10月からマイナンバーの通知カードが各家庭に配られ、年明けからいよいよマイナンバー制度がはじまります各地でマイナンバーに関するセミナーが開催されています、個人番号をいかに守るかに焦点があてられています。
マイナンバーには個人番号のほかに会社などに割り当てられる法人番号があり、法人番号への対応も忘れずに考えておかなければなりません。
事業などを行っているNPOにも法人番号が割り当てられ、所在地などと共に登記されている住所が法人番号公開サイトで公開されます。NPOの場合、理事長の住宅などを登記している場合も多いのですが、全国に公開されてしまいます。会社でも創業した自宅から登記を移していなければ、自宅住所が所在地になります。
コンビニのアルバイトで留学生を雇っている場合、留学生には”28時間ルール”が適用されます。個人番号と法人番号の紐付で、この28時間ルールが守られているかも判別しやすくなります。もう一つのマイナンバーである法人番号の注意点です。
All About「企業のIT活用」最新ガイド記事です。
→ 本当は怖いマイナンバー法人番号
本町橋船着場

大阪府よろず支援拠点の住所は本町橋になっています。
近くに東横堀川があり、川の上を阪神高速が通っています。川にかかっているのが本町橋。東横堀川は「堀」と名前がついているように、もともとは豊臣秀吉が大坂城の西惣構堀として造ったもの。
大坂冬の陣では本町橋に塙団右衛門が床几をおいて、どっかと座り、蜂須賀軍などに夜討ちをかけ成功します。しかも「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒いて宣伝していました。すごいプロモーションですねえ。来年の大河ドラマ「真田丸」にこのシーンは出てくるかなあ。
本町橋の脇で、ずっと本町橋船着場の工事をしていましたが工事が終わったようでオープン記念のクルーズがシルバーウィークに行われます。東横堀川をずっと南に行くと、西に90度曲がって道頓堀になります。クルーズでは本町橋船着場から道頓堀へ出て、引っかけ橋(戎橋)の下を通って湊川船付場(難波の向こう)まで運行します。
■道頓堀
大阪といえば道頓堀ですが、工事が開始されたのが1612年。巌流島で宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した年です。始めたのが安井道頓という商人で、大坂城の外堀を造ることに尽力したことから秀吉から大坂城の南側の土地をもらいます。
この土地開発のため東横堀川と西横堀川を結ぶ運河を作ろうと考え工事を始めました。ところが安井道頓は大坂夏の陣で秀頼側につき、大坂夏の陣で討死してしまいます。一族が跡を継いで完成したのが道頓堀。阪神優勝で飛び込むのとグリコの看板で、すっかり有名になりました。
フリーランスの定休日

今年度から中小企業白書の他に小規模企業白書という新しい法定白書ができました。昨日の理論更新研修では、題材に小規模企業白書を取り上げたのですが、フリーランスの実態調査が掲載されています。
その中にでてくるのがフレーランスの定休日。土日や祝日に休むが2割で、休日が決まっていない不定休が8割。ようは自分で休みと決めたら休みです。まあ休んだ分だけ収入が減るという厳然たる事実があります。(笑)
日曜だというのに、朝からせっせと家で原稿書きの仕事をして、小規模企業白書の通りだなと思っています。もっとも能率があがるように飲みながら書いているので、そこらへんは割と自由ですね。ただ飲みすぎると能率がだんたん落ちていくので、見極めが難しい点が難点。
って、飲まずに仕事をすればよいですが、やっぱり日曜ですからねえ(笑)。
中小企業診断士 理論更新研修

中小企業診断士の資格更新用件として実務ポイント以外に毎年1回理論研修を受けなければなりません。
今日は理論更新研修の講師でしたので、受講料を払って申込をして自分で講師をしながら受講していました。(笑)もちろん修了証をもらって帰りました。
以前の大阪府中小企業診断協会では講師は別の回を受講しなければならない時代があったそうですが、さすがに見直されたそうです。大阪のように何回も研修を実地できるなら、まだしも三重県の理論更新研修は年1回なので、講師の受講生扱いを認めなければ他府県まで出かけなければなりません。
研修時間は4時間で私の担当は前半の2時間部分。「新しい中小企業施策について」と「ITを活用した外部資源の活用支援(クラウド)」です。とりあえず、終わりました!大阪の場合は1講師3セットになっているようですので、あと2回やらなければなりません。
受講生なのでアンケートも出さないといけないんですが、「大変よく分かりました」に丸して出してきました(笑)。
堺筋本町給油所

昨日、中小企業診断士の異業種交流会「いちもく会」が終わった後に皆で飲みに行ったのが堺筋本町給油所1号店。
写真をよく見ると居酒屋です(笑)。
以前、日経ビジネスに紹介されていて、ずっと行きたかったのですが、やっとこさ行けました。ガソリンスタンドをモチーフにした居酒屋です。学校居酒屋6年4組などを展開している阪神食品株式会社のお店。
給油機がビールサーバーになっていて、レギュラー・ハイオク・軽油が出てきます。
ハイオク - スーパードライ生
レギュラー - アサヒ・クリアージョッキ
軽油 - チュウハイ
他にスーパーハイオクがあり、これがスーパードライ・エキストラゴールド。重油もあって黒ビールです(笑)。宴会の終わりの方は重油ばかり飲んでいました。ピザの種類が多いし、メニューを見ると単品で頼んでもなかなかリーズナブルなお店でした。
いちもく会

ひょうご産業活性化センターでの窓口相談が終わってからマイドーム大阪へ。
マイドーム大阪に大阪府よろず支援拠点があり、よく来ているんですが、よろずの隣にあるのが大阪府中小企業診断協会。今日は第一木曜なので「いちもく会」の日です。
大阪府中小企業診断協会には約1000名の会員が参加していますが、さすがに全員は知らず、私が顔が分かるのが大体、100名ほど。他の会員も同じ状況なので毎年、協会では異業種交流会が開催されています。
火曜、水曜、木曜の晩に開催される3つの会があり、私が今年度、所属しているのが木曜開催の「いちもく会」。毎回、2名が持ち回りで発表し、その後は交流会です。今日は15名ほどが参加。
2年ほど前はマイドーム大阪のクーラーが夜は停止してしまい、窓を開けてウチワをあおぎながらやっていましたが、去年あたりから診断協会でクーラー代が出ることになり、快適な会場で「いちもく会」を開催しています。
秀吉 一夜で墨俣城を築く

穂積(岐阜)で午後から打合せでしたので、その前に墨俣城へ寄ってきました。
All About「企業のIT活用」で「戦国武将に学ぶシステム作り」シリーズをやっており、2002年(13年も前だ!)に書いたのが「秀吉 一夜で墨俣城を築く」。
佐久間など歴戦の武将が失敗した城造りを秀吉がプロジェクトマネージメントを発揮し、短納期で成功したことを描いたガイド記事です。そのために秀吉が行ったのが部品を揃え、組み立て経験(ノウハウ)を磨き、現地で短時間で作業できるようにしたこと。
→ 秀吉 一夜で墨俣城を築く
ともっともらしく書いていますが、これは太閤記に書かれた伝説を元にしています。本当に秀吉が墨俣城を築いたのか、単に守将をまかされただけか、本当の所はよく分かりません。ただ小牧長久手の合戦が終わった後、秀吉は墨俣で茶会を開いていますから、思い出の土地だったようです。
ずっと墨俣城に行ってみたかったので、ようやく念願がかないました。実際に城跡を見てみると2つの川に挟まれた土地で、イカダで城の部材を運ぶのはかなり合理的です。
もっとも城跡には模擬天守が建っていて博物館になっていました。
天野屋利兵衛が使った牢屋敷

大阪府よろず支援拠点があるマイドーム大阪の裏側にあるのが天野屋利兵衛の碑。
天野屋利兵衛の屋敷が近くの大手橋(通称思案橋)にあったからということで碑が建っていますが、天野屋利兵衛に関する資料を調べていると歌舞伎の演目に「第一場 天満与左衛門町牢屋敷の内部」というのがあるのを見つけました。
天野屋利兵衛は、大石内蔵助らが吉良邸に討ち入る直前、槍数十本をつくって赤穂浪士を支援していたとして大坂西町奉行所に捕縛されます。厳しい拷問にあった時、「天野屋利兵衛は男でござる」と言って自白しなかったシーンは、忠臣蔵で有名にです。
問題は天満与左衛門町牢屋敷の場所。マイドーム大阪と大阪商工会議所のある所が大坂西町奉行所跡で、すぐ近くに中大江小学校や中大江公園があります。この辺りが与左衛門町牢屋敷があった場所。というと屋敷のすぐ近くに捕まって拷問にあっていたことになります。ほんまですかいなあ。歌舞伎の演目が「第二場 思案橋詰利兵衛離座敷」ですので、ほんまにマイドーム大阪近辺なんですね。
与左衛門町牢屋敷ですが、大塩平八郎の乱が起きた時には、事件の嫌疑をうけたものが多かったため、新牢を建てて収容したそうです。
裏谷四 カレー激戦地 Spanish bar Passion

大阪府よろず支援拠点で窓口相談。ランチは例によってカレーです。(笑)
地下鉄・谷四の出口近くで本町通り沿いにある「Spanish Bar Pasion」という2階にあがる店へ行ってきました。情熱ホルモンなどを展開している五苑マルシングループのお店なんですね。夜は店名通りにスパニッシュバルになるそうです。
ランチはいろいろありますが牛スジ鉄板カレーというのがあって、迷わず注文。丸い鉄板のまん中にご飯がのり、周りに牛スジカレーが入っていました。ご飯の上に目玉焼きがのっているのがいいですね。他にサラダ、スープ―、セルフでドリンクもついて税込799円でした。店内は満員で女性比率が高めでした。
神戸でダイエーの看板がなくなる

朝、阪神三宮駅を降りて、ひょうご産業活性化センターに向かうと、いつもは閑散としているダイエーのバックヤードにトラックが一杯。しばらく前から地下の食品売場と地上3階までをリニューアル工事していましたが、終わったようで今日が再オープン初日でした。トラックは商品の運び入れのようです。
お昼休みに7階のジュンク堂へ行くついでに覗いてきましたがダイエーの看板が消えていました。イオン完全子会社化となりダイエーブランドの廃止が決まっていましたが、創業の地である神戸でも、ついにダイエーの看板がなくなったんですね。
1957年ですから私が生まれる前に神戸で創業したのがダイエー。最初は製薬事業でスタートしましたがすぐに撤退。同じ年に1号店である「主婦の店・大栄(ダイエー)薬局店」を大阪の千林商店街でスタートし、小売りをはじめます。三宮店ができたのが翌年の1958年で、これがチェーン化第1号店。ここからメーカーの圧力にも屈せずに価格破壊スーパーを展開し、大躍進をします。
現在のダイエー三宮店ができたのは1990年で、当初はプランタン神戸パート2という名前でした。阪神・淡路大震災も乗り越えてきたダイエーですが、ダイエーの看板がなくなると感慨深いものがありますね。ダイエーを完全子会社化したイオン(岡田屋)は創業の地である四日市駅前から早々と撤退してしまいました。