津は日本一、鰻屋が多い町

津は人口比で日本一鰻屋が多い都市で、人口1人あたりの鰻消費量も日本一です。

なぜ、鰻屋が多いのか諸説ありますが、昔、養鰻場がたくさんあり、伊勢湾台風の被害で廃業したところが多いのですが、鰻屋はそのまま残ったようです。単に鰻好きが多いというだけですが(笑)

市内の鰻屋を紹介した「うまっぷ」というマップも出来ています。
うまっぷ(PDF)

さて24日の土用の丑は店が混むからと、少し早い目に鰻を。
「のぐち」という、松阪に自営の養鰻場があるお店です。おいしかった!

日本最初の宗教戦争の地(蘇我VS物部)

からAllAboutのガイド記事を作成。昼過ぎに終わったので炎天下の中、自転車に乗って八尾の町を散策に。

JR八尾駅近くに大聖勝軍寺があります。国道25号線に入口がある寺で、境内に入ると「聖徳太子古戦場」の碑がありました。ここが日本書紀に出てくる廃仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子&聖徳太子が戦った稲城の跡です。

最初は物部守屋が優勢で、そこで聖徳太子がヌリデの木を切り取り、四天王の像を作り、「敵に勝つことができたら四天王のために寺塔を建てよう」と 誓ったことで形勢が逆転。迹見赤檮が気の登っていた物部守屋を討ち取りました。山岸涼子の「日出づる処の天子」というコミックがありましたなあ。

戦いの後、聖徳太子が作ったのが四天王寺です。この寺を作った宮大工の後裔が金剛組という会社で、世界で最も歴史の古い会社です。

大聖勝軍寺ですが中は普通のお寺で、境内の入口に物部守屋の首を洗ったという守屋池があります。ただ水は入っていませんでした。

今日は七夕

昼から尾鷲へ出かけ津へ着いたのが20時頃。

実家に帰ろうとバスに乗ると、いつもは閑散としている商店街がすごい人出。おまけに屋台まで出ていてすごい賑わいです。昭和40年代、商店街がにぎわっていた頃のようですね。

少し行った先に岩田川があるのですが、ここの橋も親子連れで一杯。

そうか、今日は七夕だあ!

そういえば小さい頃、短冊にいろいろと願い事を書いた笹を持って岩田川に流しにいきました。帰りに屋台によるのが楽しみでした。

先日、大学へ行くと児童教育学部の前に七夕が飾ってありました。短冊を見ると、ありました「単位がとれますように!」

中には「冷やし中華はじめました」という生協の宣伝のような短冊も(笑)

ワインの湯

今日も朝から暑い!
布団干しと掃除をして、送らないといけない原稿を書いていたらもう昼過ぎ。ようやく原稿が終わったので、家のすぐ隣にある「八尾おゆば」へ出かけてきました。
いわゆるスーパー銭湯ですが、ちょっとこじんまりしています。それでも土日の夕方から夜にかけては、かなり混みます。でも15時頃に行くとすいていますね。
まずは露天風呂へつかって、次にうたた寝の湯で寝転がってリフレッシュ。ジェットバスに入った後に日替わりで変わる温泉に入ると、今日は「ワイン湯」でした。
色は確かにワイン色ですが、香りはワインの匂いはしませんでしたね。さて風呂からあがって売店で生ビールを!至福の一時ですなあ。

新快速 山科ー大阪が1時間以上

大学で講義が終わって、バス停へ行くとちょうど山科駅へ向かう急行バス(途中、椥辻駅にしか止まらない)が止まっていました。
「ラッキー!」とバスに乗り込んで山科駅に着くと、ちょうど新快速の発車時刻。「しゃあない、次の新快速に乗るか」とホームに向かうと茨木駅の人身事故で40分遅れの表示が。
しばらく待つとガラガラの新快速電車が到着しました。「今日はラッキーじゃん!」と乗り込みましたが、今度は信号待ちで発車しません。そしたら反対のホームに普通が到着。
「大阪方面へ向かう方は普通が先に発着します」というアナウンスがあり普通へ。ところが待てどくらせど出発しません。そしたら、「新快速の方が先に出ます」とアナウンスがあり、あわててまた戻ることに。
途中、少し止まったりしながら新大阪まで順調にきましたが、大阪駅で先行列車が信号待ちをしているとかで淀川を越えたあたりでまたストップ。結局、1時間以上かかりました。疲れたあ!