
台風が近づくなか、午後から専門家派遣のお仕事。ということで午前中に田原本駅で途中下車して保津の環濠集落へ。
大阪ですと堺や平野の環濠集落が有名ですが、堀などは姿を消してしまいました。奈良には環濠集落がいくつか、そのまま残っています。村や町を守るために堀(環濠)が巡らされ、これで土塁があれば城です。実際、環濠集落は戦いの舞台ともなりました。
保津の環濠集落は一部が暗渠になっていますが見事に環濠が残っています。鏡作伊多神社というのが近くに2ヶ所あり、南側の鏡作伊多神社のあるところはちょうど張り出したところにあります。横矢がかかる郭だとピッタリですので中世は館があったかもしれません。
大阪中小企業診断士会 交流会

天満橋にあるドーンセンターで大阪中小企業診断士会の交流会。写真はドーンセンター横にある豊臣大坂城時代の石垣です。発掘さてドーンセンター横に移設されたものです。
さて交流会ですが今回から趣向を変えて、第一部は士会からの説明の後、5~6人グループに分かれての自己紹介タイムなどを2セット行ってから、1階レストランゆいまーるに移動して第二部の交流会でした。
大阪府中小企業診断協会の会員は1000名ですが、プロコン(プロのコンサルタント)で組織されている士会メンバーは200名になっています。
コンサルティングファームとして組織されていますが、従業員200名のコンサルティングファームはあってもコンサルタントが200名もいるコンサルティングファームって日本にもなかなかないでしょうね。チームで仕事をすることも増えていますので、お互いに知り合いましょうという趣旨で交流会が開催されています。
All About交流会

All Aboutというサイトで2002年3月から「企業のIT活用」のガイドをしており、14年目に突入しています。
本日は梅田のE-maビルに関西在住のガイドが集まって交流会。このE-maビルの隣がリクルートビルで、もともとAll Aboutはリクルートのベンチャーで始まったので初期の頃によくガイド向け講座などをやっていた懐かしい場所でもあります。All Aboutの現在の株主は大日本印刷、リクルートホールディングス、ヤフーになっています。
本日集まったのは日本の祭りガイドの山本哲也さん、パワーストーンガイドの山本奈央さん、幼児教育ガイドの上野緑子さん、仕事・給与ガイドの福一由紀さん、幼児教育ガイドの田宮由美さん、冠婚葬祭ガイドの中山みゆきさん、住みやすい街選び(関西)ガイドの田中和彦さんの8名でした。
よく食べて飲みました。
よろず塾
御厨天神社
9月28日はパソコンの日

9月26日はワープロの日でしたが、本日はパソコンの日です。今から38年前の今日、初めて「パーソナルコンピュータ」と名乗りったPC8001が日本電気 (NEC)から発売されます。
当時のコンピュータといえばマイコンの時代です。ボード(基盤)がむき出しで、ユーザーが自分で組み立てないといけない、まだまだホービーが中心でした。そんななか筐体に入った形で売られたのがPC8001です。ビジネスで使えそうだと初めて感じさせたパソコンでした。
ただし当初の企画では発売されたPC8001と全然違った形をしていました。マイコン全盛の時代で、日本電気の開発陣はどうしてもマイコンを発展させた形で考えていました。そこでPC8001の試作機を作り、マニアを集めて見てもらうことにしました。
■マニアがPC8001を完成
日本電気のお歴々の前に長髪でジーンズ姿のマニアが集まり、「ここはこうした方がよい」、「これは止めて、こうしたら」と色々な意見が出ました。例えばキーボードの現在テンキーがおかれている場所には試作機では16進数のキーボードが置かれていました。(0~9 A~Fのキーが並びます。)マニアからは仕事で使うなら計算はテンキーの方がよいと意見が出て、テンキーボードに変更されます。
また試作機はかなりどぎつい配色で本体やキーボードはクリーム色、文字が赤色でした。これをオフイスになじむように渋めの茶系の配色にしました。
マニアの意見を採用して改良され発売されましたが、これが大ヒットに。価格は168,000円で外国製パソコンに比べてかなり安く、1983年に生産終了するまで25万台を売りつくしました。
関西で本を創るということ、本を読者に届けるということ

昨晩は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催。講師は有限会社西日本出版社社長 内山正之さんで、昔、独立され少したった頃に「僕が出版社を始めたわけ」というタイトルでセミナーをしてもらっています。当時は「大阪たこ焼33カ所めぐり」を発刊された頃でした。
出版を取り巻く状況はどんどん厳しくなっています。2000年に21,500店あった本屋さんが2015年には13,500店と7,000店も減少。ジュンク堂などの大型書店が増え、町の本屋が減ったという要因もあるんですが、内山さんによると他にも要因があるそうで、少し前まで取次(本の卸)が流通の効率化に取り組んでいたそうです。小さな本屋がなくなれば中型店に皆が本を買いに行き効率化がすすむということで、店主に取次に預けていた保証金(普通の店舗で5千万円ほど)を返すから、これを退職金にして店を閉めたらと誘導していたようです。ところが目論見通りにはいかず、本屋さんがなくなると、その分だけ売上が減りました。誰もわざわざ中型店に本を買いに行くような行動をしません。
また自費出版ブームで自費出版本が本屋に流通するようになります。自費出版でジャンル的に多いのが紀行文と病気本。地元の本屋なら知り合いが買ってくれますが、全国では売れません。本屋では売れないと、どんどんジャンルの棚が小さくなり、このジャンルで本を出している出版社にとっては死活問題になります。最近、自費出版本はビジネス書系に流れているそうです。
「獺祭」や「くじらとくっかるの島めぐり あまみの甘み あまみの香り 黒糖焼酎をつくる全25蔵の話」の本作りの裏話などをうかがいました。
9月26日はワープロの日

9月26日はワープロの日。
日本最初の日本語ワープロ機が1978年9月26日に発売されました。発売したのは東芝で、JW-10という名前。価格はなんと630万円もしました。正確にはその前年、1977年5月のビジネスショーでシャープが日本語ワープロ機を発表しましたが、これは参考出品でした。
その後、いろいろなメーカーからワープロが発売され、値段が下がっていきビジネスマンでも手が届くようになります。そして私が買ったのがカシオワードHW-300といワープロ。B5サイズで鞄にそのまま入り、プリンタ一体型でした。ただ表示は2行だけでしたので、これでA4の文章を作成するのは、なかなか大変でしたが、コンパクトなところがよかったですね。よく知的生産の技術研究会・関西のセミナー案内などを作っていました。
その後に買ったのがオアシスポケット3。これまたコンパクトで単3電池で動きますので海外に行った時にはアオポケに携帯モデムをつないでNifty-Serveにアクセスしていました。
パソコンのワープロを使う時代となり、ワープロ専用機はなくなっていきましたが、ポメラのヒットもあり、根強いニーズがありそうです。
主郭にある青いプラスチックの主

伊賀の山城などへ行くと、ほとんど藪という時があり、藪をはらいながら土塁の高まりを見つけ、郭を探します。”これが主郭かな”と迷う時に目印になるのが青いプラスチック板。これで主郭だと分かります。
先週、中日新聞・三重版「うちのレジェンド」を見ていたら、この青いプラスチックの主が出ていました。10年ほど前、「三重の中世城郭」という本を図書館で見つけて研究を始めたことから県内の山城巡りをはじめ、訪れた城跡は850を超えると言う記事です。
御年、81歳の松本薫さんという人物で登った山城には青いプラスチックの名板を掲げてきたそうです。伊賀の山城などで見つけた青いプラスチック板は、この人がつけたんですね。それにしても三重県内には850も城があるんだあ。毎日登っても2年以上かかりますなあ。


