桑名藩と新選組

kuwana201108.jpg午後は桑名の企業さんへ。相談の後、世間話となり石取祭りから幕末の歴史の話に。

幕末の桑名藩主は松平定敬。松平定敬は会津藩・松平容保の弟で、。徳川慶喜らと京都で薩長と対峙していました。結局、鳥羽伏見の戦いから五稜郭まで戦った殿様として有名です。末期の新撰組に桑名藩士が多いのは、殿様自ら土方歳三らと転戦したのが理由です。

その間に若君のいる桑名藩は新政府軍の進軍路でもあり降伏しましたが、藩主の方は潔しとせず、自ら上野彰義隊、会津戦、越後戦などを戦い、最後は五稜郭で戦っています。最後は五稜郭を脱出して上海へ逃れ、やがて日本へ戻り、天寿を全うしています。

五稜郭の頃には土方歳三と一緒に戦っており、これが桑名藩新撰組です。強かったようですね。特に立見という侍は政府軍に名がとどろいていました。

西南戦争が起こった時、大久保利通などが、そうだ我々をさんざん苦しめた桑名藩の立見がいるではないかと思い出し、三重県庁に出仕していたのを陸
軍新撰旅団副長として呼び出しました。後に陸軍大将にまでなっています。薩長出身の将軍も戊辰戦争で煮え湯を飲まされた立見には頭があがらなかったそうで
す。

桑名はそんなこともあり、会津とは縁が深いですね。陸奥白河藩から松平家が移封されたため、今でもズーズー弁をしゃべる桑名市民がいるという説がありますが、さすがにガセネタのようです。

10年ほどつとめた社団法人の理事を退任

romaji2011.jpg
大学の帰りに東山三条へ。

社団法人日本ローマ字会の理事会&総会に出席。現在は公益社団法​人「国際日本語学会日本ローマ字会」になっています。10年ほど社団法人日本ローマ字会の理事を担当していましたが公益社団法人化に伴い本部が京都から東京へ移動することとなり、ようやく理事をお役御免になりました。

日本ローマ字会の歴史は古く、設立は明治18年。写真は田中館愛​橘博士が最初に出したのがローマ字世界第一号(明治44年)で、​ローマ字会に1冊だけ残っています。

戦時中は特高にマークされ、戦後はヘボン式ローマ字ではなかった​のでGHQから国粋主義者と見られたなど、いろいろと秘話があり​ます。過去の参加メンバーを見ると寺田寅彦やら各大学の学長、学​者、著名人など綺羅星のごとく名前が並んでいます。日本ローマ字会の最後の会長が梅棹忠夫先生でした。

大学へ成績をつけに

tachibana201107.jpg朝から京都橘大学へ。

前期の成績をつけに来ています。サーバーに提出されている課題を確認。

金曜締切だと言​ったのに課題が出ていない学生には個別にメール。とりあえず月曜まで待つことにしました。

今日は日曜です​がオープンキャンパスなので、学内は親や生徒で一杯。行きのバス​にも大勢乗っておりました。オープンキャンパスでは学生バイト
が父兄向けに大学​案内したりしています。この暑い中、かぶりものも登場。生協の出口から出られずにあせっ​ているところです。中には学生が入っています
が、ごくろうさまです。

じょうもんの日替わりランチ

lunch20110730.jpg中百舌鳥駅(堺市)近くに居酒屋「じょうもん」があります。

毎月、駅のすぐそばにあるセレソヴィ​ー株式会社でファイティングコンサルタントの月例会が終​わってから、いつも「じょうもん」に飲みに行っています。

月例会が大体13:30~17:00なんですが、月例会よりも飲​んでいる時間の方が長いですねえ。(笑)大体、月例会の終了を17時にしているのは店の開店にあわせてです。

今日の午前中は中百舌鳥で仕事だったので初めて日替わりランチを食べに​いきました。今日はヒレかつ定食(750円)でしたが、ご飯がてんこ​盛りでした。半分にしてもらったらよかった。 

すがきやラーメン

sugakiya2011.jpg今日は鈴鹿の企業へ。白子駅の近くにイオンがあり、お昼はフードコーナーにある「すがきやラーメン」。

すがきやは名古屋本社で東海圏を中心として店舗展開しています。大阪にもあるのですが店舗は少ないですね。東は静岡までで関東圏にはありません。

安くて学生の時はよく食べていました。独特の味で、やみつきになりますね。ケンタッキーフライドチキンのように時たま無性に食べたくなります。

すがきやと言えばラーメンフォーク。フォークとスプーンが合体したものになっていて、これ1本でラーメンをすくえスープが飲める優れもののはず
が、ラーメンが食べにくい。(笑)色々改良されていますが抜本的解決になっていませんね。というわけでおl店にはハシも置いてあります。すがきたラーメ
ン、久しぶりに食べました。東海地方のソールフードですね。

葉っぱがシェフ Jomonレストラン

jomon1.jpg 朝、大阪から津の支援センターへ。そのまま9時に尾鷲へ出発しました。今日は尾鷲で相談。お昼は久しぶりに隠れ家レストランである「葉っぱが​シェフ Jomonレストラン」へ行ってきました。本当にわかりにくいところで、初めての人はまずたどりつけません。(笑)

定番​の岩清水豚を縄文鍋で蒸し焼きしたランチ。(1250円​)を食べてきました。野草の香りがついて、なかなか美味です。縄文鍋というのは古代の焚き火をイメージして作った土鍋で、底にあけられた穴からコンロの火が入り鍋にしいた石に熱が伝わります。この石の上に野草が置かれており、野草の上に置いた岩清水豚が蒸し焼きになります。これで豚の脂が草に落ち、味が凝縮。野草の香りもつきます。

jomon2.jpg

この縄文鍋に古代米やらサラダなどがついたランチです。けっこうインパクトのある料理で東京では神楽坂でも食べることができます。「葉っぱがシェフ 神楽坂 MARU DISH」

紀北町にある「ギョルメ舎フーズ株式会社」が、東紀州のスローフードを提供する新和食の地域レストランをオープンしましたが、メインディシュで縄文鍋が使われています。
大阪では北浜の「そばよし」で縄文鍋料理を味わえます。

天神祭 陸渡御

tenmangu201107.jpg大阪天満宮へ

着いたのは14:30。暑い中、1時間ほど待っているといよいよ陸渡御の開始です。NHKなどマスコミもたくだん来ていました。陸渡御というのは祭神である菅原道真が年に1回に氏子の様子を見るために大阪天満宮を出る行事です。

陸渡御の一番最初は催し太鼓。6人1組で3人ずつで太鼓を挟んで叩きます。叩き手は願人(がんじ)と呼ばれ、長い赤い布をかぶっています。これは烏帽子が変化したものだそうです。

ただ担ぎ手が大変なのか、すぐに崩れてしまい。というわけで全然、行列が進みません。

動画をYouTubeにアップしています。
→ 陸渡御

中小企業診断士 理論更新研修

sindan201107.jpg土曜日は津駅前・アスト津で中小企業診断士の理論更新研修。

中小企業診断士の資格更新は5年ごとですが、毎年1回理論更新研修の受講が必要です。大阪や東京では診断士も多いので複数開催ですが、診断協会・三重県支部では年1回開催です。

■12:30-13:30 平成23年度中小企業施策について
 中部経済産業局 中小企業課 瀨賀課長
■13:30-16:30 ITを活用した経営戦略(事例研究含む)
 水谷IT支援事務所 水谷

ということで3時間、講演をしておりました。

まあ義務付けられた研修なので毎年、様子を見ると、寝ている人やら内職している人がチラホラ。あまり人のことは言えませんが(笑)そこで今回はセミナーの合間に動画などの鳴り物をはさみこみ、寝かさない工夫を。まだアンケートは見ていますんが、「うるさくて寝られなかった」と書かれていそう。

関西本線が止まる

tuge201107.jpg伊賀上野の企業さんへ行くためにまずはJR奈良駅へ。

駅の案内を見ると関西本線は大雨のため柘植ー亀山間は運転を見あわせており、バス代行になっていると案内されていました。駅員さんに聞くと伊賀上野までは動いているということなので、とりあえず加茂駅へ。ところが乗る予定だった列車は運転とりやめに。

加茂駅で聞くと、次の列車は動くということなので企業さんに連絡して1時間ほど駅で待っておりました。さて列車は動きましたが、さすがにほとんど
乗っていません。なんとか伊賀上野へたどり着きましたが、こっちは今朝から風と雨がすごかったんですね。佐那具駅近くの柘植川(下流にいくと木津川になっ
て最終的に淀川になります)も濁流になっていました。

さて相談が終わって、そうそうに帰ろうと駅に行くと駅に列車が止まったまま。関西本線止まっていました。(泣)しょうがないので企業さんに戻っ
て、上野市駅まで送ってもらい伊賀鉄道、近鉄経由で帰ってきました。遠かった。明日は四日市へ行かないといけないんですが、こりゃ無理かなあ。

おのおの方、討ち入りでござる

ooisi201107.jpg朝から京都橘大学へ。

海の日で世間一般的には休日なのですが、前期15コマ確保するために大学は講義日になっています。朝から電車がすいているのがいいですね。学生も真面目に登校していました。

京都橘大学は山を超えたら大津という山の中腹にあるのですが、ここから下って、山科の町を横断。西側の山まで歩きました。途中の住宅地の真ん中にあるのが坂上田村麻呂の墓。後から作られたもののようで本物は山科から三条へ向ける途中にある西野山古墓のよう​です。

西側の山の麓にあるのが大石神社。大石内蔵助が祭られています。忠臣蔵を舞台や映画で行う場合​、俳優さんが必ず参拝する神社。最近では木村拓哉が​「忠臣蔵1/47」の撮影の合間に参拝したそうです。休日ながら境内には誰もいませんでした。

大石神社の横にあるのが岩屋寺。大石内蔵助の邸宅跡があり​、ここから一山を越えると京都の中心部・祇園です。討ち入りが露見しないように夜なよや遊んだという名場面の場所ですね。邸宅は討ち入りが​成功した後、岩屋寺に寄進されたそうです。