中小企業白書2011説明会

osaka20110811.jpg中小企業白書の説明会が大手前にある府合同庁舎であったので参加してきました。

1週間で満席になったそうで会場は満員でした。3月には白書が出来上がり海江田経済産業大臣にまで上がり、4月に閣議決定の予定でしたが震災が発
生。2ケ月間は震災対応でストップ。その後、第一部を震災の影響を受けた中小企業の実態調査にあて内容を変更。7月に閣議決定となり、ようやく発表されま
した。

リーマン・ショック後にV字回復しはじめた日本経済が震災で再び落ち込んだ状況や、震災関連倒産が増えている状況など、現状把握ができました。

さて大手前は谷町筋にあります。谷町筋は高台になっており、これが上町台地。堺筋から見​ると坂になっています。天満橋が谷町台地の端で、ここに
​あったのが八軒家船着場。京都の伏見と三十石船でむす​んでいました。寺田屋で泊まった坂本龍馬などもよく利用​していました。上町台地を南に行くと四
天王寺があります。

蘇民将来子孫家門

ise20110809.jpg朝から伊勢へ。伊勢商工会議所の経営指導員と宮川の河口近くにある企業さんを訪問してきました。

伊勢商工会議所の入口を入ると遷宮「お白石持ち」用のお木​曳き車模型が置いてありました。「お白石持ち」とは宮川の河原から採集した白石を陸曳・川曳で運び、正殿用地に敷き詰める行事で地元の神領民らが参加します。

もう一つ入口にあるのが蘇民将来子孫家門と書かれた注連縄。伊勢では1年中、注連縄を飾っておく風習があります。もともとは旅行中の須佐之男命が
蘇民将来の家に泊めてもらい歓待してもらったことから、入口に「蘇民将来の子孫」と書いておけば疫病などから守ってあげると言われたのが謂れだとか。伊勢
だけでなく松阪から志摩一体で見られる風習です。

略して将門と書くと平将門を思い出すので「笑門」と書きます。同じ三重県でも津市あたりでは見たことがない風習ですねえ。雲出川あたりが境目なのかなあ。

ファイティング・コンサルタンツ研究会 2011年8月

fight201108.jpg中小企業診断士で構成しているファイティング・コンサルタンツ研究会。

会場は中百舌鳥駅(堺市)にあるセレソヴィー株式会社。最近はFacebookのビジネス活用について議論をしています。今回はセレソヴィー株式会社・花岡社長の都合もあり、いつもより早く13時にスタート。研究会は15時半ころに終わり地下鉄で日本橋へ移動。

地下鉄の中では東京は「にほんばし」だが大阪は「にっぽんばし」だというどうでもよいことで議論していました。(笑)

久しぶりに黒門市場の寿司屋・寿恵廣「すえひろ」の2階へ。座敷とテーブル席があるのですがニューアルされていました。16時頃から宴会が始まり、結局19時頃まで、いつものように研究会よりも宴会の時間が長かった。

桑名商工会議所 ものづくり補助金活用セミナー

kuwana20110803.jpg

桑名商工会議所「ものづくり補助金活用セミナー」全3回シリーズが今日からスタ​ート。

桑名商工会議所の知り合いの経営指導員から補助金申請書の書き方​について学ぶ講座がやりたいと依頼があり、三重県産業支援センタ​ーのブラッシュアップコーディネーターなどと共に企画しました。

講師はブラッシュアップコーディネーターに依頼し、今回は黒子役。と言いますかほとんど丸投げ。(笑)

サポイン【戦略的基盤技術高度化支援事業】メイド・イン・三重ものづくり補助金の2つをターゲットにしています。マイナーな講座なんですが20​名以上が集まって受講中です。

百五銀行

hyakugo201108.jpg三重県には百五銀行、三重銀行、第三銀行と3つの地銀がありますが一番大きいのが百五銀行。銀行名に番号が入っている通り、創立時は第百五国立銀行でした。

津市の岩田川の横に本店があるのですが、水はけが悪いのか大雨になると1階店舗に浸水しています。よく台風前になると入口前に土のうを積むのが風物詩になっています。高層建築が少ないので11階建はよく目立ちます。

本当は中心市街地である丸ノ内(三重会館の前)に移転する予定でしたが、調査したら津城の内堀が出てきて、遺跡保存の話もからんで進んでいないようです。

我が水谷IT支援事務所の口座も百五銀行に作っています。本当は大阪に店舗が多い三井住友銀行にする予定だったのですが、なんせ三重に都市銀行は
ほとんどありません。みずほ銀行は四日市と津に2店舗。三井住友銀行にいたっては三重県内に店舗がありません。その代わり三重銀行のATMで三井住友銀行
の口座から引き出しても引き出し手数料は無料です。と後で知りました。

結局、三重県内で店舗数が多い百五銀行に口座を作りましたが大阪は難波に1店舗あるだけです。

iOS・Andro​id ビジネス利用の最新動向

osaka20110803.jpgメビック大阪、中小企業基盤整備機構主催の「iOS・Andro​id ビジネス利用の最新動向」に行ってきました。

株式会社フィードテイラーの大石社長が「エンタープライズでも勢​いづくiOS」で講演していましたが15分のプレゼンに用意した​スライドは50枚!さすがに全部はできませんでしたが、アンドロイドなどの最新のお​話を聞いてきました。

場所は扇町のカンテレ(関西テレビ)の1階で、ふだんはスタジオで使っているところです。

桑名藩と新選組

kuwana201108.jpg午後は桑名の企業さんへ。相談の後、世間話となり石取祭りから幕末の歴史の話に。

幕末の桑名藩主は松平定敬。松平定敬は会津藩・松平容保の弟で、。徳川慶喜らと京都で薩長と対峙していました。結局、鳥羽伏見の戦いから五稜郭まで戦った殿様として有名です。末期の新撰組に桑名藩士が多いのは、殿様自ら土方歳三らと転戦したのが理由です。

その間に若君のいる桑名藩は新政府軍の進軍路でもあり降伏しましたが、藩主の方は潔しとせず、自ら上野彰義隊、会津戦、越後戦などを戦い、最後は五稜郭で戦っています。最後は五稜郭を脱出して上海へ逃れ、やがて日本へ戻り、天寿を全うしています。

五稜郭の頃には土方歳三と一緒に戦っており、これが桑名藩新撰組です。強かったようですね。特に立見という侍は政府軍に名がとどろいていました。

西南戦争が起こった時、大久保利通などが、そうだ我々をさんざん苦しめた桑名藩の立見がいるではないかと思い出し、三重県庁に出仕していたのを陸
軍新撰旅団副長として呼び出しました。後に陸軍大将にまでなっています。薩長出身の将軍も戊辰戦争で煮え湯を飲まされた立見には頭があがらなかったそうで
す。

桑名はそんなこともあり、会津とは縁が深いですね。陸奥白河藩から松平家が移封されたため、今でもズーズー弁をしゃべる桑名市民がいるという説がありますが、さすがにガセネタのようです。