平成29年度補正 ものづくり補助金 収益納付が義務化!?

「平成29年度補正 ものづくり・商業・サービス経営力向上支援補助金」の公募要領を読んでいますが、いろいろと認定支援機関について注意喚起が書かれています。
申請にあたっては認定支援機関による確認書が必要となりますが、前々から一部の認定支援機関の行動が問題視されており、今回の公募要領には「不適切な行為の例」として記載されています。
■不適切な行為の例
・申請書作成にかかる費用とあまりに乖離した成功報酬はダメ
・補助金申請代行のPRや営業活動、強引な働きかけはダメ
・金額、条件などの不透明な契約を締結してはダメ
※専門家謝金の増額30万円という項目があり、事務局では30万円ぐらいまでと考えているようです。ただし作成にあたった専門家謝金には使えません。

他にも他社の事業計画をコピーしたりしたらダメともあります。これね、どっかのコンサル会社がやっていて、私も応募書類を見てと持ってきた2社の外部環境分析が全く同じだった経験があります。
■認定支援機関確認書を出すのはけっこう大変
多くの場合、銀行の各支店や支援機関が記載して印鑑を押すケースが多かったのですが、「支援計画についての誓約」という書類が追加されています。事業化まで5年間、フォローアップするという内容で、こうなると認定支援機関によっては対応が変わってくるかもしれません。
■収益納付が義務化に?
大変なのが5年間の間に第3段階「製品・サービス等が1つ以上販売されている」まで確約しなければなりません。あまり知られていませんが補助金には「収益納付」という条項があります。つまり補助金で事業がうまくいけば、利益から補助金の額を上限として国庫に戻してという条項です。
ものづくり補助金については、この収益納付が財務省から問題視されており、収益納付があまりにも少なく、本当に補助金の成果があがっているのかということです。ということで5年間の間に必ずモノを1つ以上売って利益を出し、一部を国庫に返納しなさいということです。認定支援機関には収益納付に責任を持ちなさいという内容になっています。こりゃ、大変だあ。

滝山城

滝山城
八王子城に登ったあと高尾駅から八王子駅に戻り、次に目指すのが滝山城です。
武田信玄の猛攻をしのいだことで有名な滝山城です。城の中は広大で同じ北条氏の城だった茅ヶ崎城とよく似ており、茅ケ崎城を大きくしたような感じの城です。きれいに整備されていて、おまけに案内板やマップまであります。ふつうの山城だと、城にたどりつくのにGPSがたよりになりますが、滝山城は検索しなくてすみます。
■戦国時代の馬出しが残る
滝山城にはいろいろな郭、屋敷跡、また馬出しなどが各所に残っていて見ごたえがあります。馬出しとは虎口(出入口)の外側に郭を築いたもので角馬出しと丸馬出しがあります。真田信繁の真田丸はこの丸馬出しを進化させたもので、丹波・篠山城には外堀の三方に馬出しが設けられています。滝山城で最後の本丸にたどりつくには大堀切にかけられた曳橋を渡る必要がありましたが、有事の際に橋を落とせるようになっています。
■北条氏照の城となる
滝山城を造ったのは山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代だった大石定重といわれています。河越夜戦で北条氏に山内上杉氏が破れ、大石定重は北条氏に臣従するようになります。滝山城は北条氏の城となったので北条氏照が大改修を行います。
そこへ攻めてきたのが小田原本城へ向かう武田信玄軍。滝山城では2千の兵で守っていましたが、防御の弱い南側から武田の小山田隊に攻められ三の丸まで攻め込まれてしまいました。少ない人数で守るには、もっと防御力を高める必要があると新たに築城したのが八王子城です。武田勝頼の時代となり、最後に勝頼を裏切ったのが小山田信茂でした。

八王子城

八王子城
知的生産の技術総会の後は中央線に乗って八王子へ出て宿泊。朝から高尾駅へ出て八王子城に登ってきました。豊臣秀吉の北条攻めで玉砕したのが伊豆の山中城と八王子城で悲惨な歴史の舞台となりました。
八王子城の城主は北条氏照でしたが家臣団とともに小田原城に詰めていました。八王子城内には城代の横地監物吉信、家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らの将兵と、領内の農民など約3000人が立て籠りました。ここを攻めたのが杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊1万5千人で堅固な山城でしたが、大軍には勝てず半日で落城してしまいます。
さすがに早朝から山城に登っている人はおらず、本丸から尾根沿いを歩いて詰城まで向かいました。詰城には石垣があり天守閣跡と伝わっていますが、本当かどうかは分かりません。帰り道にはたくさんのハイカーと遭遇。そこらへんの郭を見て回りましたが、八王子城ってハイキングのメッカだったんですね。

知的生産の技術研究会・総会

知的生産の技術
1969年に岩波書店から発売されたのが梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」で、この本に触発され翌1970年に発足したのが知的生産の技術研究会です。社外勉強会の先駆けとなりました。
東京以外に、いろいろと地方拠点があったのですが現在も続いているのが知研関西と知研岡山だけです。そこで昨年あたりからテコ入れが始まっていて、沖縄、九州、東北、宮島に新しい地方拠点が登場しています。
本日は代々木BVハウスで総会を開催。総会後は同じ場所で立食パーティでした。東京オリンピックとなる2020年は知的生産の技術研究会の50周年にあたるので、聖地巡礼ということで全国から国立民族学博物館(設立&初代館長が梅棹忠夫先生)に集まろうということになりました。日程は2020年10月17日(土)、18日(日)ですので関係者の皆さんは予定をしておいてください。

安濃・二子城

二子城
安濃城塞群の一つ二子城。
平山城で「伊勢一国旧城跡附」には城主は村主文宗で本家は村主玄番とあります。村主(すぐり)とは渡来人・漢氏(あやし)系の長を意味します。漢氏といえば倉敷にある阿智神社と関係がある阿知使主(あちのおみ)が祖となります。二子城から少し離れたところに村主村があったので、関係があったかもしれません。
圃場整備竣工記念碑に横からは入れるとありますが、途中で道はなくなり、ひたすら頂上を目指す、いつもの山城登りになります。主郭を中心に複数の郭で構成されています。

元吉本新喜劇女優が身に付けた、転んだ時の素早い立ち直り方

木村美季
昨夜は知的生産の技術研究会・関西のセミナー。
オフィスわんさか代表の木村美季さんに「元吉本新喜劇女優が身に付けた、転んだ時の素早い立ち直り方」というタイトルでお話いただきました。
■時代劇女優~NSC
アイドルを目指し、高校2年生から20歳まで東映京都撮影所の時代劇女優。暴れん坊将軍や銭形平次の通行人や端役をやっていましたが、きれいな服を着る町娘などの役はなく汚れ役ばかり。そんななか太秦映画村で仕事もできると南京玉すだれを会得。巡り巡って、ウン十年後に地元の茨木神社で役立つことになります。
次に20歳で入ったのがNSC(吉本総合芸能学院)11期生。1年間、漫才やコントを学ぶ専門学校のようなところで同期は陣内智則・中川家・たむらけんじ・ケンドーコバヤシなど。初日のオリエンテーリングで終了間際に、講師が「ネタを作ってきているものはいるか」との問いに手を挙げたのが中川家の2人。初日から漫才を披露し、片鱗をうかがわせました。また、当時のたむらけんじは痩せてて、おっかけがいるようなイケメンだったそうです。
その後、吉本新喜劇の若手団員に。全員でこける時は膝ではなく肩からこけるという練習もあったそうです。MBSの深夜番組「テレビのツボ」2期目のチャンネル君としても活躍していましたが、25歳の時、「一生の仕事にする!」と心に誓った矢先「今日でクビ!」と宣言されてしまいます。
■居酒屋開業
あまりのショックに引きこもりになりますが、ご縁があり結婚。料理人の夫の夢は自分の店を持つことですが、貯金はなし。なんやかんやで夫婦で居酒屋を開業したため新婚でいきなりの貧困生活を経験します。ようやく店が軌道にのってきたところで夫が急逝。その後、串揚げわんさかに業態を変化させて女将をつとめます。現在は飲食店経営の経験をいかし飲食店開業などのコンサルや「ほめ達」認定講師として夫婦円満の極意を伝授しています。
人生は「まさか」の連続。まず気持ちがふっきれるところまで落ち込み、次に食べて、最後に行動することが大切。失敗もネタにしてしまおうと少しずらして考えることで気持ちの整理がつく効果もあります。
セミナー後に堺筋本町の居酒屋で交流会を開催。ところが途中でトイレに行かれた講師が帰ってこない。特技は方向音痴だそうで、しっかりと迷っておられました。

安濃・連部城

連部城
今徳城から少し行った穴倉川沿いに連部(つらべ)城があります。
連部城について三国地志には織田信包(信長の弟)が戸木城攻めのため家所帯刀に築かせたとあります。また勢陽五鈴遺響には秀吉が木造城を攻めるために築かせたと記録されています。
石田三成と同じ五奉行の一人が長束正家で水口岡山城主でした。関ケ原の合戦では三成側でしたので戦のあとに自決しています。この長束正家の陣代に家所帯刀がおり、関ケ原の合戦前の伏見城攻めに加わっています。
安濃には家所城があるので、家所帯刀はもともと安濃の出身かもしれません。いずれにしても久居にある戸木城、木造城は、かなり離れていますので戸木城攻めというのはどうでしょうかね。
連部城には土塁を伴った広い郭があり、よく整備されていて藪もありません。これはありがたいですね。また大きな堀切があります。

深井の土塔

土塔
中小企業診断士の研究会であるファイティング・コンサルタンツ研究会。根城にしている株式会社セレソヴィーがM&Aで堺東から深井に移転したことで、深井の新事務所で初会合。
深井駅を降りると駅前に”史跡土塔”の文字を発見。調べると10年ほど前に創建当時の姿に復元整備されたとニュースで見た土塔でした。”そうか深井にあったんだあ!”というわけでメンバー全員で急遽、土塔見学に。
土塔は東大寺建立などに関わった堺出身の奈良時代の僧、行基が建立したものです。約60,000枚もの瓦を使った十三重の塔で、奈良の高畑町にはよく似た頭塔があり、こちらも奈良時代のものです。
研究会が終わってからは深井駅近くの情熱ホルモンで飲み会。研究会と同じ時間だけ飲んでおりました。

クラウド・ファンディングの返礼品

https://readyfor.jp/projects/cam-bi
船場総研の安田会長からクラウド・ファンディングの返礼品が届きました。
クラウド・ファンディングのプロジェクト名は「カンボジアの通学困難な子ども達に自転車をプレゼントしたい!」です。貧困家庭の就学支援には奨学金が有効ですが、それ以前に必要なのが交通手段の確保。カンボジアの農村では学校が少なく、片道10キロ~15キロを片道3時間ほど歩いて通う子どもがたくさんいるそうです。去年、安田さんがカンボジアへ行って必要性に気づいたそうです。往復6時間かかりますから、朝早く出かけ夜遅く帰ってきます。夜は真っ暗で危険も多く、勉強時間の確保も大変。
そこで自転車の購入資金&修理キット(舗装されていないので壊れたら自分で直す)をクラウド・ファンディング「Readyfor」を通じて集めることになり無事にプロジェクトは成立。先日、カンボジアで贈呈式が行われ、その時の写真やお礼の手紙が送られてきました。
自転車には支援者の名前の入ったプレートを取り付けたそうなので、「合同会社エムアイティエス」のプレートをつけた自転車が今頃、カンボジアの農村を走っています。
→ カンボジアの通学困難な子ども達に自転車をプレゼントしたい!

大阪府よろず支援拠点・事例発表フォーラム

事例発表フォーラム
大阪府よろず支援拠点・事例発表フォーラム
 
大阪府よろず支援拠点には18名のコーディネータがいますが、机は10しかありません。週1回~3回と皆さんバラバラの出勤ですので全員が揃うことはなく、ふだんは10の机で充足しています。
 
本日は年1回の事例発表フォーラムということで、コーディネータの出席率がよく、必然的に起きるのが机の取り合い(笑)。遅く出てくると空きスペースがなく、会議机で業務をすることになります。