大阪南港ATCへ

atc201104.jpg今日は仕事で大阪南港のATCへ。地下鉄中央線で一本で行けるのですが、ほとんど端から端まで乗るので、けっこう乗りごたえがあります。また電車は一本ですが近鉄東大阪線-地下鉄中央線ー大阪港トランスポートシステムと3つの路線にまたがっているので料金が高くなります。

平日は閑散としていますが、さすがに土曜日はけっこう人出があります。家族連れなどが多いですね。なぜか分かりませんがコスプレ姿の女性が多いですね。なんか催しものでもあるんですかねえ。

ATCにはサンフラワーの乗船口があり、手前には帆船が止まっています。

桜(枚岡公園)

sakura201104.jpg近鉄・奈良線に大阪から乗ると、瓢箪山駅を過ぎたところから生駒山沿いにだんだん上がっていきます。枚岡駅、額田駅、石切駅を通り、その先は生駒につながるトンネルになります。石切駅あたりからは大阪がずっと見渡せて冬の夜は夜景が名所です。

枚岡駅、額田駅あたりが枚岡公園になっていて、とくに額田駅を降りて枚岡公園へ登る道は桜並木になっています。少し葉桜になっていましたが、なかなか見事でした。

枚岡公園は生駒山に拡がる公園なんですが、大坂から暗峠を超えて奈良に至る街道が通っていて、これがとっても古く奈良時代に作られた道です。今も暗峠には石畳の道が残っていてハイキングコースになっています。

津城の桜

tsu201104.jpg伊賀や奈良の室生口大野あたりの桜はまだまだツボミですが、津はちょうど満開。津城跡に行くと、桜がきれいに咲いていました。

津には戦国時代から城がありましたが、石垣や堀をめぐらせて城を整備したのが織田信長の弟である織田信包。天守閣もありました。浅井長政が滅んでからお市やお江が身を寄せていた先になります。

豊臣政権になってからは富田氏が入りました。あまり知られていませんが関ヶ原の前哨戦が津城で行われました。西軍方の毛利秀元・安国寺軍などの大
軍に攻められて天守はこの時に燃えてしまいました。富田氏の奥方まで武者姿になって奮戦しましたが多勢に無勢、和睦が成り立ち開城。

やがて築城の名手・藤堂高虎が入城し、大規模な水城に大改修。湖のように大きな堀でしたがほとんど埋め立てられて一部の堀しか残っていません。

日本海海戦が終わった後、連合艦隊を引き連れて東郷平八郎は津に上陸。水軍の将であった藤堂高虎を尊敬していたようです。上陸した後、阿漕駅から将兵を率いて伊勢神宮へ戦勝報告に向かいました。ドラマ「坂の上の雲」には、絶対出ないシーンでしょうねえ。

というようなことを思いながら桜が咲く城跡を散策するのもいいものですね。

関西本線でハイキング客でいっぱい

iga201104.jpg朝から伊賀の企業へ

JR奈良駅で加茂行きの電車を待っていると高齢のハイキング客がけっこう待っていました。まずいなあ、関西本線に乗るのかなと思っていたらピンポン(笑)

加茂行き快速急行は大阪から8両編成で到着し奈良駅でほとんどが降りるので奈良から加茂まではガラガラですが、加茂から亀山までの関西本線はロー
カル線で2両編成か1両編成のレールバス。加茂行きは確かにガラガラなんですが、加茂駅で関西本線に乗り換えるとラッシュ状態になります。

冬に乗ると地元の人間しか乗っていないのですが春、秋の行楽シーズンは毎年ラッシュ状態になります。立っている方も多いのですが皆さん、高齢ながら歩こうといく方なんで元気ですね。

あと困るのはイコカが通じないことです。関西本線はほとんど無人駅ですのでイコカは使えません。関西では珍しいので奈良駅などからイコカで乗って
くるハイキング客が多いこと。というわけでハイキングコース入口である島ヶ原駅や月ヶ瀬口駅で、運転手さんがイコカの記録を消すための証明書を手書きして
います。降り口が列になってしまい発行のためにけっこう駅に止まっているのですが、伊賀上野駅の待ち時間を長めにとっていますので、うまくバッファーに
なっていますね。島ヶ原駅を降りるといつものようにガラガラになりました。

盆地で寒い伊賀上野では、桜はまだつぼみでした。

花見

F11-04-07.jpg中小企業診断士で構成しているファイティング・コンサルタンツ恒例の花見を土曜日に開催。まずは天満橋駅に集合して買出しです。

昨年までは事業で稼いだ剰余金があったので大盤振る舞いの買い物でしたが、最近はウダウダと会をやっていて、全然稼いでいませんので剰余金がなくなってしまい割り勘(笑)。こうなると値段にはシビアですねえ。

さてお酒などを買い込み天満橋周辺の大川へ。桜並木がずっと続いています。桜は五分咲きですが、花見客はほとんどいませんね。いつもはたくさん出
ている屋台も皆無。自粛ムードのせいですかねえ。こんなことでは経済がまわらんので、もっとお金がまわるようにしやなあかんと、そこは中行企業診断士らし
く議論になったのですが、途中から酔っ払ってウダウダに。大川沿いのベンチに座って寝込んでいるのもでてくるし、いつもの花見でした。

震災募金を集めるためにマーチングバンドが回ってきていましたので募金をしておりました。

神路通(伊勢神宮)

jinromiti.jpg午前中はホンダの4次下請けの相談。震災後に仕事がストップしてしまい既に3週間。アルバイトなどの扱いをどうしようという相談。三重にもいろいろと影響がではじめています。

午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談。ITという名前がついていますが、最近は経営相談ばっかりです。予約まで少し時間があったので伊勢市駅のすぐ近くにある月夜見宮へ。天照大御神の弟というとスサノオが有名なのですが、もう一人いて夜を担当する月の神様です。

ふだんは閑散としていますが、けっこうお参りする人が多かったですね。よく考えたら4月1日でしたので、朔日参りをする人なんでしょう。月夜見宮
の鳥居からまっすぐな道が外宮までのびていて、これが神路通り(かみじどおり)。文字通り神様が通る道です。真ん中は少し盛り上がっていて色が変わってい
るのですが、これは神様が真ん中を通るからです。ですので人は端を歩くのが慣習になっています。

今日はだいぶポカポカでしたが、近鉄電車から見ているといくつか田んぼで水が張られていました。そろそろ田植えなんですなあ。

ミネラルウォーターがない

S_cube.jpgS-CUBEの入居企業で聞いた話なんですが丹波山系で清水を汲み上げてペットボトルに充填している会社があります。個人事業より少し大きい程度で細々と片手間にやっています。ネットでも販売していますが、ほとんど売れません。(笑)

ところが首都圏で水道水から基準以上の放射性物質が検出されたという報道されてから注文がうなぎのぼり。受注生産で小ロットなので、さすがに対応できないため新規受注をストップしました。

場所はかなり山深い所にあるのですが、中には東京の家族へ送りたいからとじかに車で買いに来る人もいるそうです。大手なら分かりますが、こんな知
る人ぞ知るところまで影響が出ているんですね。日本一の清流・宮川村で「森の番人」という水のペットボトルを作っていますが、ホームページを見ると一週間
から十日ほど待ってくださいと出ていました。三重県人にもあまり知られていないメーカーですが、影響が出ているんですねえ。

東紀州の民宿屋の親父が、ミネラルが豊富だと近くの清水をペットボトルに詰めてネットで売っていますが、ここを知っている人はほぼ皆無ですので、さすがに影響は出ていないようです。(笑)

枚岡神社は四條畷の戦いの舞台

ume201103.jpgだいぶ暖かくなってきたので枚岡神社境内に広がる枚岡梅林へ。

枚岡は「ひらおか」と呼び、枚岡神社は近鉄奈良線・枚岡駅からすぐです。満開にはまだ少し早く、5分咲きでした。

梅林を歩いていると井戸があり、楠木正行ゆかりの井戸と説明書きがありました。説明によると梅林のあたりは四條畷の戦いの舞台になったところと書かれていました。

楠木正行は楠木正成の長男で、湊川の決戦に向かう正成と桜井の駅(島本町)で別れるシーンは昔から講談などで有名です。楠木正成がなくなった後、
南朝方を統率したのが楠木正行。足利方の高師直・師泰兄弟と戦ったのが四條畷の戦い。正行の本陣は枚岡神社から南に1kmほどいった往生院で、四條畷はだ
いぶ北になります。

四條畷には戦いにまつわる地名がいろいろ残っていますが、実際の戦は広範囲で行われたようです。枚岡も激戦地だったんですね。楠木正行は地の利がない戦いで勝ち目がないことはわかっていたようです。

シロモチ君

siromoti201103.jpg津駅から大阪へ戻ろうと津駅西口に震災の募金を呼びかける声が。

先頭にいるのは津に来て戦隊ツヨインジャー。ツヨインジャーは津の観光PRヒーローで西口にいたのは赤のツヨレッドでした。ツヨイエローとツヨブルーは東口にいるのかなあ。その後ろにいるのが津のゆるキャラ・シロモチ君です。

シロモチ君は三段腹の変わった格好をしているのですが藤堂高虎の出世の白餅に由来しています。

若い頃に浪人していた藤堂高虎が三河の餅屋で空腹に耐えかねてを無銭飲食しますが、主人から故郷に帰って親孝行するようにと諭され路銀まで与えられます。

やがて大名となった藤堂高虎が参勤交代の折に立ち寄り、主人に餅代を返すという人情話になっています。以来、藤堂藩では参勤交代では必ず、この店
に立ち寄り餅を食べるのが慣習になりました。藤堂高虎の旗指物はこの逸話から「三つ餅」。白餅は、「城持ち」に通じるという験担ぎもあるようです。この三
つ餅から作られたのがシロモチ君。

募金したらシロモチ君のステッカーがもらえました!

桔梗が丘へ

kikyou201103.jpg午後から桔梗が丘の企業へ。

桔梗が丘は奈良県との県境にある名張市にあり、近鉄が開発した住宅地です。大阪のベッドタウンの最東端になっています。一戸建ての広い家が買える
ということで人気で近鉄・桔梗が丘駅から大阪まで通う人が多かったのですが、通っていた世代も団塊の世代になってしまい、定期の利用者が極端に減ったそう
です。

桔梗が丘は近鉄が開発した地域ですが昔から奈良の桜井から初瀬街道が通っていて、伊勢神宮に仕えた斎王が伊勢へと赴いた道です。壬申の乱で東北へ
向かう大海人皇子が歩いた道でもあり古代の国道1号線ですね。次の美旗駅には古墳群があり、駅のすぐ近くに前方後円墳が今でも残っています。電車の窓から
見れます。前方後円墳の頂上へ登れますが、けっこう高く実に雄大ですねえ。