大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を歩く

osaka2011053.jpg朝から堺で仕事だったので、仕事が終わってから少し足を伸ばして大仙陵古墳へ。クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓です。

歴史の時間には仁徳天皇陵と習いましたが、被葬者が特定できないの大仙陵古墳とも呼ばれています。

陵のまわりは遊歩道になっていて三国ヶ丘駅近くから歩きはじめましたが、まあ遠いですね。途中に案内板があるのですが正面まで行くのに1km以上とありました。1周約2,750メートルで、陵と言ってもあまりに巨大なんで近くから見たら単なる山です。

陵に並行してJR阪和線が通っていますが、前方後円墳の方墳が中百舌鳥駅で円墳が三国ヶ丘駅にあり、ちょうどJR一駅分あります。帰りは中百舌鳥駅から帰ってきました。

陵の横は大仙公園になっていますが、この公園の中にも5つの小さな古墳があります。一帯は百舌鳥古墳群ですが、住宅街のそこかしこに小山のような古墳があり、ふつうの町とはだいぶ違いますね。

大阪国は本当にあった!

vrk201105.jpg「プリンセス・トヨトミ」の映画がまもなく公開されますが、物語の舞台になっているのが大阪国。大阪には豊臣秀頼が滅んでから徳川幕府に知られないよう連綿と秘密が守られ、現在は大阪国という国があります。知っているのは大阪に住んでいる男だけという設定です。

ですが、かって本当に大阪国はありました。国の名前は関西電子共和国。1995年4月1日に建国されました。けっこう真面目な国で、東京への一極集中では駄目だからスタートした国家です。

日本の東西に別の政府を作ることにより、例えば汚職などが起きれば一方の政府には誰も税金を払わなくなって政府が廃れ、別の政府の勢力が大きくなります。政府が緊張感をもって政治運営ができるよう二大政党制ではなく二大政府制で行おうという仕組みです。

インターネット環境上に国を作って本邦初の電子選挙などを実施しました。最初の電子選挙は共和国の大統領選挙。平成7年7月7日午後7時つまり
1995年の七夕に選挙が行われたのですが、投票締切から結果発表まで数分という電子選挙の威力をまざまざと体験できた選挙でした。出口調査も何もいりま
せん。この時、大統領に就任されたのが今は亡き中島らもさんです。

当時、大阪の居酒屋の会話。

「明日、映画でも見に行かない?」

「ごめん、明日は共和国会議があるんだ。」

まるでスターウォーズの一場面のような会話が行われていました(笑)

五道の辻

tsu201105.jpg古い街道沿いにはわりと五道の辻があります。

住んでいる東大阪の箱殿にも五道の辻があり、暗越奈良街道(大阪から暗峠を越えて奈良へ行く道)と東高野街道(男山から生駒、葛城山沿いに高野山
へ行く道)が交差しています。ここにもう一本、小さな道があり五道の辻になっています。辻には道標と地蔵堂が立っていて、その古さを伝えています。

実家近くにも五道の辻があり、津の幹線道路である国道23号線と海岸へ向かう広い道の交差から斜めに小さな道が出ています。私が子供の時からあっ
て、なんで広い道があるのに、こんな斜めの道があるんだろうと不思議に思っていたのですが、江戸時代の津の古地図を見て疑問は氷解。

この小さな道は当時の伊勢街道だったんですね。戦国時代以前は海岸近くを伊勢街道が通っていましたが、藤堂高虎が津城を整備して城下町を作り、伊
勢街道が城下町を通るように変更しました。これが現在の国道23号線で、城下町を過ぎ五道の辻になっているところから海岸沿いの伊勢街道へ斜めになってつ
ながっていたんですね。古地図には広い道はなく、この小さな道が当時のメインストリートでした。

正面の家の右側に小さな斜めの道があり、これが伊勢街道

桜井の駅の別れ

simamoto2011051.jpgJR東海道線・島本駅前に公園があり、ここが桜井の駅跡。

駅といっても電車の駅ではなく律令制度で街道に設けられた駅で、旅人の宿泊、荷物運搬の人馬を中継ぎする設備がありました。もっと時代が下ると宿場になります。公園の横にある細い道路が西国街道で京都と西国(山陽地域)を結ぶ街道でした。

桜井の駅で有名なのが楠木正成、正行の親子の別れ。九州から攻め上ってくる足利尊氏に対し、湊川の戦い(現在の神戸)に向かう楠木正成が父と一緒に戦うと懇願する息子の正行を河内国へ帰します。私が討死したら、お前は帝のために戦えと諭す太平記の名場面です。

なんで桜井の駅で別れたのかなと思ったら、淀川のすぐ向こうに男山(石清水八幡軍)が見えました。男山からは東高野街道が通っていて、後年、南北朝がぶつかる四條畷や瓢箪山、富田林、河内長野を通って千早赤阪へ続いています。交通の要衝だったんですね。

島本駅で電車を待っていると、電車が近づいてきますの後に、ボンボンボボーンと懐かしいメロディーが。サントリーオールドのコマーシャルで流れていた「人間みな兄弟」です。サントリー山崎蒸溜所が近くなんで、こんなメロディーにしたのかなあ。なかなか粋です。

ウメサオタダオ展

U11-05-00.jpg連休最後の日曜日、知的生産の技術研究会の面々で国立民族学博物館へ。ウメサオタダオ展の見学です。

さて入口前には、なぜか三原秘書が。この方、梅棹忠夫先生の秘書を長年、勤められた方で梅棹先生とはまさに二人三脚。時たま、梅棹先生の関係でお会いしておりました。

「お久しぶりです」と声をかけると、「今日のスケジュールはどなっていますか」という質問。そこでウメサオタダオ展の見学から宴会まで時間を説明すると、「それじゃあ、時間が足りませんよ。では早く!」ということで中へ。えー三浦秘書が案内してくれるの!

久恒さんも、秋田さんも三浦秘書がまさか案内してくれるとは聞いていなかったようで、びっくり。三浦秘書にこれは梅棹先生が自ら題名を書かれていました、この時はこんな事情があったのでこの資料ができますと細部にいたりじっくり説明。そら時間が足らないはずです。

知的せ資産の技術研究会発足のきっかけとなった「知的生産の技術」の生原稿も展示されていました。なんとも贅沢な説明ですね。会場の図書コーナーで本を買うと梅棹先生が作られた原稿用紙がついてくるといくことで、さっそく購入。

ウメサオタダオ展から参加されていましたが宴会では日経新聞の中沢記者に「梅棹忠夫 語る」
(日経プレミアシリーズ)の裏話をいろいろお聞きしました。久恒さんがインタビューし、秋田さんがせっせと録音とメモを取っていましたが、酔うほどにだん
だんオフレコの話が多くなり、半分は載せられないようなお話でしたねえ。(笑)そのうち会報に掲載されるでしょう。

Blast研究会

blast201105.jpg昨日は大阪産業創造館でBlast研究会。

Blastといってもウイルスの名前ではなく、2002年度大阪地区で実務研修した中小企業診断士仲間が中心となってスタートした研究会の名前。2002年度から試験制度が変わりましたので、研究会ルールとしては新制度合格者で構成しています。

立ち上げからずっと幹事をしている濱田さんという方がマメで、ずっと研究会が続いています。昨日は第31回目。参加者の中には大学時代に診断士に合格し、4月から社会人になったばかりの20歳代もいます。中心は30~40代で、すっかりおじさんになってしまいました。

伊勢の銘菓 ぱんじゅう

panjyu201104.jpg午後は伊勢商工会議所でIT相談。さすがに連休の合間では誰も相談には来ないですね。

帰りに駅前で「ぱんじゅう」を買って帰りました。伊勢の銘菓と言えば赤福が有名ですが、地元で有名なのが「ぱんじゅう」。大判焼きに似たアン入のまんじゅうです。御座候ほどは大きくなく、半球状で津や松阪の蜂蜜まんじゅうに形が似ています。

伊勢にはもともと七越ばんじゅうというお店があり、ここが元祖なのですが2000年に廃業。これでぱんじゅうが無くなってしまいました。伊勢の人
は嘆いていたのですが、七越ばんじゅう廃業後にいくつかのお店で「ぱんじゅう」を出すようになりました。店によって味が微妙に違うのは伊勢うどんと同じで
すね。

店先には「ばんじゅう」のノボリが上がっていますが買うのは地元の人。商店街などでしか売っていませんので、観光客はあまり目にしないでしょう。

似顔絵

mizutani2011051.jpg京都の和菓子☆ドットコム」という京菓子を紹介しているサイトがあります。写真がすごくって見ているだけで甘そ~う。このサイトを運営されてている萩谷尚子(はぎたになおこ)さんは漫画家でもあるのですが私の似顔絵を書いて送ってくれました。

これがなかなかの作品で、一番のお気に入りは政治家バージョン。「あなたのITに革命を!」というスローガンはよく分かりませんが、なんかすごそう。(笑)

萩谷さんは青空文庫漫画コンテスト参加作品でトルストイの名作「イワンの馬鹿」をモチーフに大阪風にアレンジした「イワンのパパ」を書かれています。笑えるのですが、いろいろと考えさせられる内容になっています。

伊賀上野は田植えの真っ最中

taue201005.jpg朝から関西本線に乗って伊賀へ

平日は笠置や月ヶ瀬へ向かう高齢のハイキング集団で電車が一杯になるのですが、さすがにゴールデンウィーク中のせいか見かけません。そのかわり伊賀上野や関宿に向かう観光客が乗っていました。いいな~あ。

奈良の田んぼは土のままですが、三重に入ったとたん水が張られた田んぼばかりで田植えの真っ最中。ゴールデンウィーク中に田植えはほとんど終わってしまいます。

伊賀上野は忍者フェスタの真っ最中で、街中を忍者衣装の人がウロウロしています。観光客も忍者衣装に着替えすることができます。さすがに伊賀の田舎にまでは忍者はいませんね。

社団法人日本ローマ字が公益法人に

roma201105.jpg公益法人制度改革が行われています。日本には2万5千ほど社団法人と財団法人がありますが、公益性の薄れたものや営利法人と変わらない活動をしているところもあり、そこでガラガラポンして見直しが行われています。

各団体は公益認定を受けて公益社団法人、公益財団法人になるか一般社団法人、一般財団法人になるか決めていかなけばなりません。中小企業診断士の会である社団法人中小企業診断協会でもけっこうもめています。

長年、理事をしている社団法人日本ローマ字会が無事に公益社団法人となりました。新しい法人名は国際日本語学会日本ローマ字会。

日本ローマ字会は古い歴史をもっていて明治18年の羅馬字会が元になります。130年も前に始まった会で社団法人化したのが大正15年。昔は石川啄木がローマ字日記を書いていたようにローマ字が脚光をあびていました。

明治、大正、昭和と活動を続けてきました。第二次世界大戦が終わった頃はGHQに目をつけられて大変だった時期もありました。1993年からは梅棹忠夫先
生が会長に。情報化と日本語の国際語の必要性からローマ字運動に燃えておられました。公益法人化に伴い、事務局が京都から東京へ映ることもあり理事もよう
やく退任に。