21歳でなくなった北畠家の貴公子

kitabatake201309.jpg東天下茶屋の安倍晴明神社から少し行ったところにあるのが北畠公園という小さな公園。 

北畠公園の中に北畠顕家(きたばたけあきいえ)のお墓があります。北畠顕家は「神皇正統記」で有名な北畠親房の長男。16歳で陸奥守に任ぜられ、鎮守府将軍として奥州にいたのですが足利尊氏が後醍醐天皇と敵対すると上洛して新田義貞・楠木正成とともに九州へ追い落としました。この後、また奥州に赴任しています。 

ところが勢いをも盛り返した足利尊氏が九州から攻め上ってきました。そこで奥州より再度上洛。各地で転戦し、岐阜の大垣では足利方を大いに破りましたが、高師直軍との阿倍野での合戦後、堺の石津で戦死し東天下茶屋に葬られたそうです。 

北畠親房の三男である北畠顕能が伊勢国司となったことから、伊勢の北畠氏が始まります。長い間、南北朝に分かれて争っていましたが和解し、双方から順番に天皇になるという約束ができました。 

ところが足利幕府が約束を反故にしてしまいます。そこで伊勢国司北畠家の第3代当主だった北畠 満雅(きたばたけ みつまさ)が挙兵し、幕府軍とぶつかります。北畠満雅は津市の南にある雲出川において幕府軍を大敗させますが、その後、津の中心街にある「岩田川での戦い」で敗れ、北畠満雅は戦死してしまいます。こちらは津の阿漕駅の近くに碑だけ建っていてお墓はありません。 

あべのにある安倍晴明神社

abeno201309.jpg午前中は専門家派遣で大阪の企業さんへ。天王寺駅から阪堺電車(チンチン電車) に乗って3駅目の東天下茶屋駅へ。 企業さんへ寄った後に神社へ行ってきました。

駅のすぐ近くを熊野街道が通っています。熊野街道というのは大阪から熊野本宮へお参りする参道道で途中にマイルストーンとなる王子社があります。この熊野街道から近鉄百貨店あべのハルカスが見えますが、このあたりも「あべの」と呼ばれています。 

「あべの」の知名の由来は諸説あるんですが、有名なのが古代にこの地を領有していた豪族・阿倍氏の姓からとする説です。 

安倍晴明神社と言うと京都が有名なのですが、大阪は生まれた所に神社があります。安倍晴明は葛の葉という狐の子として有名。安倍晴明のお父さんが狩人に追われていた白狐を助けますが、この白狐が葛の葉で、やがて恋仲となり生まれたのが安倍晴明。ただ正体がばれると「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という一首を残して信太の森へと帰っていきます。 

やがて成長した清明は陰陽師となります。神社には狐の像もありますし、やっぱりシンボルマークは五芒星ですね。

南朝の祟りでできた湊川神社

三宮のサンパルにある、ひょうご産業活性化センターへ。今日も暑かったですね。 

サンパル近くにあるのがJR三ノ宮駅で、次の駅が元町、その次が神戸駅です。この神戸駅知覚にあるのが湊川神社。足利尊氏と戦い、敗れた楠正成を祭っています。「兵庫県謎解き散歩」という本を読んでいたら、この湊川神社について面白いことを書いていました。 

南北朝の騒乱の後、室町幕府から戦国時代となり、やがて江戸時代になります。天皇は国をおさめているわけではなく、武家が実政権を握っていました。形式上は政権を天皇から預かるという形です。

幕末に起きたのが王政復古の大号令。将軍、徳川慶喜は政権を朝廷に返してしまいます。天皇が統治するという鎌倉幕府以前に戻ってしまいました。ここで問題になったのが北朝方の天皇が連綿と続いている事実。南北朝統一の時に南朝をだましたこともあり、怖れたのが南朝の祟り。そこで楠正成の塚があったところを神社にして鎮めることになり誕生したのが湊川神社だったそうです。 

弥な屋さん

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午後は四日市商工会議所でIT窓口相談。お盆の真っ最中ですが、相談はあるんですねえ。
商工会議所へ行く前に商店街にあるお祭り道具専門店「弥な屋」さんへ顔を出してきました。入口に法被の暖簾がかかっていますが、法被ではなく、特注で作ってもらった法被型暖簾なんだそうです。
「弥な屋」さんと言えば、三重県人にとっては中日新聞の広告でよく見ております。あの広告は娘さんがモデルなんですが、もうだいぶ大きくなられたそうです。

葉っぱがシェフ 尾鷲

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    久しぶりに尾鷲へ出かけてきました。 

    尾鷲と言えば雨の多い土地として有名で、ふつうの地域の3倍ほど雨が降ります。日本では鹿児島県「屋久島」に次いで、2番目の雨量の多さになります。雨がよく降るので木が生育し、尾鷲ヒノキとなります。今日は雨も降らず、暑かったですね。 

    お昼は「葉っぱがシェフ Jomonレストラン」。尾鷲駅から近いのですが、少し分かりくい所にある隠れ家風レストランで、夫婦二人でやっています。レストランの裏が山になっていて、そこに野草園が拡がっています。 

    穴が開いた特殊な鍋に裏の野草園でとった野草をひいて、紀州岩清水豚肩ロースを置いて焼いたのがJomonランチ。野草の香りと豚の脂が野草に落ちて、さっぱりした味に仕上がります。行くと、この石清水豚のランチばっかり頼んでいますね。他にもカレーなどがありますが食べたことないなあ(笑)。 

    窓の向こうに野草園が見え、落ち着く空間でもありスローフードレストランとしても有名。今日はお客さんで一杯でした。 

    スーパーに寄ってサンマ寿司を買おうかどうか迷ったのですが、さすがにこの暑さですので、大阪まで持って帰るのはあきらめました。

昔は海のすぐそばだった住吉大社

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    大阪では「すみよっさん」と呼ばれている住吉大社。大阪市内を南北に走る上町台地の南端部分にあたり。住吉大社付近で6メートルぐらいの高さになっています。 

    今では海岸線は、はるか遠くになりましたが古代はすぐ近くまで海。仁徳天皇が難波高津宮に都を定めた頃には住吉津が登場しています。当時は白砂青松という白い砂と松並木が続く海岸だったようで、その頃には神社ができていたようですね。社伝では神宮皇后が住吉大神を住吉の地にお祭りしたとなっていますが、祭られているのは海の神様です。 

    日本書紀によると継体天皇時代に百済からの任那4県割譲要求があって、これを了承。ところが欽明天皇の時代になると、これが問題化し物部尾輿と共に責任を問われました。大伴金村は引退して住吉の館に入ったとあるので、この住吉は大友氏の拠点だったんですね。

吹上駅の伝言板

dengonban201307.jpg名古屋市地下鉄・桜通り線の吹上駅の改札を出たところに伝言板があることを発見。よく前を通っているのに、なかなか気づかないものですね。

「駅に着いたら電話する」と携帯を使って連絡するのが当たり前で、すっかり出番がなくなった掲示板です。昔は事前に、何時にどこで待ち合わせると事前に連絡して確認しあうのが当たり前で、もし遅れた場合はどうするなどの取り決めまでしていました。掲示板に書くなんてのも一つの手段。考えてみたら便利な世の中になったものです。

反対に「ごめん5分ぐらい遅れそう」と簡単に連絡できるので、遅刻する人が増えた気もします。

「シティーハンター」というコミックでは、駅の掲示板に「XYZ」と書いて依頼するシチュエーションがありましたが、昭和の漫画になってしまいましたね。

本薬師寺跡

honyakusiji201307.jpg土曜日に畝傍御陵前駅近くでセミナーでしたので、近くにある本薬師寺跡へ行ってきました。写真は塔跡から見た畝傍山です。 

大和三山に囲まれた地域で古代には藤原京がありました。西ノ京に薬師寺がありますが、平城京遷都の時に移転しましたので、、ここは「本薬師寺跡(もとやくしじあと)」と呼ばれています。 

本薬師寺跡は住宅街を抜けたところにあり、入口に案内がなければ通り過ぎるところでした。小さなお堂と金堂の礎石が残っています。周囲は湿地帯になっていて2つ盛り上がったところがあり、ここが塔跡で、こちらにも礎石が残っています。伽藍配置は西ノ京の薬師寺と同じだったんですね。 

680年、、天武天皇が鵜野讃良(うののさらら)皇后【後の持統天皇】の病気平癒を祈願して建立されました。従来は平城京への移転説が主流でしたが、発掘調査によるとしばらく併存していたようで、今は西ノ京の薬師寺は移転ではなく新築説が有力です。ただ本薬師寺と同じ古い瓦が出たこともあり、、西塔は藤原京からの移築だったとする説もあるようです。 

夏越の祓

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    本日は1年のちょうど半分。枚岡神社の夏越の祓(なごしのはらえ)に行ってきました。 

    朝にお参りに行って、紙の人形(ヒトガタ)「に家族の名前と生年月日を書いて、先に奉納しておきました。夏越の祓は15時から。日曜なので人が多かったですね。 

    「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」と歌いながら茅の輪を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通ってケガレを祓ってきました。 

    最後に皆で大祓詞をあげながら人形を火で焼いて終わり。人形に名前を書いて祓うということは平城京時代と変わりませんね。もともとは701年の大宝律令から始まった行事ですので、1300年以上続いています。

たまには近くの企業相談もいいものだ

beer201306.jpg午前中は原稿書き、午後は専門家派遣に出かけていました。 

珍しく、地元の東大阪商工会議所からの依頼で、企業さんの場所を聞いたらウチのすぐ近く。「近くなので歩いていきます」と言ったのですが、「いやいやお迎えに行きます」ということで商工会議所の車で企業さんへ。ほんまに、すぐ近くでした。と言うか時たま散歩に通るところでした。(笑) 

迎えに来てもらった経営指導員に聞くと、案件に対して東大阪をキーワードに専門家を探したそうです。データベースでは細かい住所まで出てこないので、まさかこんなに近い専門家とはと驚いていました。驚いたのは住所を聞いたこっちもです。 

いつもは三重の大田舎、名古屋、神戸など遠方の企業さんが多いのですが、たまには近くもいいもんですね。帰りは歩いて帰ってきました。 

今日の仕事はこれで終了なので、一杯はじめています!