秋津城(吉野)

秋津城は吉野・下市口にあります。

秋津城

吉野郡を支配していた秋津氏の城と伝わっていますが、吉野は一向宗が強く石山本願寺と呼応していたこともあり、織田信長が筒井順慶に命じて願行寺(下市御坊)、本善寺(飯貝御坊)など吉野を攻撃しました。この時に秋津城も落城したようです。

秋津城の西側は切岸ですが東側は墓地になっていて階段をずっと登ると頂上の郭に入ることができます。後世になってだいぶ改変され切岸もなくなってしまいましたが、その分、傾斜がゆるいので、楽に山城まで登れます。もっとも山城の風情はあんまりないですねえ。

秋津城の主郭には墓地が拡張されて郭にまで建っていました。古墳は見晴らしがよいので改変して山城にする例がいくつもありますが、山城の郭跡を墓地にしたのを見たのは初めてです。おそらく戦国の山城跡だと認識されていないんですね。墓が建っているのは主郭だけですが、ほかの郭は土塁や堀切もあり、楽しめます。

田辺城

一休さんで有名な京田辺市にあるのが田辺城。奥ノ城という地名にあります。

田辺城

昔は山の中でしたが今は田辺市役所や野球場のすぐそばの丘陵上にあります。バイパスを通すことになり1996年に発掘調査が行われました。丘陵の東斜面から石垣を築いた虎口が見つかり石段になっていました。15世紀頃の瓦が出土しているので室町時代に築城されたようです。同志社大学・田辺キャンパス内に新宗谷館跡という山城がありますから連携していたかもしれません。

田辺城に登ろうとしても虎口はバイパスになってしまったので東側からは登れません。西側から郭を目指して切岸を直登しかありません。郭といっても竹藪だらけですが土塁跡などを見ることができます。見事なのは大きな空堀で写真を撮りましたが、なにがなんやら分かりませんね。

矢走西城

矢走城のすぐ西側の尾根にあるのが矢走西城。

矢走西城
矢走西城

こちらには何の案内もないので適当に城めがけて直登するしかありません。直登すると出城のような郭に入れます。土塁などが残っていました。この郭から尾根道が続いて主郭に入れます。主郭の前には堀切があり、また郭の一番西側にも二重堀切がありました。特徴的なのは郭の中にも2つの横堀があって3つの郭で運用されていたようです。矢走城のすぐ横ですので一城別郭(ひとつの城でありながら、主郭が2つある城の構造 高天神城などが有名)だったようです。

矢走城

矢走(やばせ)近くを明日香から吉野を結ぶ芦原峠越えの街道が通るので、矢走城は監視用に造られたようです。この街道は北の平城京から南の藤原京を結んだ中ツ道の延長で吉野へ向かメインルートでした。

矢走城
矢走城

矢走城の築造時期は室町時代とみられ、14世紀前半頃の土器と16世紀代とみられる中国製の磁器(青花碗)などがみつかっています。

矢走の里を目指して、ひたすら高台まで登ると松林寺という眺めがよいお寺につきます。この寺の脇に城への案内板があり、ここから矢走城に入れます。大きな堀切が土橋になっていて、ここを越えると切岸がありそのまま登っていくと主郭に出ます。東端にも大きな堀切がありました。

近鉄デルタ線

近鉄名古屋線と大阪線が合流するのが伊勢中川駅です。伊勢中川駅の前に短絡線があり、伊勢中川駅に寄らずに列車が運行できるデルタ線になっています。デルタ線とは三角形状に敷設された鉄道線路の配線のことです。この短絡線を名古屋ー難波を結ぶ特急が走っています。

近鉄デルタ線

デルタ線ができたのは、けっこう古く1961年です。近鉄大阪線は広軌、名古屋線は狭軌で線路の幅が違っていたため直通運転ができませんでした。伊勢湾台風の復旧時にあわせて名古屋線を広軌としたため線路の幅が統一されます。しばらくは伊勢中川駅でスイッチバックしていたのですが、しなくてもよいように短絡線が作られました。

デルタ線は割とよくあり、名鉄では枇杷島駅近くにもあります。

免許更新

免許
免許
  • 門真運転免許試験場へ免許更新に行ってきました。

    受付がハイテク化されていて予約したバーコードをかざして、免許を機械に入れると何やら用紙が出てきて、この用紙を持って眼鏡検査や写真撮影へと流れ作業で進んでいきます。毛局、新しい免許を作るための用紙だったんですね。

    全てが終わると最後は講習です。そうそう2007年から、中型免許ができていたんですね。それまでに普通免許を取得していた人は、自動的に中型になって車両総重量が8t未満のトラックやマイクロバスなどが運転できるそうです。講習で聞いて以前の免許を見てみたら中型になっていました。

電子申告

Eltax
Eltax
  • 合同会社エムアイティエスは2月末が期末なので決算をしなければなりません。決算では財務諸表以外に別表などの作成が必要です。もっとも会計ソフトのfreee申告・法人税が会計からデータをもってきて勝手に作ってくれるので、とっても便利。

    出てきた数字などをチェックし、ちょこまかと入力して最終チェックが終われば、マイナンバーカードを使って電子証明書をつけて電子申告です。平日なのでEltax(地方税ポータルシステム)も動いています。

    電子申告が終わればEltaxで申告に対する納付依頼をします。インターネットバンキングでペイジを使って法人税を支払えば決算処理は終了。終わった!終わった!また1年がんばろう!

浄教寺

奈良の三条通り沿いにある浄教寺へ法事で行ってきました。

浄教寺
浄教寺

隣には開花天皇陵とホテルフジタがあり、JR奈良駅から興福寺を結ぶ通り沿いですから観光客などで賑わう所です。三条通りはもともと平城京の三条大路でした。

浄教寺は浄土真宗本願寺派なんですが歴史が古く、寛元二年(1244)創建ですので「鎌倉殿の13人」の時代ですね。もともとは河内にありましたが大和に引越をして、しばらくは九条の里にあったことから本堂には九条山の額があがっています。織田信長と石山本願寺が戦った石山合戦では本願寺側で戦い、顕如上人から石山本願寺にあった阿弥陀如来を拝領したそうです。

徳川家康時代に現在地の三条通り沿いへ移転しました。

合同会社エムアイティエス 5周年

本日は3月3日。2017年3月3日に設立した合同会社エムアイティエスは無事に5周年を迎えました。法務局に申請書類を持ち込んだのが、たまたま3月3日で、持ち込んだ日が設立日になるとは知りませんでした。

基本的に会社設立日は書類が法務局に到着し、かつ申請が受理された日となります。

吉野軽便鉄道

近鉄吉野線・六田駅近くに吉野軽便鉄道の看板がありました。

六田駅
六田駅

吉野軽便鉄道について調べると1912年(大正元年)に国鉄・吉野口駅から吉野駅(今の六田駅)を結ぶ軽便鉄道ができたそうです。六田からは柳の渡しで吉野川を渡り吉野山へ向かいました。

その後、近鉄の前身である大軌に買収され、そのまま軽便鉄道の路線を使って今の近鉄・吉野線になっています。それで古いトンネルや鉄橋が吉野線に残っているんですね。なかなかの山岳路線で山の中をひたすら登っていきます。1928年(昭和3年)に現在の吉野駅ができたため、これまでの吉野駅が六田駅に改称されました。

昔、軽便鉄道は吉野への観光客以外に木材運搬にも使われていたので国鉄との貨車直通が行われました。そのため鉄道は狭軌になっています。なるほど八木から橿原神宮駅へ向かうと、橿原神宮駅の構内を歩いて吉野線まで歩かないといけないのは線路の幅が違っていたからですね。吉野線はそのまま近鉄・南大阪線につながっていますので、この路線は全て狭軌になっています。

吉野の桜の時期には湊町(JR難波)-王寺-高田-吉野口-吉野という吉野行観桜列車が走っていたそうです。