どんと焼き

suwa201201.jpg四日市商工会議所へ行く途中、諏訪商店街の中にある諏訪神社に初詣。昔の東海道に面した神社で古社です。

境内にはどんと焼きの準備のため、注連縄やお守りが積み上がっていました。子供の頃、家から棹に網をつけ、餅を持って神社へ行っていました。どんと焼きで焼いたお餅を食べると無病息災で過ごせるという風習があり、よく焼いていましたね。

どんと焼きですが地方によって呼び方が違い、一般的には左義長と言うんですね。信長が安土の左義長で爆竹を鳴らしながら派手な行進をしたことが朝廷にも伝わり、京都で行われたのが馬揃えです。

さてウチの注連縄も明日、石切神社に持っていかなければ!

明治製菓の巨大看板

meiji201201.jpg昨日、摂津富田へ行ったついでに明治製菓の巨大看板を見てきました。

JR京都線に乗っている人にとってはおなじみの看板です。サイトを見ると高さ27.6メートル・幅165.9

メートルとあります。これがチョコレートの形をしているのでインパクトありますね。

高槻駅の1日あたりの乗降客数が14万人、摂津富田が5万4千人ですので、おそらくJR京都線で通過している人は1日100万人以上。毎日、ミル
クチョコレートを見て通勤、通学しますので、絶対に意識に刷り込まれてチョコレートを食べたくなることを想定したのかなあ。バレンタインに関西圏のミルク
チョコレートの売上が上がると効果大なんですが。(笑)

でも明治製菓の大阪工場がどこにあるか知名度はかなり高まりました。この看板、明治ミルクチョコレートの約38万枚分でビッグミルチと呼ばれています。もともと社内で明治ミルクチョコレートをミルチの愛称で呼んでいたそうです。

今城塚古墳

imaki201201.jpg午前は向日市でお仕事。午後は摂津富田で途中下車して今城塚古墳へ。いろいろと学説がありますが本当の継体天皇陵ではないかと言われている古墳です。

天皇陵に指定されていないので発掘が進んでいて、いろいろな発見につながりました。現在は公園として整備されています。周囲には円筒埴輪がずらっと並び、なかなか壮観ですね。前方後円墳そのものにも登れますが、大きすぎて全体をつかむのは難しく、まさしく山ですね。

周囲をめぐる堀の外に周濠がめぐっているのですが、一角が広くなっていて、家・大刀・盾・人物・動物などで190点近くの埴輪が並んでいました。その部分も復元されています。埴輪は全部で6千点ほどあったそうです。

戦国時代、古墳は二重に堀がめぐっていたこともあり織田信長が三好一族を攻めるための砦を築いていました。そこで今城という名前になったようです。

古墳のあるあたりは氷室町という名前で古い土地なんですなあ。

商売繁盛で笹もってこい

nukata201201.jpg本日は本エビス。

家から歩いてすぐの所にある額田戎神社へ行ってきました。いつもは閑散とした神社なんですが、この3日間だけは参拝客で賑やかです。地元の戎神社ですので、今宮さんほど混雑することもなく地元の商工業者がお参りしているだけです。

戎神社にはイザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)を祭る神社と大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことし
ろぬしかみ)を祭る神社があり、西宮は蛭子命を、今宮戎神社は事代主神を祭っているそうです。額田戎神社の由来を見ると、事代主命を祭っているそうで、夢
のお告げで西宮のえべっさんを勧請したということなんですが、なんで事代主命なんかなあ。江戸時代にも夷大明神と記録があるので、地元にずっとあった戎神
社のようです。

えべっさんは元々は漂流神で、海水で中耳炎になり耳が遠くなったそうです。ですので本殿でお参りした後、本殿の裏にまわって木戸をたたき再度、お願いをします。(今宮では木戸でなくドラになっています)

縁起物を買って帰ってきました。また1年間、がんばろう!

清盛楠

kiyomori201201.jpg清盛楠。何回も外宮へ行っていますが、こんなものがあるとは知りませんでした。場所は表参道の火除橋を渡った手水舎の反対側。

平清盛が勅使として伊勢神宮へ来た時、冠に当たった枝を切らせたという逸話があるそうです。ですが何の案内もないので、調べていかないと分かりませんね。

大河ドラマは「平清盛」なので、どこかで紹介されるかもしれませんね。平清盛のお父さんは平忠盛ですが生まれたのは津市で、津の産品に忠盛塚が
残っています。この地域には殿村という名前がありますので伊勢平氏の本拠だったのでしょうね。伊勢平氏の強みは伊勢の海運だったので神戸の湊や瀬戸内海航
路の開発につながったのでしょうね。

奈良の正月

nara20120103.jpg1月2日&3日と奥さんの実家の奈良へ。最近は興福寺近くの飛鳥荘に泊まり、親戚が集まるスタイルになっています。

まずは春日大社へ初詣。奈良駅からずっと人の列が続き、神社の境内にはずらっと屋台が並んでいます。去年は入口階段で入場制限していたのですが、今年は入場制限なく、そのまま入れました。やっぱり境内は人でごった返していました。

飛鳥荘にそうそうに戻り、16時から大浴場に入れるので、さすがにこの時間から入っているお客はいませんでした。(笑)広々としたお風呂でのびの
びと。夜は露天風呂へ。飛鳥荘の目の前が興福寺の五重塔なので、露天風呂からライトアップされている五重塔が目の前に見れます。なかなか幻想的。食事は正
月仕様になっていて、なかなか華やかなんですが量が多かったですね。

朝は夜明け前の興福寺に行ってきました。南円堂は7時前からお参りする人が多いんですね。お坊さんの般若心経の声が響いていました。高校ラグビー
チームが奈良のいろいろな宿舎で合宿していますが、南円堂に30名ほどがお参りしていました。今日にでも花園で試合があるのでしょう。

枚岡神社初詣

hiraoka20130101.jpg今年は津へ帰省せず東大阪で年越し。紅白歌合戦が終わってから河内一ノ宮である枚岡神社へ出かけてきました。東大阪に住んで正月にお参りするのは初めてで
すね。境内は祭り並みにすごい人でした。いつもは閑散としている境内ですが屋台も出ていました。歩いていると除夜の鐘がいろいろなところから聞こえるのが
いいですね。

境内の端に列があったので並んでいるとこれがお神酒をもらうための列、並んでいると杯が配られ、お神酒をいただきました。杯は持ち帰りができるんですね。

枚岡神社の本殿には石段を上がるのですが、参拝者が多いので入場制限しながらのお参りでした。上のお守り売り場もすごい人でした。子供のお守りを買って初詣は終了。さて、今年はどんな年になるのでしょうか。

初詣準備中の伊勢神宮

ise20111221.jpg今日はずっと伊勢の企業さんへ行っておりました。

早めに伊勢に出かけて早朝の外宮へ。外宮参道には献燈や奉祝と書かれた提灯がかかっており、初詣準備が進んでいます。伊勢神宮入口の勾玉池に建設
中のせんぐう館は外観が出来上がっていて、初詣期間中は休憩所だけ先行開放されるそうです。せんぐう館が出来るので衛士見張所が火除橋の反対側に新築され
て移っていました。

御正殿への参拝出入りはいつもは一箇所ですが、初詣ではすごい参拝客になりますので1ウェイになるように出口を作っている最中。お参りして多賀宮(荒魂)をまわって外宮前のバス停に行くと、ここも内宮行きのシャトルバス乗場作りをしていました。

今年もいよいよ押し詰まってきましたね。

伊賀国庁跡

iga201112.jpgJR関西線に乗って佐那具駅へ。伊賀の企業さんを回ってきました。

佐那具駅の近くにあるのが古代伊賀国府の国庁跡。木津川の支流の一つである柘植川のすぐ近くの丘の上にあります。あるのは知っていたのですが、
JRを待つ時間にちょっと行ってきました。と言っても何もない田んぼで、近くに説明板が一つあるだけです。関西線のすぐそばで小高い丘になっていて眺めが
よいところです。

壬申の乱の時、大海人皇子が吉野を出て名張から今の伊賀神戸に入り、北上して伊賀国分寺、敢國神社を通って山にぶつかるところにあるのが伊賀国庁。ここから東に入り関経由で桑名へ向かいました。

地元でも知られていない河内寺(東大阪)

河内寺
大阪市内から東大阪に移り住んで20年。住んでいる一体は枚岡ですが、もう少しせばめると額田という土地です。渡来人の古代豪族、額田首が住んでいたあたりで額田王はこのあたりの出身ではと言われています。
少し北へ行くと日下(くさか)があり、昔はここまで河内湖になっていて楯津という港がありました。神武天皇が奈良へ攻めいって長髄彦(ながすねひこ)に敗退し、日に向かって攻撃したから負けたんだとと言って熊野へ回り込みます。
河内寺
南北朝の戦いでは四條畷の合戦がありましたが、楠木正行(正成の子供)の本陣がおかれていたあたりになります。大坂・夏の陣では家康の本陣がおかれていました。今は公園になっていて牌だけが建っています。
そんな歴史深い土地なんですが、こないだ郷土の歴史をいろいろと見ていたら、すぐ近くに河内寺という寺院があったそうです。飛鳥時代後半に創建さ
れた古代寺院で、古代の河内を支配した一族河内連(むらじ)の氏寺です。四天王寺形式で塔や金堂が建ち並び、回廊がめぐっていました。鎌倉時代まで残って
いましたが、どうも土石流で埋もれてしまったようです。水害があったんでしょうね。2008年に国史跡に指定されていますが、地元でもほとんど知られてい
ない幻の寺なんだそうです。
いやあ、20年間ほど住んでいますが、そんな寺があったとは全然知りませんでした。天智天皇のとき、河内直鯨(かわちのあたい・くじら)が、遣唐使として派遣されています。
お酒のストックがなくなったので地酒屋さんに行く途中に河内寺跡に寄ってきました。場所は瓢箪山駅を出た近鉄電車が生駒山(奈良)へ向かって坂を
登りながら左へカーブするところです。一体は埋め戻されてフェンスに囲まれた空き地になっていました。河内寺跡などの看板はどこにもなく、そら地元の人間
でも分かりませんは!なにもない空き地で写真を撮っていたら、絶対に不動屋さんの間違えられますなあ。