山住神社(岩倉の語源?)

山住神社

叡電・岩倉駅近くにあったのが山住神社。拝殿はありますが本殿はなく磐座を拝む形になっています。磐座を拝む神社は日本各地にあり、有名なのが日本最古の神社と呼ばれる熊野の花の窟神社。新宮には火祭りで有名な神倉神社があります。奈良の大神神社も三輪山にある磐座がご神体です。

なんでも桓武天皇が平安遷都のとき京都の東西南北にある4つの岩倉に一切経を埋めて、結界をはったという説があるそうです。その一つが山住神社でなんだそうで。石蔵に経典をおさめたとあるので、これが岩倉の語源になったのかなあ。岩倉上蔵城跡にも蔵の字がはいっていて、上蔵という名前が気になりますね。

超国宝

超国宝

    連休合間の平日ならすいているだろうと夕方、奈良国立博物館へチケット売場もガラガラで正倉院展のオータムレイトよりも、すいていました。入口すぐに法隆寺の百済観音があって360度、眺められるようになっていました。

    この入口近くにあった小さな仏像ですごくって、光背の文字が読めるようになっていて止利仏師が物部大臣(蘇我馬子のこと)に送ったと記載されています。他にも求道僧円珍が持ち帰った物の一覧表もありました。七支刀が目的でしたが思ったよりも小さかったですね。

    岩倉上蔵城

    岩倉上蔵城

    岩倉上蔵城へ。岩倉具視幽棲旧宅と岩倉実相院はついでで目的は山城です。

    岩倉上蔵城は実相院の裏側にある山の頂上にあります。岩倉は近江・佐々木氏の被官だった山本氏の所領でしたので、岩倉上蔵城は山本氏の城だったようです。北山病院の奥から山道があって川沿いに登っていきます。ずっと上にあがっていくと川が細くなって渡れるところがあるので、ここから切岸にとりつきます。一般的には崖と呼びます。この切岸をひたすら登ると主郭に出ることができました。

    郭には土塁などが残っていますが、あまり技巧的な造りではありませんでした。尾根沿いに堀切でもあるのかなと探しましたが見つけられませんでした。主郭から下る道があったので下っていくと、いくつもの郭が階段状に連なっています。ずっと下まで降りると北山病院の裏側に出ます。崖を登らなくても城まで行けますが、この道はなかなか分かりにくいですね。

    メーデー

    メーデー

    今日はメーデーじゃないですかあ!

    京都の専門学校で教員をしていた頃、メーデーといえば二条城に集合でした。京都の学校は昔から革新系が強く、勤めていた関西文理学園も組合が強かったですね。二条城に集合し演説などの後に河原町通りまでデモ行進していました。その後は散開し、打ち上げと称して昼から皆で宴会していました。

    いまやメーデーなんか、すっかり忘れて仕事してます。

    岩倉具視幽棲旧宅

    岩倉具視幽棲旧宅

    京都市街の喧騒から離れた地域にあるのが岩倉です。今は叡山電鉄が走り住宅街になりましたが、昔は隠棲する場所でした。明治維新を取り扱ったドラマで必ず出てくるのが岩倉具視が隠棲していた建物です。

    坂本龍馬、中岡慎太郎、大久保利通らと語り合った鄰雲軒が残っていて中に入れます。岩倉具視は公武合体をすすめ、和宮降嫁を推進したことから尊皇攘夷派から敵視され、岩倉に隠棲します。

    岩倉具視は岩倉家の養子ですが、もともと岩倉家の先祖が岩倉出身で、岩倉具視の頃は岩倉とのつながりが薄かったのですが、縁があって廃屋を借りて隠棲することになります。薩摩、水戸、土佐藩士らが鄰雲軒を訪れ、慶応3年の王政復古はこの旧宅からはじまりました。

    鄰雲軒などの歴史をガイドさんが説明してくれるのですが、行った時は一人だけで、なかなか贅沢な時間でした。観光客があまり来ない穴場ですね。

    篠村八幡宮

    篠村八幡宮

    鎌倉幕府を滅ぼしたのは誰でしょう?

    後醍醐天皇が倒幕を言いだしたのは確かですが、呼応したのは楠木正成など一部の武士です。倒幕できたのは足利尊氏が挙兵したからで、北条氏をよく思っていなかった武士が雪崩をうったように勝ち組にのります。

    挙兵した場所が篠村八幡宮で亀岡から京都へ行く山陰街道の途中にあります。神社の横に楊(ヤナギ)の木があり、ここに足利家の二引両の旗をあげて参加する武士の目印にしました。今の木は7代目だそうです。ここから鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題を攻めます。六波羅探題は陥落し北条仲時らは京都から近江に逃れますが番場宿で追いつかれ一族432人が自刃します。鎌倉は新田義貞が攻めました。

    有名な篠村八幡宮ですが、訪れる人は少なそうですね、行った時は誰もいませんでした。山陰街道沿いにあるので本能寺へ向かう明智光秀も戦勝祈願をしていますが、尊氏のように新しい幕府を作ることが脳裏によぎったでことしょう。

    ブラタモリ(津観音)

    津

    ブラタモリの予告編で津城が登場するのは分かっていましたが、予想していなかった津観音が出てきました。津観音にある阿弥陀さんの本地が天照大神とされ、伊勢参りするなら伊勢神宮と津観音の両方を参拝しないといいけない風習がありました。そういえば日本史で本地垂迹を習いましたね。伊勢街道が城下町を通るようにし、津観音の目前を通るようになっています。

    関ヶ原の前哨戦である安濃津城の戦いが行われ、毛利秀元、長束正家、安国寺恵瓊、鍋島勝茂、長宗我部盛親らが攻め、津観音も燃えてしまいました。再建したのが新しい領主である藤堂高虎です。

    次回は斎宮が出てくるようで楽しみですね。ですが最後は和田金に行くなど旅行番組みたいになってきて、断層などの話は出てこなくなりました。松阪には中央構造線が地表に現れた露頭があるのに

    大屋根リング

    大屋根リング

    登ってみるまで大屋根リングが二段になっているとは知りませんでした。屋根はけっこう広いので高所恐怖症でも大丈夫です。って端には寄りませんでした。

    東、西の両ゲートちかくの大屋根リングは人も多いのですが、皆さん、ちょっと歩いて降りるようで、北、南は、けっこうすいています。一周2kmで万博の各パビリオンを一通り眺めるには最適です。

    「でんさい」(電子記録債権)の基本が理解できる講座

    「でんさい」(電子記録債権)の基本が理解できる講座

    最近、ウェブ記事が多いのですが久しぶりに紙の雑誌への執筆です。研修出版「経理WOMAN5月号」です。

    「でんさい」(電子記録債権)の基本が理解できる講座

    経理担当者にとってなじみの深い(紙の)小切手や手形ですが、2026年度末までに廃止される予定となっています。そこで注目を集めているのが「でんさい」。「でんさい」は全国500以上の都市銀行、地方銀行、信用金庫がネットワークに参加しているため非常に利便性が高いのが特徴です。そうしたことから、(紙の)小切手や手形の廃止を見据えて「でんさい」の利用を検討している中小企業も多いようです。経理担当者が押さえておきたい「でんさい」の仕組みを分かりやすく解説します。

    万博の食事

    バインミー

    万博では昼食時、リング内のレストランなどは、どこも一杯です。割と穴場なのは各国パビリオンの出口付近にショップや軽食コーナーがあるケースがあり、各国料理を食べられ出口から入れます。テイクアウトの店やキッチンカーも出ています。

    行った日はリング外側にあるリングサイドマーケットプレイス東がすいていて、サイゴン食堂でバインミー(800円?)とビール(900円)で昼食でした。万博価格で高いのですが、そうせざるをえませんね。

    万博前にポップアップショップとして出展する事業者の相談があったのですが出店料が高く、高い価格にしても赤字になりそうで、赤字は広告宣伝費だと事業者は割り切っていました。入場前に弁当などを持って入るのがリーズナブルです。雨さえ降らなければ食べる場所はたくさんあります。