備中浅尾陣屋

備中浅尾陣屋
備中浅尾陣屋

総社駅の北にあるのが浅尾陣屋跡。浅野藩の本殿ですが、一般の陣屋と違って丘陵の上にあり、土塁などもあって山城のような造りになっています。戦国の気風が残っている時に造ったのでしょう。

浅尾藩の藩主は蒔田氏で本貫はどうも伊勢の雲出のようです。蒔田広定は関ヶ原の戦いでは、西軍に属して、西軍が占領した伊勢安濃津城に駐屯していました。ところが西軍が負け、高野山に蟄居します。岳父が小説「九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義」でも有名な弓の名手・大島光義であり、いろいろと取りなしてくれたことから備中浅尾1万石の領します。

幕末、蛤御門の変の時には京都見回り組を担当し、長州を撃退します。このことが遠因なのか慶応2(1866)年に長州藩第二奇兵隊を抜けた浪士達により、倉敷代官所と一緒に陣屋が焼き討ちされてしまいます。いつも負け組に組するんですね。陣屋は十分に再建されないまま明治維新を迎えることになります。

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