教興寺の戦い(東高野街道)

東高野街道は昔から戦の舞台になりましたが、その一つが教興寺の戦い。

教興寺
教興寺

三好長慶と畠山高政との戦いです。最初は畠山勢が有力で古市にある高屋城を奪還し、飯盛山城に籠城している三好長慶を攻めます。三好の本拠地である阿波から援軍が尼崎に到着し、三好長慶や松永久秀と郷亮右。教興寺に陣取る畠山方の紀伊国人・湯川直光(御坊にお城があります)と根来衆に攻めかかり、湯川直光が討ち死にしたことから総崩れになります。

教興寺の戦いで勝利した三好氏は、大和・南河内から畠山氏の勢力を排除し、松永久秀は大和に入って、反三好勢力の城を攻めます。敵対勢力の一つが筒井氏で大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれていました。

横小路(東高野街道)

街道をゆく 東高野街道

京都から高野山への参詣道として用いられた街道で、河内国にはいると北から南までまっすぐな道で少し微高地になっています。近鉄の安堂駅から枚岡まで3時間ほど歩きましたが、真っすぐな道です。

横小路(東高野街道)
横小路(東高野街道)

江戸時代、大和川の付け替えが行われるまで東高野街道のすぐ西側を大和川が流れていましたので、軍勢はこの街道を通るしかなく戦の舞台となりました。南北朝時代の四条畷の合戦が有名です。大坂夏の陣では京都から東高野街道を南下する徳川軍に向けて若江に出陣したのが若い木村重成です。大河ドラマ「真田丸」では白石隼也が演じていました。

対峙したのが藤堂高虎、井伊直孝です。東高野街道の西は湿地帯だったのですが、この横小路は生駒山から古道になっていて若江につながっていましたので、木村重成は、この道を狙ったかもしれません。藤堂軍の右翼を破りましたが井伊軍との戦闘の末に戦死します。この横小路をまっすぐ西に行くと木村重成のお墓があります。

727の看板

727の看板
727の看板

新幹線から見える謎の看板「727」。よくテレビ番組などで話題になっています。727の正体は株式会社セブンツーセブンという化粧品や健康食品を製造、販売している会社。なんでも創業者が7月27日生まれだったのでセブンツーセブンという社名になったそうです。

本社工場があるのが大阪の柏原市で近鉄・安堂駅のすぐ近くにあり、端から「727」の看板がよく見えます。727は化粧品メーカですが、販路は美容室専売品なので、縁なき衆生でごぞいます。

奈良理論更新研修

大和信用金庫・八木支店
大和信用金庫・八木支店

奈良県中小企業診断士会の理論更新研修で、大和八木駅前にある大和信用金庫・八木支店のホールへ

奈良県は今年度は2回開催で、第一部・奈良県庁・産業政策課のお話の後、「中小企業のデジタル化支援」というお題でしゃべってきました。奈良県の面積は日本全国の約1%しかなく、しかも60%は山で住める面積は20%ほどしかないそうです。コロナ禍の影響で観光客や観光消費額が半減しており、大きな影響を与えています。また大阪のベッドタウンになっていることもあり県外就業率は28.8%あり、全国2位です。そのなかでも一番多いので生駒市で53.7%,、王寺町、三郷町が続きます。

受講者には奈良の知り合いも多く、やりにくいですね(笑)。セミナー後はパネルディスカッションで、パネラーの一人としてしゃべっておりました。それはよいけど、自分の理論更新研修を受けないと!

暗越奈良街道

街道をゆくシリーズ「暗越(くらがりごえ)奈良街道」

二軒茶屋
二軒茶屋

大阪環状線・玉造駅近くにあったのが二軒茶屋跡が起点で、ここから生駒山を暗峠で越えて奈良へ至る道です。もともとは難波と平城京を結ぶ道が元になっています。二軒茶屋跡から生駒山の麓の枚岡まで歩いてみましたが3時間弱というところですね。

当時の集落を通っていきますので玉造からいきなり南へ行って今里、深江、御厨、菱江、松原宿、枚岡と巡っていきます。けっこう複雑なんですがGoogleマップに街道が表示されるのと、ところどころ道標があるので迷うことはありません。

京都駅

京都駅前にある羅城門模型と京都タワーです。

羅城門と京都駅
羅城門と京都駅

大学1回生の頃はまだ京都市電が走っていて外周線(九条ー東大路-北大路ー西大路)だけ残っていました。京都駅前からは七條通りを通って東山七条で外周線に接続していましたので時たま市電に乗って烏丸車庫で降りていました。ちょうど一回生の1978年9月30日に廃線になってしまいます。モータリゼーションはわかりますが風情があってよかったのに残念です。

国鉄時代、津から京都まで急行1本で行けた時代がありました。始発はどこか覚えていませんが紀勢本線を走って亀山へ出て、そのまま関西本線を柘植まで走り、今度は草津線に入って草津に出て、最後は東海道線で京都が終着駅です。近鉄だと中川と八木で乗換が必要でしたので本数は少なかったですが便利でしたねえ。

京都駅ビルはできてから25年

京都駅、よく素通りしていますが久しぶりに駅のホームから出ました。インバウンドが戻っていないので、以前ほどではありませんが、まあまあ混雑しています。JR伊勢丹横の大階段も健在でした。

京都駅ビル

昔、京都で専門学校の教員をやっていた時の校長が三輪泰司先生。非常勤でしたので入学式などのイベント時に顔をあわせていましたが地域計画建築研究所という会社の社長さんでした。都市計画が専門で、京都駅ビルを建替えする時の国際コンペではプロフェッショナルアドバイザーに就任していたのが三輪校長でした。コンペ後に着工され6年ほどの歳月が過ぎて1997年に現在の京都駅ビルができあがります。もう出来て45年になるんですねえ。

専門学校の飲み会で三輪校長からコンペの裏話などを、いろいろと聞いていたのですが、歳とともに忘れてしまいました(笑)。

廃線跡をゆく 嵯峨野トロッコ列車

廃線跡をゆく

山陰本線の廃線跡に作られた嵯峨野トロッコ列車です。チケットがとれたので亀岡から嵐山まで乗ってきました。保津川沿いを進んでいきますが、ちょうど保津川下りをしているのが見られます。保津川下りの船は嵐山でトラックに乗せられ、亀岡まで運ばれるところを見かけます。

保津川は奈良時代から丹後の材木を運ぶために材木を筏にして流していました。江戸時代に角倉了以が保津川を開削して船が通れるようにします。最初に船に乗って保津川下りを楽しんだのが角倉素庵(角倉了以の息子)です。

嵯峨野トロッコ列車、秋だとライトアップや紅葉が楽しめますがチケットをとるのが大変ですね。

Red Ball2022

All Aboutのガイドが年1回集まるRed Ballというイベントがあるのですが、コロナ禍ということもあり3年前からオンラインになっています。イベントにあわせ東京で、いろいろと挨拶周りしていたのですが、この3年は全然、東京へ行けてません。

Red Ball2022
Red Ball2022

※All Aboutのロゴが赤玉になっているのでRed Ballというイベント名になっています。

Red Ballの内容はAll Aboutの業績報告や催しなどで発表内容はいつもと変わりませんが、Red Ballの値打ちは発表後にパーティ会場で他のガイドと話をして盛り上がる点でして、これはオンラインでは無理ですね。来年ぐらいは、ぜひリアルに戻してほしいですね。

藤原不比等の墓

聖武天皇陵・陪塚い号(西淡海公)、陪塚ろ号(東淡海公)

東寺
東寺

佐保山一帯には元明、元正、聖武天皇陵が集まっています。聖武天皇と光明皇后陵は多聞山城の西側にありますが、その近くにあるのが陪塚い号、陪塚ろ号です。陪塚とは臣下を埋葬したり、副葬品を埋納するためのものですが、この2つは円墳のようです。

一説には藤原不比等の墓ではないかと言われています。不比等は養老4年(720)に亡くなり、公卿補任には遺言に従い、佐保山椎山岡に火葬されたとあります。藤原不比等は淡海公を追贈されていますので、西淡海公、東淡海公という名前がついています。不比等は氏寺の山階寺(京都・山科)を奈良に移し興福寺としましたが陪塚からは五重塔が見えます。