
中世の高安山城から信貴山城へ行く途中にあるのが高安城倉庫跡です。山の上に倉庫の礎石跡が残っていて、ここに7つほどの倉庫があったようです。
■白村江の戦いの後に造られた城
日本史で習いましたが663年の白村江(ハクソンコウ)の戦いで大和・百済連合軍は大敗北。国家存亡の危機に唐・新羅などの侵攻に備えて高安城、屋嶋城(讃岐)、金田城(対馬)を築いた話が日本書紀に出てきます。
倭国は唐と戦後処理を行い、友好関係を目指しますが、そこはどうなるか分かりません。国内では飛鳥浄御原令の制定など律令国家などを急速に進め、国家体制を充実させます。国名も倭国から日本に変えます。そして最後の防衛線として造られたのが高安城です。
■ずっと幻の城だった
高安城は日本書紀に記載されていますが、場所が分からず幻の城と言われていましたが、市民グループ「高安城を探る会」が発見したのが倉庫群。ただ発掘調査したところ廃城後の奈良時代初期(730年頃)の建物であることが判明します。それでも大仏開眼や正倉院よりも以前の話なんで、すごいんですがあ。
ところが1999年に100メートル以上も続く石垣が地元の研究者によって発見されます。調査が進むと城壁が南北2.1kmにわたって山の西側斜面に連なり、所々に櫓が突き出すという壮大な城だった模様で、東西も1.2kmあったようです。こうなると高安山一体が城跡ということでホンマかいな!!
■壬申の乱の舞台にもなる
壬申の乱というと不破の関での戦いなどが有名ですが高安城も戦場になりました。近江朝廷軍が支配していた高安城を大伴吹負の兵が攻め占領します。朝廷軍が難波から攻め込んできたので高安城から下り、難波から攻めてきた朝廷軍と石川で戦います。
大坂の陣では後藤又兵衛が石川を渡り、小松山で徳川軍と戦いますが、昔から要衝の地だったんですね。
ターミナル駅で立食パーティ
マドゥマハル

谷四・カレー激戦地シリーズ。 連休の合間ですが大阪府よろず支援拠点で窓口相談をしています。
マイドーム大阪から谷四へ行く途中にあるのがマドゥマハル(MadhuMahal)というインド料理屋。”カレーのダール”のすぐ近くです。少し前に開業したのは知っていたのですが、2階にあがる店舗で、おまけに道路に手書きの立看がドーンと置いてあって、中に入るには少し勇気がいるお店です。
初めて行きましたがランチは800円で、カレーの種類は6種類ほどあります。とりあえず日替わりカレーを注文。簡単なサラダとセルフサービスの飲み物がついています。2名でやっているようで調理は外国人1名とあと愛想がよい日本女性の店員さん。”ランチのナンは食べ放題です”ということでお代わりを注文。さすがにナンを2つ食べると腹いっぱいになります。
カレーは食べやすいカレーで、この近辺はキーマカレーなど凝ったカレー店が多いなか、しごくまっとうなカレーでした。
高安山城(中世)

高安山に登り生駒山縦走路にぶつかります。この縦走路沿いに歩くと丸いドームが印象的な高安山気象レーダー観測所があります。大阪の街からも見えます。
この観測所のすぐ近くに高安山山頂があり、ここに高安山城跡があります。生駒山縦走路が城の真中をつっきっており中世は路ではなく堀切だったようです。以前に通ったことがあるんですが、ここが城跡とは全然気づきませんでした。
今回は地図を調べていったので、路から少し崖を登ると曲輪と曲輪の間の堀切に入れます。曲輪の土塁も残っていて、なかなか見事です。奥にも曲輪があり、かなり大きな城です。高安山山頂にも曲輪があったのですが、こっちはあんまり痕跡が残っていません。
字は出城になっていて信貴山城の出城だったようです。そうなると造ったのは松永久秀でしょう。高安山は標高488mあり、信貴山の標高より高いので大阪よりの防備を固めたのでしょう。高安山城から30分ほど山道を歩くと信貴山です。
出版社から見た『編集者を動かす企画書』の書き方
昨夜は知的生産の技術研究会・関西のセミナー

講師は株式会社ペンコム代表の増田幸美さんで、「出版社から見た『編集者を動かす企画書』の書き方 今すぐ出来る!出版への道あれこれ」というタイトルでセミナーをしていただきました。
●返本40%
日本全国に書店が14,000ほどありますが、本の初版は3000ほどで、町の本屋さんに本は並びません。また本は委託販売で売れなければ返本で帰ってきます。書店からの注文にそのまま応えて本を送っていれば、そのまま返本で帰ってきてしまい実際に倒産した出版社もあります。
テレビ番組で本が取り上げられたことから、出版社に注文が殺到しましたが1万増刷して全てアマゾンへまわし、書店には回しませんでした。アマゾンの場合、注文した数は必ず引き取り返本がないからです。
出版社へ持ち込む企画書のコツなどを伝授いただきました。
マイドーム大阪のエレベータ

大阪府よろず支援拠点が入居しているマイドーム大阪には3台のエレベータがあるんですが、朝、乗ろうと思うと3台とも上の階に上がっています。ランチを食べようと思うと3台とも下の階にあり全然、上がってきません。なかなか効率が悪いですね。おまけに地下1階~3階が駐車場になっており、マイドーム大阪でイベントがある時は地下にエレベータが固まっている時があり、なかなか上がってきません。
複数台のエレベータがある所は群管理システムが導入されていて、出勤時・昼食時などは待ち時間が減るように最適な動きをするのですが、どうも導入されていないようですね。名古屋市新事業支援センターが入っている名古屋中小企業振興会館には4台のエレベータがあり、ここは群管理ができていたようなので待ち時間は少なかったです。
ひょうご産業活性化センターが入っているサンパルには3台のエレベータがあり、ここも遅かったので群管理は4台以上のエレベータがないと適用されないかもしれません。三重県産業支援センターが入っている三重県合同ビルには2台のエレベータがあるんですが出勤、昼食時以外は1台を省エネのために停止していますので実質1台だけ。おまけに古いエレベータなのでドアがなかなか閉まらず、「出る時は閉を押してください」と明記されています。
ITC三重 総会

三重県内のITコーディネータなどで組織されているのがITC三重です。
ITC三重は法人との契約などができるようNPO法人化していますので、毎年、総会を開催しています。もっとも20名たらずの小規模組織なので決算や予算審議もあっという間。
雑談で最近のセキュリティの話になり、ランサムウェアにやられた事例などがいくつも紹介されていました。ランサムウェアにやられるとファイルなどが暗号化され、被害者はランサムウェアの作者にランサム(身代金)を支払うよう要求されます。パソコンがやられ、そこからファイルサーバーがやられてしまうこともあり、日頃からバックアップをしっかりとっておかないと復旧できません。また最近はファイルを暗号化する時に「○○の端末」と、どのパソコンから攻撃したかも書き込まれますので、誰がやられたかがすぐに分かります。こうなると会社でいたたまれなくなりますね。
標的型メール攻撃などはウイルス対策ソフトで防げませんので、社員一人一人に対する教育が重要です。”そんな怪しい添付ファイルを開くか!”と考えられないことをするのが人間です。会合ではウイルス対策ソフト以外に「未知の脅威」に対抗できる新しいタイプの標的型対策ソフト「Yarai(やらい)」などを導入しないといけない時代になったと話題になっていました。
住宅街に残る菜畑城

「近畿の城郭3」を読んでいたら住宅街にある城を発見。さっそく行ってきました。
大阪から生駒トンネルを抜けると生駒駅、ここで生駒線に乗り越えて一駅目が菜畑駅。少し歩くと往馬大社で、この近くに城があるはずなんですが、なかなか見つかりません。
けっこう迷っていると住宅地図の看板を発見。城山という字名があったので、たどりつくとピンポン、城跡でした。といっても住宅地なので丘の上に家が並んでいるだけで土塁などは残っていませんが、堀切(曲輪と曲輪の間を断ち切った堀)などが狭い公道で残っていました。
■住宅地に残る菜畑城
曲輪がそのまま住宅地として残っていて見事ですね。住宅地開発では城は壊されたり津の渋見砦公園のように何もなくなって、単なる公園になるケースがほとんどですが、曲輪だけですが見事に城跡が残っていました。
城の横は小川が流れていて、これが堀代わりだったのでしょう。この堀から切岸(侵入できないような崖)になっていました。誰が領主だったのか記録にもまったく出てこない城ですが、けっこう大きな城です。近畿大学のグラウンドと緑ヶ丘中学校のちょうど間ぐらいにあります。
百億の昼と千億の夜

SFマガジンに連載された光瀬龍のSF小説。
萩尾望都が少年チャンピオンに漫画連載していたので、こちらを読んだ人も多いでしょう。阿修羅王がとってもよかったです。さっきWikipediaで見たら連載は1977年ですので40年も前になります。(笑)あの頃は若かったな~あ。
ギリシャのプラトンから話がはじまり、惑星開発委員会なるものが登場しますが、結論めいた話はありません。最後に阿修羅王と転輪王が会話する時に、宇宙の外側から、どうも誰かがこの宇宙そのものを実験しているようなシーンが出てきます。
■この宇宙は本物か
先日、アイザック・アシモフ記念討論会で、この宇宙がホンモノなのか、それともコンピューターの産物なのかという「シミュレーション仮説」の議論が行われました。
あくまで仮説なんですが、宇宙に関することが分かれば分かるほど、驚くほどこの宇宙は数学的な法則に基づいているようにみえ、物理学者のなかには我々が実在する世界にいるという証拠は何もないと言う人もいます。
シュミレーション仮説が生まれたのは2003年頃ですが、こういった議論を聞いていると40年も前にこのシュミレーション理論が「百億の昼と千億の夜」で描かれていたんですね。

