舎人親王邸宅跡

日本の正史である「日本書紀」を編纂した人は誰?

もちろん舎人皇子で、720年に日本書紀を完成させました。日本史で習いましたね。

お父さんは天武天皇で、兄弟は高市皇子、草壁皇子、大津皇子、忍壁皇子、長皇子、新田部親王と「天上の虹」登場人物がオンパレードです。新田部親王、長屋王とともに皇親政権を樹立しますが、やがて藤原氏側になり、結果的に藤原政権の成立に協力します。

奈良そごう

この舎人親王の邸宅跡が先日、発見されました。木簡などは見つかっていませんが、4町分もある広い敷地の建物跡が発見され、有力視されています。場所は奈良市役所近くの佐保川沿いで当時の左京三条三坊四坪です。建設現場の発掘調査で見つかり、既に埋め戻されています。平城京に隣接していた長屋王の邸宅跡があった奈良そごう(現ミ・ナーラ)から徒歩5分ですので、平城京へ出仕するには交通至便なところでした。

天平祭り

天平祭り開催中の平城京跡へ

天平祭り

朱雀門近くで、いろいろとイベントをやっており、屋台も出ていました。天平祭りなので平城京にあった西市・東市の雰囲気になっています。と言っても売っているのはビールや焼きそばなどふつうの物です。天平衣装の貸出もしていて、天平人が海上のアチコチを歩いておりました。

頭塔

ファイティング・コンサルタンツ研究会という、創建時の崇高な思いはどこへやら、単なる飲み会組織に変貌した集団です。前回、山の辺の道の途中で断念したので、そのリベンジのために近鉄・奈良駅の行基像前に集合。とりあえず昼飯ということで、高速餅つきで有名な中谷堂のすぐ近くにある和食ダイニング拓というお店へ。小さなオチョコ100円でお酒が飲めるお店です。風の森などお酒が豊富なので、いろいろと試していると必然的に宴会に。奈良駅からJR柳本駅まで出て、山の辺の道リベンジのはずが、1時間に1本しかない列車の発車時間は過ぎ去ってしまいます。

ということで目的地を変更。東向商店街は観光客とインバウンドで一杯でしたので、そのまま餅飲殿商店街を南下して奈良町へ。奈良町もそこそこの人出なので元興寺の塔跡や大乗院庭園など、人がいない所を狙って散策。そのまま新薬師寺を目指すと、途中の頭塔で特別公開をしていました。ラッキー。

頭塔

■頭塔
奈良時代に東大寺の僧が国家安泰を祈って築いた土塔でピラミッドになっています。よく似た塔が堺の深井にある土塔です。茨城県にも土塔森林公園という所があるので、他にあった可能性もありますが、復元されてみることができるのは2つだけですね。

使いにくい登記のオンライン申請

会社の登記事項証明書や印鑑証明書を取得しようとすると法務局へ行って窓口で申請する必要がありましたが、カードがあると法務局の機械で発行することができます。以前は谷町2丁目あたりに法務局があったので大阪府よろず支援拠点へ行ったついでに寄っていたんですが、2023年1月に大阪府警察本部横の合同庁舎に引越ししてしまいました。

登記・供託オンライン申請システム

というわけで最近は「登記・供託オンライン申請システム」でオンライン申請しています。ソフトをダウンロードして使うのですが発行手数料などはPay-easy(ペイジー)で支払いできます。支払いが終わると登記事項証明書などが郵送されてきます。

オンラインで便利なんですが、表示される納付番号などが小さい!おまけにコピーできないので、紙に番号を転記してペイジーで支払っています。しかもシステムの使い方が独特で、操作方法に慣れないといけないし、IDもいろいろな行政サービスが使えるGビズIDとはと違うし、まだまだデジタル化は遅れまくっていますねえ。

姉川の合戦

姉川の合戦

「どうする家康」、金ヶ崎の退き口と思ったとたんに先週は姉川の合戦、次回は信玄との対峙のようです。

家康にとって苦難の年だったのが元亀元年(1570)で家康29歳の時。4月に信長について朝倉攻めに加わったら、まさかの浅井長政の裏切り。金ケ崎城で秀吉、光秀とともに殿(しんがり)を勤め、なんとか京都に帰りつきます。6月には姉川の合戦で朝倉・浅井連合軍と戦います。写真は信長が姉川の合戦で陣を置いたところで家康は少し西に陣を置きました。信長がここから姉川の戦況を見ていました。

9月には三好三人衆を攻撃するために摂津・福島に陣を敷いていた織田軍を突如、石山本願寺が攻撃。信長と石山本願寺との10年戦争がはじまります。浜松城を造り、入城した2日後に足利義昭から信長に加勢するように依頼が来て、摂津へ出陣することになります。大忙しの1年でした。

お好み焼き定食

日経新聞・夕刊「関西タイムライン」 お好み焼き+ご飯、なぜ関西で?

お好み焼き

お好み焼き定食以外に焼きそば定食、うどん定食、そば定食など食堂にいけば普通にあるんですが、なぜか関東人から炭水化物ばっかりだとバカにされます。記事によると関東では子供のおやつである、どんどん焼の素地があったので、お好み焼きも軽食という感覚で発達。軽食なんで複数人でシェアできるよにピザ切りになります。

これに対して関西は高度成長期に家庭でフライパンを使ってお好み焼きを作っていたが作れるサイズに限界があったので、お好み焼きをおかずにご飯を食べるようになります。お好み焼き店が普及する時、ランチにご飯+味噌汁+お好み焼き定食を提供するようになります。お好み焼きは主食で一人で食べるので格子切りにします。

へ~え、そんな歴史があったんですね。ちなみに我が家ではタコヤキ+ご飯もありですね。

小阪城

小阪城

近鉄・八戸ノ里駅近くに城のイラストが描いてあるビルがあり、なかなかいい趣味だなと近くに行った時に写真に撮っておいたのですが、これが天下の名城である小阪城だったんですね。

小阪城というのは小阪駅近くの理容店の上にあったお城です。理髪店店主が手作りで作ったもので地元では有名なお城でした。ところが2018年9月に台風21号によって落城してしまいました。天守閣がぶっとんでしまったのです。落城してからも見に行きました。

ところがNHKのBSプレミアムの番組「まいど!修繕屋です」(ダイアン主演)で復活プロジェクトがスタートしたそうで、再建はもういいという店主の声から城の絵を描くことに。あの城は小阪城だったんですね。けっこうでかいです。

人生、宇宙、すべての答えは

書店をのぞくと、ずいぶん昔に出た「銀河ヒッチハイク・ガイド」が平積みされています。懐かしいSFですねえ。帯には「世界一受けたい授業でイーロンマスクが影響を受けた本と紹介」などと書かれています。へ~え、テレビで紹介されて、また注目されているんですね。

銀河ヒッチハイク・ガイドと言えばGoogleで「人生、宇宙、すべての答えは」と検索してみてください。
結果は「42」です。

ついでにChatGPTでも聞いてみました。

ちゃんと結果は「42」です(笑)。
ただ解説までついていて、ちょっと興ざめですね。Googleのようにシンプルな回答の方がいいなあ。

「なんで42なの?!」という疑問をお持ちの方は下記をご覧ください。

→ 人生、宇宙、すべての答えは「42」

山城が不得意のChatGPT

話題のChatGPTで山城のことを聞くと、それらしい回答は返ってきますが、間違いが多いですね。

山中

例えば「秀吉の小田原攻めで山中城があっという間に落城したのはなぜ?」と聞いたら「山中城は城壁が脆弱であり、防御力が低かったことが挙げられます。また、山中城には兵力が少なく、城兵の士気も低かったため、守りきることが困難だったと言われています。」との答え。

ちゃいまっせ、山中城は鉄壁の城で兵も十分にそろえていましたが秀吉軍が常識破れの物量作戦で攻めたのと、落城させなければ秀吉ににらまれるという怖れから人的損害を気にせずに攻めた点にあります。攻撃側の大名・一柳直末も討死する激戦でした。回答が本当かどうか人間が判断しなければなりませんが、けっこう難しいですね。

笠上砦、見つけられず

東野山城からの帰り道、Googleマップを見ると笠上砦のマークが!

鉄塔

東野山城の出城がいくつか造られたので、その一つでしょう。林道から山の中に入って、マークの場所を目指しますが、結局は送電線の鉄塔のところをGoogleマップが笠上砦として示していました。「こんなところなの!」と、とりあえず周辺を探訪。けっこう歩き回りましたが城の痕跡はなし、大体、砦なら切岸があるはずですが、なだらかな坂になっているだけです。別の所を指しているのではと林道から反対側に登って、ひたすら尾根道を歩きますが、こちらも城の痕跡はなし。結局、さっき歩いてきた林道に行き当たりました。

Googleマップの山城の位置は、けっこう間違っていることも多いので、その一つですね。Googleマップが間違っている場合はフィードバックができ修正できます。送迎山城なんかも場所が間違っていたので修正したこともあります。笠上砦も調べなおして次のベストシーズンにアタックするしかないですね。