ウェブ時代の5つの定理

今日は朝から伊勢へ。

夕方、近鉄電車で大阪まで帰ってきました。車中で読んでいたのが梅田望夫の「ウェブ時代の5つの定理」。

本に面白いことが書いてありました。日本のネットは匿名文化なのに英語圏は実名文化で、WikiPediaに書かれている内容などの考察から、実名文化の方がネットの持ついろいろな可能性を拡げられるのではという考えです。

日本のインターネットの元は1984年に始まったJUNETです。当時はホームページなどなく、今で言う掲示板でした。使っているのは大学の先生やコンピュータ業界の技術者ばかりでしたので実名が当たり前。分岐点となったのがNift-Serveとの接続です。ハンドル名文化だったパソコン通信がインターネット接続されることで、匿名文化が広がりました。次の分岐点が「2ちゃんねる」ですね。ハンドル名もない「名無し」になってしまいました。

私はJUNET時代からずっとインターネとを使っていて、Nifty-Serveではフォーラムスタッフもやっていたこともありハンドル名を使っていなかったので、面倒だとずっと実名です。(笑)

ワンストップ・サービス・デイ in 四日市

四日市商工会議所で朝から中小企業支援の「ワンストップ・サービス・デイ」が開催されました。昨年末に実施された時は、急に決まったこともあり相談者よりも相談にのる人の方が多かったですね。

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今回も少ないかなと、会場の控室に入っておもむろにパソコンを開き、仕事しようとしたら受付から「水谷さん。相談お願いします。」と呼ばれました。後は、入れ替わり立ち替わり相談が次々に入って 、結局13:30まで昼飯もおあずけでした。今回は広報がいき届いていたようです。ただ相談者は午前中にかたまっていたようで、午後は比較的に暇でした。

話はかわって、ファーストサーバーさんで「ITで地域は元気になる」コラムを連載しておりますが今月号が最後です。最後のテーマはツイッターにしました。テーマは「ツイッターで人が集まる仕組みを作る」です。ぜひ、ご覧ください。
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→ ツイッターで人が集まる仕組みを作る

ハードディスクのバックアップ&デフラグ中

ハードディスクのバックアップを取りました。「バックアップを取っていないときに限ってHDDがクラッシュする」というマーフィーの法則があり、転ばぬ先の杖です。

そういえば以前に「ハードディスクが壊れる日はいつ?」というハードディスクのスマート機能を紹介した記事を作成しました。ハードディスクがいつ壊れるか予想してくれるソフトがあり、データの書き込み中に発見されたエラーの数などの予兆を把握して、いつぐらいに壊れそうか計算してくれます。

バックアップが終わったので、次は外部ディスクと内部ディスクのデフラグ中。しばらく使っているとけっこう断片化しますね。部屋と一緒で掃除はこまめにした方がよさそうです。

明日は四日市商工会議所で「ワンストップ・サービス・デイ」の相談対応をしております。

AllAboutの最新ガイド記事を昨日アップしました。時節柄、新入社員向けの記事です。

→ 「新入社員のためのメールマナー(宛名と挨拶文)」

4支援機関合同連絡会議

昼から名古屋駅前のウィンク愛知で4支援機関合同連絡会議。愛知県、岐阜県、三重県、名古屋市の中小企業支援センターでマネージャを担当しているメンバーが集まっての会議です。

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もともとは道州制をにらんで情報交換しようという会合でしたが、愛知県の企業が三重に進出する時に面倒をみてあげるなど県境をまたいだ支援をするケースが増えてきました、また同じ中小企業支援センターと言いながら、やっていることはけっこう違うので、やり方の情報交換もしています。

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終わってからは交流会。今回はすぐ近くの百楽という中華料理店。お昼のバイキングは食べたことがあるのですが、夜は初めてです。ここも15階にあって高く、高所恐怖症には鬼門ですね。名古屋城のライトアップも見えました。

西の京 久しぶりの薬師寺へ

今日は西の京へ。

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大起水産の回転すしで昼飯を食べた後、玄奘三蔵院へ。ウチの奥さんの知り合いが書を出していると招待券をもらっていたので、久しぶりに玄奘三蔵院へ。西の京は実家があるので、しょっちゅう来ていますが、薬師寺はいつも遠くから見るだけ。

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玄奘三蔵院の回廊に書の作品がずらっと並んでいました。ついでに平山郁夫画伯の大唐西域記壁画を見てきました。招待券には白鳳伽藍の券もついていたので、久しぶりに東塔をみてきました。こないだまで調査のために覆われていましたが、今日は白鳳の姿です。

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大講堂も出来あがっており、あとは回廊を少しのばせば、伽藍は完成します

尾鷲から帰ってきました!

今日は昼から尾鷲でネットショップの勉強会

特急南紀に乗って出かけました。講師はクニツサイクルの林さん。お昼は林さんがTwitterで見つけた店があるということで、ついていったら休みでした。(笑)あわてて会場近くの喫茶店に入って、ようやく昼飯にありつくことに。

さて講座が終わって、帰りの列車まで少し時間がありましたので「レストランJomon」へ。5周年を迎えたお店です。雑誌などでもよく取り上げられているので地元だけでなく、大阪や名古屋からもお客さんが来るそうです。ウッドデッキを作り、ジャングルのようになっていた裏山もすっかり整備されていました。こら邸宅ウェディングができそうですねえ。

尾鷲から南紀特急で松阪へ出て、近鉄で東大阪まで帰ってきました。遠かったのですが、南紀特急の隣の席の乗客は東京までの乗車券を買っていましたので、まだ新幹線の中でしょうね。

今日のお昼は松屋の牛丼

年度末なのでお役所では、いろいろな事業の完了報告が行われています。私はあまり関係ないのですが、経済産業省の事業でIT経営応援隊という事業があり、これには関わっていますのでセミナーや専門家派遣の実績報告などを早々と作っておいて提出しておきました。用意周到でしょう。

そしたらお金関係のエビデンスが足りないと連絡がありました。こちらは事務担当にまかせてタッチしていないのですが、エビデンスを名古屋へ持っていくので、ついてきてくれと言われて、まあ昼から名古屋で会議があったので、いいよと返事したのが運のつき。

朝から名古屋へ行くと、単なる提出ではなく一つずつエビデンスをつきあわせる作業に。銀行振込ならちゃんと銀行の印がついたものが求められます。こんなに細かいんだという内容でした。

ということでお昼になっても作業は終わらず。ようやく終わったのが13時30分。駅前であわてて松屋の牛丼だけ食べて、14時から始まる会議に飛び込みました。せっかく名古屋まで出かけたのでミソカツが食べたかったよお!

奈良~伊賀

JR奈良駅から加茂行きに乗り、加茂駅で亀山行きの2両編成に乗り換えるとドヤドヤとリュックをかついだ集団が乗りこんできました。皆さん60代以上ばっかりで列車は満員に。次の笠置駅でドヤドヤと降りていったので、ハイキングでしょうね。

降りたのが笠置ですので、後醍醐天皇の笠置山をめぐって、柳生十兵衛の柳生の里から奈良へ抜けるコースかなあ。皆さん、お元気なことで。
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伊賀の企業を2社まわってきました。そうそうJR奈良駅のコンコースの柱が味気ないコンクリートではなく大きな木の柱のイメージになっていました。改札の位置も変わっていて、探してしまいましたが、まだまだ工事は続きそうです。。近鉄の車窓から見ると大極殿ちかくにも遷都1300年祭りにあわせたイベント会場の工事をしていました。

半分の月がのぼる空 巻1

「半分の月がのぼる空」の映画化の話を家でしていたら、子供が図書館で1巻を借りてきてくれました。電撃文庫という聞いたことがない出版社ですね。読みだしたら1時間ほどで読破。パッと読めますが、登場人物のキャラクターはなかなか面白いですね。

伊勢が舞台といいながら、あまりそれらしい描写はありません。入院しているのは山田赤十字病院のようで、実際の病院は伊勢市駅から一駅行った宮町駅のすぐ近くにあります。

主人公が病院から抜け出して砲台山へバイクで向かうシーンが出てきますが、この時に通るのが新道商店街。私も伊勢から山田赤十字病院に入院していた知り合いを見舞うのに、ずっと新道商店街を歩いてからJRと近鉄の踏切を通って病院へ行きましたので、なかなか正確です。それにしても小説は8巻まで出ているんですね。

それから省略は「ハンケツ」ではなく。「ハンツキ」なんだそうです。「ハンケツ」の方がインパクトがあるのに(笑)

最後の寝台特急

明日からJRのダイヤ改正ということで寝台特急のいくつかが廃止になります。

学生時代は東北新幹線もなく寝台特急に乗る金がなかったので、北海道旅行では急行「八甲田」に乗って、固いイスで寝ながら青森を目指しました。明け方といいながら真っ暗な中、青森に着き、青函連絡船に乗りこむと、出発のドラが鳴る中、ゆっくり離れる船が印象的でした。

寝台特急に乗りだしたというと就職してからですね。長崎で半年ばかり仕事をしていた時は伊丹空港から飛行機が定番でしたが、時たま「あかつき」に乗って大阪に朝に着き、そのまま会社へ行っていました。

でも、あまり乗らなくなりましたね。需要が減ったので廃止になるのは当然ですが、これが本線や路線バスにまで拡がっているのが懸念されます。