杉山古墳

若草山

平城京を造営する時に古墳などを壊しましたが、大安寺では杉山古墳という前方後円墳を敷地に取り込んでいます。

大安寺では古墳を壊しながら麓に瓦窯を6基作っていました。奈良時代末から平安時代にかけて、大安寺の修理に使用された瓦を焼いていたようです。前方部から土砂や葺石が運び出して資材調達に使っていたようですが、古墳そのものは残っています。

5世紀後半頃にできた古墳のようで公園として整備されていて登ることができ若草山などを一望できます。墳丘長は150メートルほどあったようですが、現在は120メートルほどになっています。

大安寺

大安寺

大安寺は2つの塔がある巨大な寺でした。塔の基壇跡がしっかり残っています。

大安寺は厩戸皇子(聖徳太子)が平群につくった熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が大本です。名前は祇園精舎にならいました。そこから百済大寺、高市大寺、大官大寺となり平城京遷都によって大安寺になりました。

舒明天皇が百済大寺を作りましたが建設途中で落雷による火災などにあったようです。これが子部大神の怨みと考えられ皇極天皇は夫の遺志を引き継いで場所を変えて再建します。これが吉備池廃寺で九重塔とみられています。大安寺の失われた塔も九重の塔でした。

天平の甍(大安寺)

大安寺

辰市城から北上し、平城京の南限である九条を超えていくと大安寺があります。ちょうど本堂で神楽を演奏しながら舞が行われていました。

大安寺といえば普照(ふしょう)ですね。井上靖の「天平の甍」に苦難の道が描かれています。

許可なく出家する私度僧が多く、唐から戒律は伝わっていましたが不完全なものでした。そこで聖武天皇は唐から優れた僧を招くことにします。命をうけたのが大安寺僧だった普照と栄叡で養老5年(733年)に派遣される遣唐使に加わります。唐に滞在して10年目に鑑真と出会い、日本への渡航を要請します。快諾をえますが、そこからが大変で、日本への渡航が5回も失敗し鑑真は失明してしまいます。また749年には苦楽をともにした栄叡が唐で病死してしまいました。

6度目にしてようやく渡航が成功し、天平勝宝6年(754年)平城京に鑑真が到着します。普照が唐に渡って20年が経っていました。鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、聖武天皇などに戒を授けます。やがて唐招提寺が建立されます。

辰市城

辰市城

中ツ道の終点が東九条町だったので、ちょっと歩いて辰市城跡へ。

主郭があった場所は辰市幼稚園でしたが、久しぶりに行ってみると南部公民館東九条分館になっていました。住宅地になっていて城跡は残っておらず水路跡が堀跡かなという程度です。

ここが有名な「辰市城の戦い」の舞台です。松永久秀と筒井順慶が大和の覇権を争っていました。大河ドラマ「麒麟がくる」でも二人の対立が描かれていました。松永久秀が信貴山城、筒井城、多聞山城という城をつないだネットワークを築いていましたが、そこにクサビをうつために筒井方が辰市に城砦を築きます。急ごしらえの城郭でしたので松永久秀方が攻めたてますが筒井方の後詰があらわれ、松永方が敗戦。松永久秀の大和支配がゆらぐ分水嶺の戦いになりました。

中ツ道をゆく(14) 東九条

中ツ道

中ツ道をゆくシリーズもいよいよ終了です。

五徳池を超えてすぐの所に南永井町の信号があり、ここが平城京の九条大路で西に行くと羅城門跡があります。実際の中ツ道は残っておらず、754号線は斜め北に向かう道なので、中ツ道は左にずれていて畑などを通り現在の五徳池を突っ切っています。中ツ道は平城京の東南の端に至り、南北を結ぶ東四坊大路に接続しています。

九条大路で羅城門が見つかったので平城京の南は九条までと考えられていましたが、2018年に九条大路の南側で十条大路の遺構が発見されます。ところが、わずか二十年以内で埋め戻されていたようで、いまもよう分かっていません。

じょうもん(中百舌鳥)

じょうもん

中百舌鳥(堺)でお仕事だったのでランチは「じょうもん」へ

中百舌鳥駅前に昔、セレソヴィー株式会社があり、ファイティング・コンサルタンツ研究会の根城でした。2010年頃から堺東へ移転するまでの6年間ほど中百舌鳥でした。この頃は今のように酒飲み集団に堕落する前でしたので14時から17時頃まで研究会を行ってから「じょうもん」へ移動して宴会していました。研究会3時間、宴会4時間というパターンでしたね。

「じょうもん」は今も健在で日替わり定食は750円でがんばっていました。提灯はなくなっていました。

中ツ道をゆく(13) 東九条城

東九条城

今市城から中ツ道に戻り、北上すると五徳池があります。単なる溜池に見えますが、平城京の時代から存在し、当時は越田池と呼ばれていました。この近くで奈良時代に瓦を焼いた窯跡がみつかり、光明皇后に関連した木簡に出てくる越田瓦屋の跡とみられています。

平城京の参考にした長安(唐)の南東端には曲江池があり、平城京を造る際に真似して越田池をつくった説があります。池のほとりに白山神社があり、このあたりにあったのが東九条城で小字名「城」が残っています。神社の周りなどを歩いたのですが、それらしい遺構は残っていませんでした。

ファイティングコンサルタンツ 飛鳥

猿石

ファイティングコンサルタンツという20年以上前はコンサルティング・ファーム(経営コンサルティングのコンサルティング会社)を目指していた中小企業診断士の研究会があるんですが、10年ぐらい前から単なる歴史探訪&酒飲み集団になっています。

「飛鳥へ行きたい」というリクエストから飛鳥駅に集合。猿石→鬼のまな板・雪隠→亀石→橘寺→石舞台古墳→飛鳥京→酒船石を巡る定番コース。

ランチは「まいどおおきに食堂」へ行ったのですが缶ビールが冷えておらず、1本だけで我慢するという珍しく短時間のランチとなりました。大体、ランチで宴会を始めるのでいつもスケジュールがタイトになるんですが、飛鳥奥地にある石舞台古墳まで到達できました。石舞台近くで冷えたビールを飲み、日が暮れる17時を目指して橿原神宮駅を目指します。

途中、観光客がほぼいかない推古天皇豐浦宮跡豊浦寺にも立ち寄って、橿原神宮駅へ。駅前で空いている居酒屋を探しながら、ちょうど団体客が出た店に入り、飛鳥鍋を食べながら宴会!

めざせ中小企業診断士

めざせ中小企業診断士

同友館から「めざせ! 中小企業診断士 合格したら人生が変わった17人の物語/体験記」が届きました。書店での販売は12/1からです。

メインの顧客ターゲットは、これから中小企業診断士を目指す人なんで、狭いですねえ(笑)。
企業内中小診断士9名、独立中小企業診断士8名が、「中小診断士をめざした動機」「中小診断士試験の学習法・合格法」「合格後の中小企業診断士としての生活(3年、5年、10年)」を語っています。

第1章 中小企業診断士という資格
第2章 資格取得に向けた学習戦略とモチベーション
第3章 診断士取得後の人生(企業内診断士編)
第4章 診断士取得後の人生(独立診断士編)
第5章 資格を活用するために大切にしてほしいこと
第6章 中小企業診断士をめざすあなたに

※定価2,200円(税込)ですが著者割引、1,600円(税込+送料込み)でも販売しますので、ご希望があれば、ご連絡ください。

Mixi21年目

mixi

Mixi(ミクシ―)って覚えていますか?

2004年3月にサービス開始。2010年までは完全招待制で安心して使いやすいSNSでしたが、完全招待制を廃止してからは迷走状態となりました。スマホ対応の遅さやFacebookの日本上陸などで今では閑古鳥状態です。とはいいながら、まだ使っています(笑)。

今日、Mixiにアクセスしたら「mixiをはじめた日、覚えてますか?」というメッセージが出て21年目なんだそうで、2004年11月14日にebisu(海老名さん)の招待で参加していました。