企業経営から見た不動産【企業診断研究会】

sindan201210.jpg夜、津駅前にあるアスト津・会議室で企業診断研究会。 

三重県中小企業診断協会で隔月で開催している研究会です。本日は不動産鑑定士&中小企業診断士である三輪氏に「企業経営から見た不動産」についてのお話をうかがいました。 

企業が所有・賃貸する不動産をCRE(Corporate Real Estate)と呼び、CRE戦略という不動産の管理、運用を戦略的に行うことが日本でも増えだしているそうです。 

質問タイムにはいろいろなお話を伺えました。例えば不動産鑑定ですが、土地の売買があれば必ず不動産鑑定士の誰かがチェックして、業界としてデータベースにし情報共有しているそうです。このデータベースなどを参考に不動産価値が決まる仕組みになっています。 

また中小企業の社長などによく聞く、あの不動産鑑定士に依頼すると高めに査定してもらえるなどの舞台裏の話が面白かったですね。 

三重県全体では地価が下がっていますが、上がっているところもあり、津駅西側の住宅地が微増、伊勢神宮・内宮のおはらい町は上がっています。また南北問題があり、名古屋に近い桑名、四日市は下げ止まっていますが、南の鳥羽や尾鷲、熊野は下がっています。

近鉄京都線は昔、国鉄奈良線だった

近鉄京都線.jpg
明治から大正になった頃の京都の古地図を買ってきたので、さっきからビール片手に眺めています。
地図をよく見ると京都駅・西側から出ている近鉄線が国鉄になっている!
ずっと線路を追っていくと京阪電気鉄道と丹波市駅近くで交差し、そのまま桃山、六地蔵、宇治経由で奈良へ向かっていました。桃山から宇治にかけては現在のJR奈良線ですね。
今度は東側を見ると山科へ抜けるトンネルではなく現在のR奈良線が東海道線になっています。伏見稲荷から深草を通って奈良へ向かわず、現在の名神高速道路の近くを通って山科へ抜けています。トンネルはなく山間を抜けるルート。
いろいろ調べると、京都駅の東側にある東山は地質が不良だということで先に山科ー大津間の逢坂山トンネルを掘り、京都-山科間は伏見稲荷からぐ
るっとまわる線にした経緯がありました。1921年(大正10年)にようやく東山トンネルができ、現在の東海道線のルートに。京都-稲荷間は奈良線に転用され、稲荷-山科間は廃線となり、後に名神高速道路へ転用されました。
この時に国鉄奈良線だった京都駅 – 伏見駅間が廃止になったので、買い上げたのが近鉄の前身の一つである奈良電気鉄道。丹波橋駅から宇治川を渡って奈良へ向かう現在の線になりました。
国鉄では東海道線だった京都-稲荷から奈良電気鉄道へ売った残りの桃山ー奈良を結ばないといけません。それで現在のような伏見の山裾を通るJR奈良線になりました。伏見へ行くと京阪、近鉄、JRがすぐ近くをほとんど並走して走っていますが、こんな歴史があったんですね。

キャンセルだらけの窓口相談 商い繁盛館

商い繁盛館
大阪南港にあるATC(アジアトレードセンター)の商い繁盛館へ。
ネットショップセミナーと同時に窓口相談を開設していて、時たま担当しております。台風が近づいているので中止かなと事務局へ電話すると、予定通りやりますという返事。はい、そうでうかと雨の中、ATCへ。まだ、そんなにひどい雨ではなかったので助かりました。
ATC、さすがに人は少ないですが、日祝日は毎回コスプレイベントが行われているので、金髪やら緑色やらいろんな髪の毛の女の子が連れ立って歩いておりますね。今日はセーラームーンもおりました。(笑)
事務局に着くと4件相談予約が入っているが、13時からの相談はキャンセルの連絡があったとのこと。では3件やらなくてはとスタンバイ。途中でトイレへ行くついでに外を見ると、嵐になっていました。
こりゃ、相談者も来れないなと思ったら、キャンセルの連絡が2件。1件は電話での相談に変更となりました。スタンバイしている間に台風が過ぎ去り、小ぶりになっていました。たまにはこんな日もありますね。

ルビー(Ruby)のセミナー

seminar201209.jpgルビーと言っても宝石ではありません。プログラム言語の話です。 

ITコーディネータの組織の一つであるITC近畿会でRubyのセミナーがあり、参加してきました。RubyはI日本生まれのプログラム言語で、初期のTwitterはRubyで作られました。他にもクックパッドや食べログなどもそうですね。 

日本生まれのプログラム言語ですが、海外で火がついて日本に逆輸入とよくあるパターンです。開発者の「まつもとひろゆき」氏は島根県松江市在住ですので、松江市&島根県が地域振興をこのRubyでやろうと取り組んでおり、今日はそういった行政の取り組みが紹介されていました。 

島根県と言うと、「あの砂丘のあるところの」、「ゲゲゲのキタロウで有名な」と鳥取県と混同されることが多いそうです。そこで「Rubyなら島根」と言われるように頑張っています。なんせ人口が71万人をきり、大阪府堺市の人口よりも少なくなったので必死です。 

補助金を出して企業誘致しても効果がありません。そこでRubyができる人材を育てようと、中学生からRuby教室を開催。そうそう学習指導要領が変わって、来年から中学の技術ではプログラミングが必須になるんですね。全国の中学校でプログラミングを教えられる先生がいないので頭をかかえて悩んでいるそうです。 

とがったRubyの人材が10人いれば世界で注目されると頑張り、実際に成果が出ています。IT系企業が増え、雇用も売上高も、このご時世の中、右肩上がり。またIT企業を支援するため県や市のシステムをRubyで作ることを奨励しています。これはうまいやり方ですね。

都会のど真ん中に残る末森城

suemori201209.jpgお釈迦さんの舎利が奉納されている日泰寺のすぐ近くに小高い山があり、山上にあるのが城山八幡宮。ここには前から行きたかった末森城跡があります。 

織田信長のお父さん、織田信秀が築城した末森城。三河の松平や駿河の今川に備えた城で、織田信秀は古渡城から移ってきました。古渡城は現在の東別院にあります。やがて織田信秀はこの末森城で亡くなりました。 

城山八幡宮がある場所が本丸で、周りには空堀が掘られていましたが、これが見事に残っています。空堀の底まで降りて撮影した写真ですが、単なる道にしか見えませんね(笑)。けっこう深い堀になっているところもあり本丸をぐるっと囲んでいます。それにしても都会の真ん中によく戦国時代の遺構が残りましたね。 

信秀が死んで、末森城の新しい城主になったのが信長の弟である信行。母の土田御前がウツケと呼ばれる信長よりも品行方正な信行を溺愛していたこともあり、家臣が二手に分かれて家督争いに発展。やがて稲生が原の戦いが起き、信長は信行派だった柴田勝家らと戦い勝利をおさめます。桶狭間の戦いが起きる4年前のことです。 

船場経済倶楽部でセミナー

船場経済倶楽部でセミナーをしてきました。 

場所は船場センタービル。地下鉄本町駅から堺筋本町駅にかけて駅の上にずっとビルが続いています。その長さは東西1km。ビルの上には阪神高速が通っていて、所々は道路で区切れますが、ずっと同じ高さのビル。 

ビルは地下2階から4階まであり、入っているお店は船場なのでアパレル系が多いですね。地下は飲食店や居酒屋などです。名古屋で言うと100メートル道路の真ん中にずっと同じ高さのビルが続くイメージですねえ。1号館から10号館まであります。 

この4号館の4階に船場経済倶楽部があります。第83回 ビジネス活性化塾の講師ということで、「ネット戦略の”新”勘所 ~新規顧客獲得のためのネット活用法~」というタイトルでセミナーをしてきました。 

船場経済倶楽部の歴史は古く、設立は昭和55年。異業種交流などという言葉がない時代に、大阪青年会議所有志らなどが集まって作られた会だそうです。すごい歴史ですねえ!

源頼朝が生まれたのは名古屋

yoritomo201209.jpg今日は日曜なので大河ドラマ「平清盛」ですなあ。 
あまり知られていませんが源頼朝が誕生したのは名古屋です。 

源義朝の正室は藤原季範の娘・由良御前で、この藤原氏は熱田大宮司。熱田神宮の目の前に平安時代、別邸がありました。由良御前は身ごもった後、実家(熱田)へ戻り、ここで源頼朝を産んだそうです。現在は誓願寺というお寺になっています。最寄駅は地下鉄・神宮西駅です。 

寺の前に右大将頼朝公誕生舊地の碑があります。頼朝のお父さんふだった源義朝は平治の乱で敗軍の将となり、亡くなったのは尾張国野間(愛知県知多郡美浜町)で裏切りが原因でした。源氏は愛知県と深い縁があるんですね。 

源頼朝、織田信長、豊臣秀吉は3人とも名古屋生まれながら、鎌倉、安土、伏見を本拠地にし、名古屋とはあまり縁がないですね。

全国でただひとつ超宗派のお寺 覚王山日泰寺

nitaiji201209.jpg覚王山日泰寺へ。 

名古屋市営地下鉄・東山線の覚王山駅から、参道を上がると覚王山日泰寺です。全国でここだけという超宗派のお寺です。昨日は弘法の日(21日)ですので、参道には屋台があふれていました。 

事の発端は明治31年にお釈迦さんの遺骨である仏舎利が発見されたことにさかのぼります。インドで、骨壷が英国の手で発掘され、古代文字を解読したところ本物の仏舎利だったことが判明しました。この仏舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡されています。 

明治33年にこの仏舎利の一部が、シャム国王ラーマ5世から日本へ贈られました。受け取った日本では大騒ぎ。どこかのお寺に収めると、それぞれ宗派があるので角が立ちます。そこで超宗派の寺として仏舎利を安置するために作られたのが覚王山日泰寺です。 

日泰寺の泰は仏舎利を贈ったタイ王国をあらわします。また覚王山の覚王とは、釈迦の別名。本堂にはタイ語の扁額がかかっていました。また参道の商店街にはエスニックで個性的なお店が並ぶことで有名です。ただし弘法の日は年配層が多かったですねえ。

尾張の物部氏

mononobe201209.jpg午後、名古屋の企業へ専門家派遣へ。午前中に前から気になっていた物部神社へ出かけてきました。物部神社は地下鉄桜通線・車道駅を降りてすぐの所にあります。祭神は物部氏の祖である宇摩志麻遅命。式内社ですので古代からあり、都会の一角によく残りましたね。 

またここから歩いてすぐのところに高牟神社があります。JR千種駅のすぐそば。ここは物部氏の集落の一郭で、武器を納めた倉があり、現在の高室神社になっています。高室神社のあたりは常世の草香島(くさかじま)と呼ばれ清泉が湧き出ていました。今も境内に応神天皇に水を献上したと言われる古井が残っています。 

私が住んでいる東大阪や八尾も物部の土地で、神社の神様と言うと決まって物部系です。おまけに八尾には大聖勝軍寺という寺があり、ここが物部守屋の稲城址。蘇我馬子、聖徳太子連合軍に敗れた場所で、近くには物部守屋の墓まであります。ほんまかいな(笑) 

東大阪や八尾は今は大阪の東部ですが当時は海岸沿いで草香津から神武天皇が攻め入り敗れた場所でもあります。名古屋も古代の平野部は海で、名古屋城から熱田神宮あたりが海岸近くの高台でした。大阪も尾張も物部の土地で、不思議なご縁がありますねえ。 

学食運営は難しい

lunch201209.jpg昨日のお昼は名古屋市新事業支援センターのマネージャ達と名古屋大学・医学部の学食へ。なかなかリーズナブルで品数も豊富な学食でした。定食は麦ご飯を選ぶこともできます。 

学食の経営は学生相手なので楽かと思えば、なかなか大変。大学の場合、長い夏休み・春休みがあるため雇用の問題が出てきます。子供が夏休みや春休みの時は休みたいというお母さん方をうまく見つけて雇わなければなりません。 

会社としては夏休み、春休みの学食の売上がありませんので、他で商売をしていなければ会社がもちません。ただずっと休みかと言えば、そんなことはなくオープンキャンパスが行われると、見学者に対して学食をアピールするため大学から営業するように頼まれます。 

オープンキャンパスは土日などに開催されますので、休日出勤してくれるパートさんを見つけてシフトを組まなくてはなりません。人のやりくりが大変なのは外食産業の宿命ですね。 

たまにおいしい話もあります。学内で行われる会議や大会などの後のパーティ需要。バイキングスタイルのパーティですので、まあまあ粗利をとることができます。そんなこんなで学食運営しているところが多いですね。基本的には生協運営ですが、直接、大学と事業者が契約しているケースもあります。