1969年に岩波書店から発売されたのが梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」で、この本に触発され翌1970年に発足したのが知的生産の技術研究会です。社外勉強会の先駆けとなりました。
東京以外に、いろいろと地方拠点があったのですが現在も続いているのが知研関西と知研岡山だけです。そこで昨年あたりからテコ入れが始まっていて、沖縄、九州、東北、宮島に新しい地方拠点が登場しています。
本日は代々木BVハウスで総会を開催。総会後は同じ場所で立食パーティでした。東京オリンピックとなる2020年は知的生産の技術研究会の50周年にあたるので、聖地巡礼ということで全国から国立民族学博物館(設立&初代館長が梅棹忠夫先生)に集まろうということになりました。日程は2020年10月17日(土)、18日(日)ですので関係者の皆さんは予定をしておいてください。
カテゴリー: 知的生産の技術研究会・関西
元吉本新喜劇女優が身に付けた、転んだ時の素早い立ち直り方
昨夜は知的生産の技術研究会・関西のセミナー。
オフィスわんさか代表の木村美季さんに「元吉本新喜劇女優が身に付けた、転んだ時の素早い立ち直り方」というタイトルでお話いただきました。
■時代劇女優~NSC
アイドルを目指し、高校2年生から20歳まで東映京都撮影所の時代劇女優。暴れん坊将軍や銭形平次の通行人や端役をやっていましたが、きれいな服を着る町娘などの役はなく汚れ役ばかり。そんななか太秦映画村で仕事もできると南京玉すだれを会得。巡り巡って、ウン十年後に地元の茨木神社で役立つことになります。
次に20歳で入ったのがNSC(吉本総合芸能学院)11期生。1年間、漫才やコントを学ぶ専門学校のようなところで同期は陣内智則・中川家・たむらけんじ・ケンドーコバヤシなど。初日のオリエンテーリングで終了間際に、講師が「ネタを作ってきているものはいるか」との問いに手を挙げたのが中川家の2人。初日から漫才を披露し、片鱗をうかがわせました。また、当時のたむらけんじは痩せてて、おっかけがいるようなイケメンだったそうです。
その後、吉本新喜劇の若手団員に。全員でこける時は膝ではなく肩からこけるという練習もあったそうです。MBSの深夜番組「テレビのツボ」2期目のチャンネル君としても活躍していましたが、25歳の時、「一生の仕事にする!」と心に誓った矢先「今日でクビ!」と宣言されてしまいます。
■居酒屋開業
あまりのショックに引きこもりになりますが、ご縁があり結婚。料理人の夫の夢は自分の店を持つことですが、貯金はなし。なんやかんやで夫婦で居酒屋を開業したため新婚でいきなりの貧困生活を経験します。ようやく店が軌道にのってきたところで夫が急逝。その後、串揚げわんさかに業態を変化させて女将をつとめます。現在は飲食店経営の経験をいかし飲食店開業などのコンサルや「ほめ達」認定講師として夫婦円満の極意を伝授しています。
人生は「まさか」の連続。まず気持ちがふっきれるところまで落ち込み、次に食べて、最後に行動することが大切。失敗もネタにしてしまおうと少しずらして考えることで気持ちの整理がつく効果もあります。
セミナー後に堺筋本町の居酒屋で交流会を開催。ところが途中でトイレに行かれた講師が帰ってこない。特技は方向音痴だそうで、しっかりと迷っておられました。
あなたの知らないPowerPointの世界
昨夜は知的生産の技術研究会・関西セミナーを大阪産業創造館で開催。
「あなたの知らないPowerPointの世界-魅せるビジネスプレゼンテーションとは-」というタイトルでノヴェル・プレゼンテーション代表・河合さんにお話しいただきました。河合さんはMicrosoft MVP AwardのPowerPoint部門を2011年より8年連続受賞されている達人です。
なんせ幹事がずぼらで、予約制にしていないので何人集まるか当日にならないと分かりません。20人ぐらいかな~あと思っていたら、36名もの参加で会場はほぼ満員でした。
ビジネス・プレゼンといえばPowerPointが定番。ところが巷にあふれるのは箇条書きや文章が書かれたスライドばかり。スライドをただ読み上げるだけのプレゼンも多く、聞いている方は眠くなるだけです。これをパワポ死と言います。
その場ではわかった気になっても、記憶には残らず、人を動かすためのプレゼンにはなっていません。重要なのはプレゼンの「印象」。印象は記憶に焼き付き、人々を行動へと駆り立てます。どうすれば印象に残るプレゼンができるのでしょうか?
ということで、今年、執筆された「コピペで使える!動くPowerPoint素材集2000」(翔泳社)の技も駆使し、PowerPointでこんなことまでできるんだと紹介いただきました。
あなたの知らないドローンの世界
昨夜は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西のセミナーを開催。タイトルは「あなたの知らないドローンの世界~伸鉄業からロボット業へ大転換~」で講師は菱田技研工業株式会社の菱田社長です。
空撮などですっかりおなじみのドローンですが、操作する人は多くても実際に作っている方は少なく、橋梁検査などで実際に産業ドローンを作っている菱田社長にドローンの世界を解説していただきました。ドロドロした業界事情などもおうかがいしました(笑)。
さすがに会場で大きな産業ドローンを飛ばすわけにはいきませんので、こちらは動画で紹介。おまけとしてオモチャのドローンを飛ばすデモがありました。手で操作もできるし子供向けの簡単な言語でプログラミングもできるんですね。
1901年(明治34年)、八幡製鐵所第一高炉に火入れが行われ日本の鉄産業がスタートします。鉄が徐々に注目されだした1920年(大正9年)、菱田代表の曾祖父が大阪の九条で伸鉄業を始めます。紆余曲折があり、平成7年(1995年)に思い切って伸鉄業から撤退。業界紙である鉄鋼新聞に”老舗の菱田技研工業が伸鉄から手を引いた”と大きく掲載されます。こちらの歴史の話も面白かったです。
橋を架けるという仕事 プロデュース業
昨夜は知的生産の技術研究会・関西セミナーで、講師は新世界元祖ミックスジュース千成屋珈琲 四代目店主であり、株式会社フラップエンタテイメント代表 白附 克仁さんです。
知研関西にはよく登場してもらっていて5回目です。今回も部外秘の話などを、いろいろとお伺いしました。
■新世界の歴史
串カツ屋が4軒ほどあり、おっちゃんのたまり場だった。当時は食べた串の数で勘定したため床に串を落とすのもいれば、トイレには「串を流したら詰まります」と貼り紙もあった時代。食べている串カツを平気でソースに浸けるのもおり、「二度づけ禁止や!」とよく店主がどなっていました。
昭和4年創業の串カツだるまが閉店することになり、よく通っていた赤井英和氏による復活劇が始まります。これが15年前に起きた串カツブーム。ボクシング部後輩だった白附氏も巻き込まれます。現在、串カツだるまは16店舗となりフィリピンやタイまで海外展開しています。だるまの成功を見て次々と新世界に串カツ屋が登場し観光地となります。
■ミックスジュース復活劇
また麻雀屋が4軒、将棋屋が2軒あり昭和23年にフルーツ屋からスタートした千成屋喫茶店にはナポリタンやコーヒーなどの注文が多く、よく儲かりました。この千成屋喫茶も閉店となり、今度は白附氏による復活劇になります。
すっかり観光地となった新世界から絶滅危惧種となった”おっちゃん”が消えていくことになります。サンガリアが出している「みっくちゅじゅーちゅ」はもともとテレビが発端で、大人の事情があったんですね。これは知りませんでした。
あなたの知らないコッキンの世界
昨夜は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西のセミナー
「あなたの知らないコッキンの世界」というテーマで、大永コンサルティング代表の永井さんにお話しいただきました。独立前は大阪創業支援センター所長を長らく勤めておられました。
■創業融資
2008年に国民生活金融公庫、中小企業金融公庫、農林漁業金融公庫が合併して誕生した100%政府出資の金融機関が日本政策金融公庫です。教育ローンや事業者向け創業融資でお世話になりますが一番の特徴は創業者向けにビジネスプランで新規開業資金の融資を行っています。もともとは従業員独立支援資金だったんですね。
創業者との約1時間との面接で、どういうところを審査しているのかポイントなどをお話しいただきました。特に創業融資で300万円まではダメになってもサラリーマンに戻って返済できる額なので、「まずはやってみなさい」という姿勢で融資を応援する傾向にあるそうです。創業融資は全国で26,000件ほどあり、大阪では2,000件ほどあるそうです。
「本の書き方、作り方」、「知研関西30年の歩み」
あなたの知らない運命を好転させる筆跡診断!
昨夜は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西のセミナーを開催
テーマ:「あなたの知らない運命を好転させる筆跡診断!」
講師は1級筆跡心理士、心理カウンセラーの前原弘昌氏です。前原さんには1993年に「夢は必ず実現できる」というタイトルでセミナーをしていただきました。オーストラリアのバイク1周をされて「自由じかん20,000km 風になった中年ライダー」を出版された頃になります。あれから25年も経ったんですねえ。その後も世界各地に出かけ、目下の計画はモンゴルとシベリア横断だそうです。
セミナーですが筆跡鑑定は筆跡が本人のものかどうか鑑定しますが、筆跡診断は字から、その人の深層心理を探るものでフランスでは筆跡診断士は国家資格に準ずる資格になっています。日本ではまだまだ占いの延長のようなイメージで思っている人がほとんど。
会場では「野村様 自分の名前」を皆で書いてワークがスタート。隣の人と比べても、千差万別ですね。どういう風に見るのか学びました。筆跡から心理状態が分かりますが、反対に字を書く訓練をすると自分の心理を変える効果もあるそうです。なかなか奥深い世界で安倍首相の字がどう変わったのかなどを題材に解説いただきました。
関西で本を創るということ、本を読者に届けるということ
昨晩は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催。講師は有限会社西日本出版社社長 内山正之さんで、昔、独立され少したった頃に「僕が出版社を始めたわけ」というタイトルでセミナーをしてもらっています。当時は「大阪たこ焼33カ所めぐり」を発刊された頃でした。
出版を取り巻く状況はどんどん厳しくなっています。2000年に21,500店あった本屋さんが2015年には13,500店と7,000店も減少。ジュンク堂などの大型書店が増え、町の本屋が減ったという要因もあるんですが、内山さんによると他にも要因があるそうで、少し前まで取次(本の卸)が流通の効率化に取り組んでいたそうです。小さな本屋がなくなれば中型店に皆が本を買いに行き効率化がすすむということで、店主に取次に預けていた保証金(普通の店舗で5千万円ほど)を返すから、これを退職金にして店を閉めたらと誘導していたようです。ところが目論見通りにはいかず、本屋さんがなくなると、その分だけ売上が減りました。誰もわざわざ中型店に本を買いに行くような行動をしません。
また自費出版ブームで自費出版本が本屋に流通するようになります。自費出版でジャンル的に多いのが紀行文と病気本。地元の本屋なら知り合いが買ってくれますが、全国では売れません。本屋では売れないと、どんどんジャンルの棚が小さくなり、このジャンルで本を出している出版社にとっては死活問題になります。最近、自費出版本はビジネス書系に流れているそうです。
「獺祭」や「くじらとくっかるの島めぐり あまみの甘み あまみの香り 黒糖焼酎をつくる全25蔵の話」の本作りの裏話などをうかがいました。
ベストセラー作家になるコツ
昨夜、知的生産の技術研究会・関西セミナーを大阪産業創造館で開催。お盆休みということもありセミナー室を使っているのは2団体だけで閑散としていました。
知的生産の技術研究会・関西は来年、いよいよ30周年を迎えます。今年は出版シリーズをやっていて第4回目は累計45万部のベストセラーを出された奥野宣之氏にベストセラー作家になるコツを教えていただきました。
奥野氏によれば企画書が通り初めての著作、「人生は1冊のノートにまとめなさい」が出た時はインタビューの仕事で石垣島に取材に行っている最中。発売から3日目には仕事も終わったので結婚したばかりの奥さんを呼んで西表島へ。遊び終わって那覇空港に着いたら発売3日で重版になったという連絡がはいり、そのまま30万部のベストセラーになったそうです。
ただし金儲けしようというような考えで本を出すのは一番、効率が悪く、本は売れなければ終り。売れる本を出したい編集者と作品を出したい作家とのせめぎあいや、どういう人が作家に向いているなどお話しいただきました。