成果の出るWeb活用法をモノにする

大阪府よろず支援拠点
大阪府よろず支援拠点が開催する「よろず塾ワークショップセミナー」
「成果の出るWeb活用法をモノにする」という2回講座で、本日24日(水)と来週31日(水)の18~21時に開催。前半1時間半の講義は私で、後半1時間半は西谷コーディネータが担当します。私の担当分は無事に終了し、今、西谷コーディネータがしゃべっています(笑)。
毎年行っている”よろず塾ワークショップセミナー”ですが、内容は少しずつ変えています。けっこう人気がある講座で年初に募集開始したとたんに、あっという間に埋まってしまいキャンセル待ち状態になってしまいました。
本日の内容は「自社にあったWeb活用法」で、ホームページ、ブログ、Facebook、インスタなどいろいろなツールがありますが、自社にあったツールをどう組み合わせればよいのか、デジタルだけではなくアナログとどう組み合わせるのか、マーケティング戦略をどう組み立てればよいかといった内容になっています。

【確定申告】電子申告で使うマイナンバーカードの発行

まもなく確定申告時期を迎えます。
今年の確定申告は2018年2月16日(金)~3月15日(木)となります。電子申告(E-Tax)は年明け1月4日(木)から受付が始まっており、現在は24時間、申告できます。便利な電子申告ですが準備が必要です。以前は住民基本台帳カード(住基カード)でしたが、マイナンバーカードに変わりましたので、ガイド記事をマイナンバーカードにあわせてリライトしました。
【確定申告】電子申告で使うマイナンバーカードの発行

山下城(出城)

山下城
山下城の隣山、ちょうど能勢街道(173号線)のトンネルがある向山の頂上に山城があります。
山下城の出城といわれていますが、どうも山下城と縄張りの作り方が違っているようで、別の城の可能性があります。山城はたくさんあり、誰が造ったか分かっている方が珍しいのが実態です。ひょっとすると山下城攻めで使われた陣城かもしれません。
けっこう大きな単郭で堀切がありました。この堀切の途中に近代城郭のように折れがあり、横矢がかかるようになっています。堀切といえば真っすぐ造るのが定番ですが、けっこう技巧的な構造になっています。
城に向かう山道はなさそうなので、とりあえず山下城から下って谷へ降ります。谷へ降りる途中、木立を突っ切っていく時にメガネを落としてしまい、20分ほど横山やすし状態でメガネを探していました。ようやくメガネを発見し、今度は谷から切岸を登りようやく城へたどりつきました。途中には野生のリスもいて、前回、山下城へ行った時は野生の鹿にも遭遇しましたので、能勢の山々は自然豊かです。

山下城(一庫城)

能勢電鉄・山下駅そばにある山の頂上にあるのが山下城(一庫城)。
源満仲を祖に持つ多田武士団(多田院御家人)の筆頭のような存在だった塩川氏の城です。一度、道がわからず散々苦労して登りましたが、郷土博物館の近くから山道があるのを前回、行った時に見つけており、今回はすんなり登ってきました。山道の途中には社があり、これが郭跡の一つで能勢の町が見渡せます。頂上には三段になっている広い広場の郭と土塁が残っています。また尾根沿いにも三段ほどの郭があり、かなり大きな山城です。
■塩川氏
戦国時代、塩川氏は守護の戦いに巻き込まれ山下城で三好長慶と戦っているようです。三好長慶亡き後の三好氏とも敵対していた関係から織田信長が足利義昭を擁して上洛した時は信長に協力して摂津から三好勢を追い落とすのに協力しています。そのあと、信長の家来になったようで、荒木村重が信長に謀反を起こした時には有岡城(伊丹城)攻めにも参加していますし、本願寺攻めにも加わっています。同じ能勢の国人で多田院御家人だった能勢氏や野間氏とは犬猿の仲でよく争っています。
信長が本能寺の変で倒れた時には秀吉に属して、山崎の合戦にも出陣します。ところが能勢氏が秀吉の命令で島津征伐に出かけている留守を狙って塩川氏が攻撃したため秀吉は激怒。片桐且元・池田輝政・堀尾吉春らを討抜軍として山下城に派遣し、塩川氏は没落したと「多田雪霜談」なる軍記物に出てきますが、この頃に能勢氏はすでに没落していたはずで、軍記物の話はどうもトンデモ話のようです。

松坂から松阪へ

松阪サテライト
三重県よろず支援拠点・松阪サテライトで窓口相談。
今は松阪ですが、戦国時代は松坂でした。秀吉の命令で近江国日野出身の蒲生氏郷が治めることになり、松ヶ崎城から四五百森に新しく築城します。これが松坂城です。城下町を整備し松坂と名付けます。ちなみに「まつざか」ではなく「まつさか」です。
明治になってから松阪となりました。大阪も戦国時代は大坂で明治から大阪となりましたが、同じです。

カラー書道 ブラッシュアート展2

ブラッシュアート
カラー書道 ブラッシュアート展2
鎌田惺舟さんがギャラリーで展示会をするということで昨日、山城に登った後、寄ってきました。場所は阪神・杭瀬駅から北に5分ほど歩いた杭瀬ギャラリーです。一帯には昔ながらの公設市場のような商店街があって、なかなかいい町ですね。杭瀬昭和ショッピングロードというそうです。
ギャラリーは丸徳ビルの3階にあり、なかなかよい雰囲気です。カラー書道は筆は使いますが、ふつうの書道とは全然違う世界で、写真ではなく現物を見るのが一番ですね。
ブラッシュアート展2は28日(日)まで開催されています。  入場無料(11:00~19:00)

和泉葛葉城

信田森葛葉稲荷神社
陰陽道で有名な安倍晴明のお母さんは狐でした。
阿倍野にいた安倍保名という若者が願掛けで信太の森の稲荷へ日参したところ、葛の葉という女性と出会い、やがて子供が生まれます。これが安倍晴明。ところが葛の葉がキツネということがばれて姿を消してしまいます。この舞台となったのが北信太駅の近くにある信田森葛葉稲荷神社です。安倍晴明が生まれた場所は東天下茶屋駅近くに安倍晴明神社になります。
安倍晴明はどうでもよくって(笑)、ここにあったのが和泉葛葉城と言われています。神社の北側には土塁が巡っていますが、けっこう低くなっていて本当に土塁だったのかは不明です。城だとすると単郭だったようです。

支払調書とは?確定申告とマイナンバーとの関係

支払調書
年が明けると個人事業主やフリーランスに届きはじめるのが支払調書。確定申告になくてはならないものですが、発行する側は税務署へ出す義務はありますが、個人事業主などに送付する義務はなく、実はこれはサービスの一環のようなものです。
All About「企業のIT活用」最新ガイド記事です!
→ 支払調書とは?確定申告とマイナンバーとの関係

能勢電鉄

能勢電鉄
阪急梅田から宝塚線に乗り北摂の山が見えてきたあたりで停車するのが川西能勢口駅。ここから能勢電鉄が出ています。
もともとは能勢妙見山への参拝客輸送を目的として設立されましたが、現在は、阪急阪神ホールディングスの子会社で、妙見山へのケーブル線も能勢電鉄が運営しています。
能勢電鉄は北摂の山の中を進んでいきますが、途中にあるのが多田駅。摂津守だった源満仲が住吉大社に参詣したところ、「北に向かって矢を射よ。矢の落ちる所を居城とせよ」との神託を受けます。鏑矢を放って鼓ヶ滝付近まで来た時に白髪の老人に出会い、(能勢電鉄には鼓滝駅があります)老人によると沼にいる九頭竜の目に矢がささっているという話でした。沼に行くと竜が暴れていましたが、やがて息絶え、暴れたことで水がなくなり多くの田ができたことで多田になったそうです。
伝説はそうなんですが、池や沼を埋め立てて新田開発してできた多田の地を拠点に清和源氏が誕生したようですね。源満仲は多田満仲となり多田源氏の祖となります。満仲の息子が大江山鬼退治で有名な源頼光です。能勢電鉄の多田駅近くに清和源氏の本山である多田神社があります。

松阪サテライト7

日野町
今日は松阪サテライトで、松阪は朝から雨が降っています。写真は松阪サテライトがある日野町の交差点。
蒲生氏郷が秀吉の命令で日野から松阪へ移転する時に日野商人が移り住んだところです。松阪サテライトがあった場所には江戸時代、旅籠・新上屋があり、本居宣長が尊敬する賀茂真淵と生涯で一度だけ出会って教えを受けた場所です。「松坂の一夜」の舞台として有名で、昔の教科書に掲載されていました。
当時、松坂の医者だった本居宣長は34歳。 賀茂真淵は江戸に住む国学者で67歳。伊勢へ旅する賀茂真淵に古事記の研究について教えを受けます。二人が会ったのは、この一回だけで後は手紙による通信教育となります。そして本居宣長は注釈書「古事記伝」を大成させます。
ちなみに本居宣長の子孫が映画監督の小津安二郎氏です。