三重で多い名字が伊藤。
平安時代後期、藤原氏が朝廷中にあふれたため、新しい名字を名乗りました。伊勢守となった尾藤基景が起こしたのが伊勢守と藤原を組み合わせた伊藤という名字で、濃尾平野一帯で広まりました。松坂屋の創業家も伊藤です。
斎藤さんの故郷も三重県です。伊藤と同じく藤がつくので藤原氏の末裔。伊勢神宮へ奉仕するのが斎王で天皇の内親王または女王(親王の娘)が任命されました。斎王に仕えるための役所があり、これが斎宮寮。藤原北家だった藤原叙用(のぶもち)が斎宮寮のトップである斎宮頭になったところから斎宮の斎と藤原の藤から斎藤を名字にしました。
全国の斎藤さん、伊勢神宮参拝のついでに故郷である斎宮跡に立ち寄られませんか。ただ近鉄の普通しか止まらない駅になっています。斎宮歴史博物館や奈良時代から続く古道、復元された当時の道などがあります。
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津の難読地名 万町
津の難読地名の一つ「万町」。
三重会館や都ホテルがある中心市街地から安濃川に架かる塔世橋に向かい、橋の手前あたりの町名で、「よろずまち」と読みます。
参宮街道で賑わったとことで、町屋が立ち並び、最初は「かや町」と呼ばれていました。茅のおいしげる野原にできた町に由来しています。さらに発展して、いろいろな商家や宿屋が軒をつらねたので「よろず町」と呼ばれるようになります。
幕末にはお台場が置かれ、川をさかのぼってくる異国船に対応するため砲台が設置しましたが、一度も使われなかったようです。
塔世橋の塔世は川向うにある四天王寺は聖徳太子が建立したと伝わっていますが、当時、塔があり川の瀬に映った塔瀬からきているようです。織田信長の母である土田御前の墓があることで有名。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では大谷直子が演じています。
物部神社(名古屋)
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今日は名古屋市中小企業振興公社で長年、常務を勤められた方の送別会があったので参加してきました。
開始まで時間があったので、まずは千種にある高牟神社へ。ここは尾張物部氏の拠点があったところ。またすぐ近くぬ物部神社があります。そのまま名古屋駅前に移動して送別会に参加。今から大阪へ戻ります。木曜の近鉄特急はさすがにすいています。
三宮の地名の由来となった三宮神社
神戸の中心と言えば三宮ですが、三宮という地名は三宮神社からとられました。航海の安全と商工業の繁栄を守る神さんです。
三宮センター街のすぐ近く、古い建物が多い旧l居留地にあり、目の前はトアロード神戸です。旧居留地にあった三宮神社の前で起きたのが神戸事件。慶応4年ですので明治に改元される年です。西宮の警護に大砲をひいて向かう備前藩の行列の前をフランス人水兵2人が横切ったことから、フランス兵に軽傷をおわせてしまいます。生麦事件と同じ構図です。
交渉となり列強ともめにもめましたが、備前藩関係者の切腹で決着しました。朝廷は徳川幕府から明治政府への政権移譲を宣言していなかったので、あわてて明治新政府への政権移譲を表明。神戸事件は明治新政府となり初めての外交事件となりました。
三宮神社の境内には当時のものと同型の大砲が置かれています。
日本一低い天保山を登頂
奈良へ
奈良へ。
近鉄で西大寺駅を過ぎると平城京跡が見え、復元された大極殿、朱雀門、遣隋使船が車窓から見えます。東院庭園の真向かいにはイトーヨーカドーが見えますが、昔は奈良そごうの建物でした。豪華絢爛な隠し会長室があったことで有名です。
平城京時代から一等地で、当時は長屋王の邸宅跡。ですので「そごう」が破綻した時には長屋王の呪いだと、まことしやかに噂が流れました。
近鉄奈良駅で古くからの診断士仲間と合流し、駅から徒歩すぐの野菜ダイニング「菜宴」で昼食。日替わりがなかなかよかったですね。夕方から仕事が入っていたので途中で抜けて、大阪へ戻ってきました。