名古屋市新事業支援センター 歓送迎会

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18時~20時まで名古屋市新事業支援センターの歓送迎会。 
場所は吹上から1駅行った今池。交差点のところで千種郵便局の真向かいにある「さかなや道場」というお店です。まだ完全に本調子ではないのでビールはあきらめて焼酎とワインをチビリチビリ飲んでおりました。 
「さかなや道場」は1階にあるのですが、同じビルの2階に本屋さんがありました。ちょっと時間があったのでのぞいてみたのですが、これが珍しい人文・社会科学の専門書店。ウニタ書店という変わった名前なんですが哲学やら社会学のジャンルの本がずらっと並んでいます。 
みすず書房を揃えている町の書店を久しぶりに見ました。京都の三月書房のような感じの店です。店の外には古書の棚があり、おそらく見切り品だと思うのですが、谷沢栄一の「幸福通」があるじゃないですか。しかも税込108円!こりゃ買うしかないですね。 
歓送迎会が終わって名古屋駅21時発の近鉄アーバンライナーで大阪へ戻ってきたら地下鉄・中央線が最終列車でした。

木木会(大阪府中小企業診断協会)

Hooters201404.jpg木木会というのは大阪府中小企業診断協会の交流会グループの一つ、毎月1回木曜日に開催しています。 

本日は木木会、最後の打ち上げ。いつもは会員の発表があってから飲み会を開催しているのですが、今日はラストということで打ち上げだけでした。 

打ち上げのお店は堺筋本町にある「HOOTERS JAPAN」。アメリカのフロリダ発祥の店でチアガールをイメージしたフーターズガールで有名なお店です。ホットパンツでなかなか健康的ですね。時たまショーがあり、懐かしいYMCAなどをやっていました。 

日本では東京の3店舗と大阪の1店舗しかありません。大阪は昨年の12月にできたばかりのお店です。予約していったのですが話題のお店ということで店内は満員。けっこう大きなお店で200人ほどが座れます。値段は若干、高めの設定で料理はアメリカ的というか大味です。ずっと食べていたら絶対、高血圧になるという料理です。 

客単価は高くって飲み放題セットなどが5000円。大体、4000円~6000円検討。時間制限があって2時間。昼から3時までやっていますが、夕方17時からだと3回転はします。4000円×200人×3回転だと240万円ですので、けっこう大きな売上ですね。 

不思議な西枇杷島駅

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新幹線で新大阪から名古屋へ向かうと、名古屋駅の手前で変わった駅が左手に見えます。駅の名前は名鉄・西枇杷島駅。変なホームが一瞬だけ見れます。
2つの島式ホームがで、4線あるんですがホームは直角ではなく湾曲した変な形。屋根も階段もなく殺風景なホームで端はかなり狭くなっています。ホームの長さもあまりなく4両編成で目いっぱい。時たま6両編成の電車が止まっていますがホームからはみ出しています。調べると6両編成以上の列車が停車する場合はドアカットしているそうです。
皆、不思議に思うようで、実際に西枇杷島駅を訪れた人のレポートがいくつかネットに上がっていました。各駅停車しか止まらず名古屋駅から3つ目の駅なんですが30分に1本しか止まらないローカル駅です。おまけにホームが狭いため電車が来る前に係員がホームに誘導するシステムになっています。名古屋駅から3つ目と言えば都会なのに変な駅ですねえ。しかも先は2つの路線に分かれていてデルタ線になっています。
名鉄・名古屋駅は日本一、乗車するのが難しい駅だし、名鉄には変わった駅が多いんですね。

千本松原 木曽三川

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    小さい頃、読んだ絵本に「千本松原」があります。薩摩藩が苦労しながら木曽三川の治水工事にあたった物語。木曽三川が集まった地域は水害の多い所で、そこで川を分ける工事が行われます。幕府に命じられたのが薩摩藩。堤防が作られ、堤防には松が植えられました。これが千本松原です。 

    多額の費用がかかった難工事で、薩摩藩士の多くが怪我や病死。また藩に迷惑をかけたと家老などが切腹しています。工事に関わり命を落とした薩摩義士は桑名の海蔵寺などに埋葬されています。 

    新幹線で木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)を通過する時は、川と川の間隔は空いていますが、下流の近鉄名古屋線やJR紀勢本線あたりでは、かなり狭まります。特に長良川と揖斐川はほとんどひっついていて、川の間は道路が走っているだけ。この堤防の一部が薩摩藩士が作った千本松原です。 

    何気なく見ると、川の中を車が走っているなかなか他では見られない風景を見れます。この道路もすぐ下流でなくなり、長良川と揖斐川が合流し、さらに木曽川が合流して伊勢湾に流れています。 

新入社員のためのメールマナー

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    駅などで、まだまだ着慣れないスーツ姿の若者を見かける季節となりました。入社式も終わり、ちょうど研修が始まったところでしょう。 

    電話のとり方、名刺の渡し方などは研修で習いますが、意外と実施しないのがメール研修。会社への問い合わせでメールの比重が増えていますが、研修をやっていない企業がほとんど。結局、我流のメールを出してしまうことになります。 

    社会人の第一歩を踏み出したフレッシュマンには、学生時代と違うビジネスの世界が待っています。取引先に出すメールは友人へ出す携帯メールなわけにはいきません。宛名や挨拶など、注意しないといけない点が多々あります。 

    というわけで4年ほど前に書いた新入社員向けのメールマナーの記事なんですが、このシーズンになるとよく読まれています。 

    ▼新入社員のためのメールマナー 
    http://allabout.co.jp/gm/gc/298238/

水谷IT支援事務所 上場のお知らせ

どこでもドア
どこでもドア

                             2014年4月1日

 
各 位
 
        「水谷IT支援事務所」上場のお知らせ
 
 水谷IT支援事務所は、本日、東大阪証券取引所JASDAq市場に上場いたしましたので、お知らせいたします。
 
■「どこでもドア」の開発に成功
 水谷IT支援事務所ではコンサルタント業のかたわら、瞬間移動装置(仮称:どこでもドア)の開発に取り組んでおりましたが、ようやく開発にめどがつきました。そこで「どこでもドア」の本格生を行うため上場を決意しました。主幹事会社はマイドオオキニ証会社にお願いしております。
 
■近畿の山城に「どこでもドア」を設置
 開発した「どこでもドア」をまずは近畿の山城を中心に設置します。痛風などで歩けない方、年齢的に山登りはムリという方が気軽に山城を楽しめるよう主郭近辺に設置します。「どこでもドア」は現在のところ山城巡り以外の使い道は考えておりません。
 
設置を予定している山城は
 
 高取城(奈良県)   日本三大山城の一つ
 芥川山城(高槻市)  飯盛山城に移るまで三好長慶が居城
 飯盛山城(四条畷市) 三好長慶の居城で、飯盛山城で病死
 信貴山城(奈良県)  松永久秀の居所。信長に攻められ爆死
 滝山城(神戸市)   赤松則村の居城で六波羅軍を撃退
 
 なお、高取城では「どこでもドア」を本丸以外に二ノ門跡にも設置します。飛鳥から運ばれた猿石をぜひお楽しみください。
 
 「どこでもドア」は近畿から全国の山城に拡げていきます。これで藪コギしなくてもすみますので、山城ファンの皆さんはぜひお楽みに。今後とも水谷IT支援事務所をよろしくお願いします。
 

フランシーヌの場合

今日は「三月三十日の日曜日」。
と聞くと思い出すのは「フランシーヌの場合」。日経新聞の「春秋」に載っていて、そういや今日は3月30日の日曜だなと思いだしました。昔、流行った歌です。
“フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん 
 フランシーヌの場合は あまりにもさびしい 三月三十日の日曜日 
 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ”
事件が起きたのは1969年3月30日。ベトナム戦争とビアフラ戦争の抗議のためパリで一人の女性・フランシーヌが焼身自殺。この事件から生まれた歌が「フランシーヌの場合」で、歌っていたのは新谷のり子さん。
安保闘争など学園紛争華やかし頃で反戦歌の一つとして歌われました。私は世代的には少し後なんですが、歌はよく知っています。他にもザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」や森山良子の「さとうきび畑」もよく歌われていました。
ベ平連と言っても、今や死語でしょうね。
▼YouTubeに「フランシーヌの場合」がありました。
http://youtu.be/2dah_5_6gPs

AllAbout「企業のIT活用」12周年

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本日、3月20日はAllAbout「企業のIT活用」がスタートしてちょうど12周年。
2002年、スタート当時の名前は「企業のIT導入」。株式会社オールアバウトはリクルート・アバウトドットコム・ジャパン(RAJ)という長い会社名で1年前の2001年からAllAboutというサービスが始めていました。ちょうど専門学校の教員を辞めてフリーで仕事をしている頃で、たまたま「企業のIT導入」のガイド募集を見つけ、「ネットでできる仕事やし、これええやん!」と応募。当時は3次ぐらいまで試験があってなんとか合格し、サイトをオープン。あの頃は記事だけでなくジャンル別リンク集も作らないといけなかったのでリンク許諾の確認などオープン準備は大変でした。
サイトをオープンしてからは週1回、メルマガを書き、ほとんど毎週にわたって記事を書く生活がずっと続き、おかげで筆力はだいぶ鍛えられました。現在、累計ガイド記事は350本。もっとも昔、書いた記事はきれいさっぱり忘れています。(笑)2005年4月にサイト名が「企業のIT活用」へ変更となり、今に続いています。
ガイドには編集者がつくのですが長年、ガイドをやっていると転職したり、辞めて起業したりと編集者が変わっていきます。最近は担当替えによる変更が多いのですが、だんだん若くなる傾向にあります。それだけ、こちら側が歳をとったということなんですが。現在の編集者って何代目かなあ。

北田原城(生駒市)

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    生駒駅北口1番のバス停から北田原行に乗車。1時間に1本出ています。下田原で降りて5分ほど歩いた集落の横にあるのが北田原城です。 

    北田原城と言われていますが本来の城の名前は伝わっていません。坂ノ上丹後守の城と言われていますが坂ノ上丹後守が誰なのか分かっていません。 

    北田原城は屈折する尾根上に郭が並ぶ連郭式で見応えがあります。大手道を歩くと郭に出ますがかなり広い郭で、大峰山の祠があります。ここから上にあがっていくと堀と土橋があり、この土橋がなかなか見事。土橋から急坂になっていて上がると主郭に入れます。おそらく虎口だったのでしょう。 

    堀切で区切られた隣の郭には送電線の鉄塔が建っています。さらに郭が続いていて、かなり広い城になっています。郭の配置は伊賀上野の城氏城に似ています。 

    北田原城は国道163号線と168号線が交差する所にあり、国道163号線は伊賀から大阪へ通じる道で168号線は奈良の南から交野へ通じる道で交通の要衝になります。街道に見張る城だったのでしょう。写真は郭から見た国道です。 

    田原城からも近く、連動して街道を抑えていたのかもしれません。

さらばWindowsXP

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WindowsXPのサポートがいよいよ2014年4月9日に終了します。実はとっても長命なOSでした。
■2つのOSを統合して誕生
WindowsXPが登場したのは2001年。小泉純一郎が首相になった年で、映画「千と千尋の神隠し」が放映された年です。そういえば2000年問題もありました。
それまでのWindowsには2系統があり、Windows1.0からWindows3.0、Windows95、Windows98と発展していった系統で昔の16ビット時代を引きづっていました。もう一つはWindowsNT3.1からndows2000までの系統で、こちらは32ビットのOSとして誕生しています。2つのOSを開発していくのは大変だったので、統合され誕生したのがWindowsXP。
ところがコンピュータウイルスが新たな脅威になっていきます。2003年にはWindowsXPのセキュリティーホールをついたBlasterウイルスが登場。ネットワークに接続するだけで感染するかいなウイルスで感染者が続出。それまでは自分でWindowsアップデートをしていましたが、ある程度、コンピュータ知識が要求されるためアップデートをしているのは上級者だけで般の人はほったらかし。これが被害を広めてしまいました。この後、マイクロソフト社では手動ではなくWindowsアップデートを自動更新するようになり、現在に至っています。
2007年にWindowsVistaが登場、2009年にはWindows7が登場。発展してきたWindowsですが、いまだにCP/Mと呼ばれる最初のマイコンキットで登場したOSをひきづっています。それがドライターです。ドライブレターとはAとBがフロッピー、Cがハードディスクのように外部記憶装置にA~Zを割り振ることです。
■WindowsXPの草原は実在する
WindowsXPのデスクトップでよく見かけるのが「草原」の壁紙。青い空に雲がかかり、緑の丘には日があたっています。世界中のウィンドウズ・ユーザーが毎日、見ている画面ですが、これはCGではなく実在しています。
場所はアメリカ・カリフォルニア州にあるソノマバレーの東にある丘。撮影したのはカメラマンのチャールズ・オレア氏で、現地のソノマバレーに住んでいます。「ナショナル・ジオグラィック」などの撮影を担当するカメラマンです。やがて単純な色から机の上に写真を並べるように熱帯魚や森林などいろいろな壁紙が登場するようになりました。
この草原があるソノマバレーはワイン生産で有名で、ブドウ畑が広がっています。カメラマンはワインにまつわる風景写真をよく撮影しているため、日常的に行き来する丘でした。ある日、カリフォルニアの青い空に積雲が広がる中、丘の緑が見事なコントラストになっていて思わず撮影しました。この時に撮影した写真が採用され、世界中のウィンドウズ・ユーザーが見ることになります。このカメラマン、実はマックユーザーだそうです。