新聞記者が教える マスコミが取材したくなる! プレスリリースの法則」(中央経済社)を上梓されたADACHI経営企画事務所の足立早恵子さんにお願いし、私はコーディネートだけでしたので楽でした。 

    桑名から東大阪へ戻って、夜、近くの枚岡神社へ行ってきました。 

    枚岡薪能が毎年、9月に枚岡神社境内で行われています。台風シーズンの季節なので、一昨年は狂言が終わったところで雨が本降りになり、屋外での能は延期になるなど、いろいろと波乱万丈の能です。 

    今日は風が少し強かったですが無事に開幕。枚岡神社は生駒山の麓で、すぐ裏は枚岡公園ですので、境内といっても木々の中にあり、虫の声が響く中、笛と鼓の音がこだまし、なかなか幽玄です。時たま近鉄電車のガタンガタンという音がするのはご愛嬌。 

    薪の火入れが終わったところで狂言がスタート。狂言は「神鳴」という都で目が出ずに地方へ営業に行く藪医者と空から誤って落ちてきた雷さんとの掛け合い漫才。 

    能は「百万」という題で、我が子と生き別れになった狂女・百万が、子を慕って狂い舞う能。能というと暗い話やおどろおどろしい話が多いのですが、珍しく最後は子供と再会してハッピーエンド。

神様のお引越はもうすぐ

ise201309.jpg午後、伊勢商工会議所で窓口相談でしたので、昼休みに外宮へ行ってきました。外宮は伊勢商工会議所から歩いて5分ぐらいのところにあります。 

今朝の中日新聞トップに伊勢神宮の参拝客が年間で900万人を突破し、過去最高になったと報道がありました。このままの勢いだと1300万人になりそうです。確かにすごい人ですね、平日、昼の外宮なんて、閑散としているはずなんですが今日は人だらけ、しかも団体客が3組ほどお参りしていました。 

さて外宮の正宮へ行くと、いつもはない新しい宮への渡り廊下のようなものが作られていました。外宮には10月5日に遷御の儀、つまり神様のお引っ越しが行われます。内宮は10月3日です。午後8時に行われますが、関係者でないと見られません。外宮にある「せんぐう館」で遷御の儀の模型や様子が見られますがまさしく幽玄の世界。 

知らない人も多いのですが、遷御の儀が行われる日の午後1時からは引越準備で参拝はできません。伊勢神宮の参拝を考えている人はご注意を。10月6日(日)午前5時から新しいお宮で参拝できますので、この日は参拝客でごったがえすでしょうね。 

正宮に参ってから階段を上がって多賀宮をお参りしてきました。こちらも新宮が出来上がっていました。多賀宮は豊受大御神の荒魂(あらみたま)を祭っていて少々個人的お願いは多賀宮でお願いします。正宮は和魂(にぎみたま)を祭っていて、国家全体を祈願します。 

大乗院庭園(奈良)

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    三連休の間に書かないといけなかった原稿が無事、日曜日に仕上がったので、今日は奥さんと奈良へ出かけてきました。 

    近鉄奈良駅で降りて、ならまち~元興寺~大乗院庭園~新薬師寺~興福寺・国宝館と巡ってきました。新薬師寺の萩はまだはやかったですね。興福寺・国宝館には東京で展示中の山田寺仏頭はなく、代わりに薬師如来が展示されていました。阿修羅像のあたりはあいかわらずの人だかり。 

    元興寺からちょっと行った、大乗院庭園は将軍足利義政の同朋衆で、作庭の第一人者であった善阿弥が作った庭。明治時代に売却されたので敷地の一部が奈良ホテルのテニスコートや道路などになってしまいましたが、発掘され当時の姿に整備されています。 

    興福寺から春日大社へ向かうルートからは少しはずれていますので観光客はほぼいません。飛火野よりものんびりできる庭ですので、おすすめです。ただし鹿はいません。

ヱヴァンゲリヲンと日本刀展

eva201908.jpg今日は朝から原稿書き。 

ようやく一段落したんですが、もうちょっとやっといた方がよいのでお酒は我慢してコーヒー飲んでます。 

昨日、中之島図書館の帰りによってきたのが大阪歴史博物館。ここの常設展は見応えがあって、最初のオープニングが何回見てもいいですね。難波京で橘諸兄が諸官の前で宣言するシーンがあるのですが、次に難波京を俯瞰するシーンになって、時代の流れとともにだんだんと現代の姿になります。そしたら窓が開いて、現在の難波京が同じように見えます。なかなか考えています。 

常設展はそうでもなかったのですが、混んでいたのが「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」。ヱヴァンゲリヲンで使われている刃物などを日本刀の刀匠が再現したものです。ロンギヌスの槍は圧巻でした。作品はほとんど撮影OKなんだものですからカメラやスマホ片手の若者で混雑していました。 

日本刀という異色のものとコラボレーションしたところがマーケティング的にうまいですね。海外で展示したら話題になるでしょう。

沢村栄治のお墓

sawamura201309.jpg沢村栄治といえば伝説の速球投手。プロ野球の最優秀投手には毎年、「沢村栄治賞」(沢村賞)が贈られます。 

巨人軍で活躍した投手ですが戦争で右肩を痛め、日本に戻ってからは肩を痛めたのでサイドスローに転向。3度目のノーヒットノーランを達成しています。すごいですね。 

また徴兵されて日本に戻ってきましたが体はボロボロ。巨人に復帰しましたが成績はふるわず巨人からは解雇されてしまいます。そして3度目の徴兵で戦死。 

沢村栄治は伊勢市生まれで生家跡は近鉄・宇治山田駅の目の前にある明倫商店街を抜けたところにあります。商店街入口に「沢村栄治誕生の街」と看板があるし、商店街の中にも案内があるので、よく分かります。 

実はお墓も伊勢にあります。実に分かりくいところで案内も何もありません。伊勢の企業へ行くついでに知り合いに連れていってもらいました。沢村栄治のお墓はボールの形で、前面に巨人の「G」、後面に沢村の背番号「14」が刻まれていました。27歳という若さで亡くなったんですね。 

古墳が大学の中に!

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    名古屋市新事業支援センターがある吹上ホールから少し歩くと名古屋工業大学があります。 

    大学の校舎が立ち並んでいる真ん中に通常ですと中庭があるんですが、名古屋工業大学には古墳があります。直径36メートル、高さ8メートルの円墳ですが、もともとは前方後円墳だったのが方墳が失われてしまったようです。 

    大学内には時計台などの目印になるランドマークがあるんですが、古墳がランドマークの大学は名古屋工業大学ぐらいでしょうね。古墳を残しながら、うまく校舎配置したものです。 

    一本松古墳と名付けられていますが大学のあるのは御器所台地という高地になり、古代は眺めがよかったでしょうね。近くの鶴舞公園横には東海地方最大の円墳・八幡山古墳があり、吹上ホールのあったあたりにも2つの古墳がありましたが、前身の名古屋刑務所を作る時に壊してしまったようです。古墳の霊を追悼する吹上観音しか残っていません。 

    大学には古墳に登ると留年する(単位を落とす)という伝説があるそうです。

秀吉のお母さんの家

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    豊臣秀吉は名古屋駅から少しいった中村で生まれました。現在は中村公園になっていて秀吉清正記念館があります。 

    秀吉のお母さんは仲(なか)という名前ですが、秀吉が出世しちゃいましたので大政所と呼ばれています。織田家の雑兵だった言われる木下弥右衛門のもとに嫁ぎ、秀吉が生まれます。夫が死んだあとは竹阿弥と再婚し、堺屋太一が「ある補佐役の生涯」として描いた豊臣秀長が生まれます。 

    竹阿弥とソリがあわなかった秀吉は15歳の時に家出。秀吉が生まれた尾張の織田家といえば、まだまだ中小企業で、武士を目指すのなら、大企業であった今川家への仕官が王道。浜松では、今川家の幕下であった松下加兵衛に運良く仕えることができました。 

    紆余曲折があって織田信長に仕えることになりますが、秀吉は桶狭間の合戦以来、零落していたかつての主君、松下加兵衛を遠江久能城1万6千石の大名にしています。最初の武家奉公を教えてくれた、その恩義に報いています。 

    さて秀吉のお母さんの大政所ですが、出身地は御器所だと言われています。住宅地の真ん中に小さな公園があり御所屋敷跡とありますが、まあ伝説にちかいでしょうね。