備中浅尾陣屋

備中浅尾陣屋
備中浅尾陣屋

総社駅の北にあるのが浅尾陣屋跡。浅野藩の本殿ですが、一般の陣屋と違って丘陵の上にあり、土塁などもあって山城のような造りになっています。戦国の気風が残っている時に造ったのでしょう。

浅尾藩の藩主は蒔田氏で本貫はどうも伊勢の雲出のようです。蒔田広定は関ヶ原の戦いでは、西軍に属して、西軍が占領した伊勢安濃津城に駐屯していました。ところが西軍が負け、高野山に蟄居します。岳父が小説「九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義」でも有名な弓の名手・大島光義であり、いろいろと取りなしてくれたことから備中浅尾1万石の領します。

幕末、蛤御門の変の時には京都見回り組を担当し、長州を撃退します。このことが遠因なのか慶応2(1866)年に長州藩第二奇兵隊を抜けた浪士達により、倉敷代官所と一緒に陣屋が焼き討ちされてしまいます。いつも負け組に組するんですね。陣屋は十分に再建されないまま明治維新を迎えることになります。

作山古墳

作山古墳
作山古墳

備中国分寺の近くにあるのが作山古墳という巨大前方後円墳。

中に入れますが全国第10位の規模なんで、ある意味、登山ですね。古墳時代中期の5世紀中頃に造られたとみられ被葬者は吉備の首長でしょう。雄略大王などが活躍していた時代です。

大和朝廷の祖となったと考えられる纏向遺跡には全国各地から人が集まり人工都市が造られました。吉備も大きな役割を果たしていたようで、かなり力があったようです。ですので造山古墳や作山古墳などの巨大古墳ができたようです。

■鬼退治で吉備がやっつけられる
岡山といえば桃太郎ですが、伝説の元になったのが吉備津彦命。出身は奈良県磯城郡田原本町で、四道将軍の1人として吉備に派遣され温羅という鬼を倒したことになっています。どうも大和朝廷と吉備が不穏な関係になって攻められた逸話ではないかという説もあります。

あさひ

あさひ
あさひ

午後は四日市商工会議所で出張相談。

駅前の大衆食堂のあさひに入ったら、3組のシニア世代が宴会をやっていて、店の半分を占拠しておりました。昼からいいな~あ!と思いながら本日のランチ「生姜焼き定食」を食べておりました。

岡山デミカツ丼

カツ丼
カツ丼

岡山駅のすぐ近くに奉還町商店街があります。明治となり職を失った武士が、藩から与えられた奉還金を元手に商売を始めたので、この名前になっています。

奉還町商店街には古い店舗から新しくお洒落な店まで混在しています。商店街の中にあったのがグリルB食というお店。かつ丼を頼んだらソースカツ丼になっていて、これがなかなかいけます。

岡山のB級グルメというと岡山ラーメンとデミカツ丼だそうで、岡山ラーメンは割と食べているので、次はデミカツ丼に挑戦しなければ

備中国分寺

備中国分寺
備中国分寺

鬼ノ城に登った後、レンターサイクルで散策へ。よく観光ポスターに登場するのが備中国分寺の五重塔です。現在の建物は江戸時代中期(1844年)頃に再建されたものですが岡に建っているので、なかなかの撮影ポイントになっています。吉備路サイクリングロードというのが整備されていて快適に走れます。

聖武天皇が全国に造ったのが国分寺です。他にも奈良の大仏を作りました。費用を捻出するために出したのが墾田永年私財法です。律令国家ですので、土地は国のものでしたが、これを根底から崩す法律でした。開墾した田は永久に私有できることにしました。

目論見は開墾した田からは税収が入りますので、短期的に見ると奈良の大仏や国分寺はできましたが長い目で見ると荘園制度や土地を守るための国人が出始め、武士が台頭するきっかけになってしまいます。

確定申告

確定申告
確定申告

朝から家にこもって、ひたすら確定申告。E-Taxですが毎年、進化していて、だいぶ分かりやすくなりました。
初期の頃なんかユーザーがJavaをインストールしたり、いろいろなソフトの設定をしないと使えないと、とんでもない代物でしたが、まあまあ分かりやすくなっています。
とりあえず確定申告が終了したので、次は合同会社の決算をしないと、こっちがなかなか大変です。

鬼ノ城

鬼ノ城
鬼ノ城

岡山で仕事だったので、ついでに鬼ノ城へ行ってきました。古代の朝鮮式山城です。

白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗し、国家存亡の危機に陥ったため全国に造られた山城の一つです。大阪では高安城が造られました。

麓に砂川公園があり、レンターサイクルを置いて、ひたすら3.5kmの道を登ります。案内では東海自然歩道とあったのに歩いてみたら細い車道になっていて、時たま鬼ノ城に行く車に追い抜かれます。割とだらだらとした坂道なんで、帰りのことを考えたらレンターサイクルを持ってきたらよかった。道沿いにお地蔵さんがマイルストーンのようにあり、これを見学できるのは徒歩者だけですね。

鬼ノ城は発掘調査され西門などが復元されています。門は全部で4つあり、周囲を1時間ぐらいで巡ることができま、これがなかなか楽しめます。眺めはとってもいいですねえ。

五条野丸山古墳

五条野丸山古墳
五条野丸山古墳

近鉄・岡寺駅のすぐ近くにあるのが五条野丸山古墳。奈良で最大、全国でみても第6位の巨大な前方後円墳です。よく整備されて、上まで登れます。

丸山古墳には2つの石棺があり、被葬者は蘇我稲目などの名前があがっていましたが、飛鳥都塚古墳がどうやら蘇我稲目の墓のようですので、欽明天皇&堅塩媛(きたしひめ)堅塩媛(きたしひめ)の夫婦墓説が濃厚です。

欽明天皇といえば百済から仏教が伝わり、蘇我稲目と物部尾輿による崇仏派、排仏派の争いを巻き起こすことになります。任那が滅亡した時でもあり半島情勢が大変な時の大王でした。

さな建設業にも役立つITを活用した 業務効率化、生産性向上

桑名商工会議所
桑名商工会議所

桑名商工会議所・建設部会で「小さな建設業にも役立つITを活用した 業務効率化、生産性向上」という長いタイトルでセミナーをしてきました。

前半の建設部会そのものが、すこしおしたので若干、短めに調整してセキュリティの話までしてきました。

五条野城

五条野城
五条野城

近鉄岡寺駅近くに丸山古墳があったのを思い出し、それぐらい見ていこうと坂を登り始めると、あったのは八咫烏神社でした。一本道を間違えていました。

祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)で、別名が八咫烏です。神武天皇を熊野から大和まで案内した導きの神様です。

戦国時代、この八咫烏神社は城として活用されました。五条野城で、国民だった五条野氏の居館跡と考えられています。1475年に越智氏・古市氏とともに筒井方と戦って破った記録が残っていますが詳しいことは分かっていません。八咫烏神社の周囲を土塁と堀が巡っていたようで痕跡が境内に残っています。