地元でも知られていない河内寺(東大阪)

河内寺
大阪市内から東大阪に移り住んで20年。住んでいる一体は枚岡ですが、もう少しせばめると額田という土地です。渡来人の古代豪族、額田首が住んでいたあたりで額田王はこのあたりの出身ではと言われています。
少し北へ行くと日下(くさか)があり、昔はここまで河内湖になっていて楯津という港がありました。神武天皇が奈良へ攻めいって長髄彦(ながすねひこ)に敗退し、日に向かって攻撃したから負けたんだとと言って熊野へ回り込みます。
河内寺
南北朝の戦いでは四條畷の合戦がありましたが、楠木正行(正成の子供)の本陣がおかれていたあたりになります。大坂・夏の陣では家康の本陣がおかれていました。今は公園になっていて牌だけが建っています。
そんな歴史深い土地なんですが、こないだ郷土の歴史をいろいろと見ていたら、すぐ近くに河内寺という寺院があったそうです。飛鳥時代後半に創建さ
れた古代寺院で、古代の河内を支配した一族河内連(むらじ)の氏寺です。四天王寺形式で塔や金堂が建ち並び、回廊がめぐっていました。鎌倉時代まで残って
いましたが、どうも土石流で埋もれてしまったようです。水害があったんでしょうね。2008年に国史跡に指定されていますが、地元でもほとんど知られてい
ない幻の寺なんだそうです。
いやあ、20年間ほど住んでいますが、そんな寺があったとは全然知りませんでした。天智天皇のとき、河内直鯨(かわちのあたい・くじら)が、遣唐使として派遣されています。
お酒のストックがなくなったので地酒屋さんに行く途中に河内寺跡に寄ってきました。場所は瓢箪山駅を出た近鉄電車が生駒山(奈良)へ向かって坂を
登りながら左へカーブするところです。一体は埋め戻されてフェンスに囲まれた空き地になっていました。河内寺跡などの看板はどこにもなく、そら地元の人間
でも分かりませんは!なにもない空き地で写真を撮っていたら、絶対に不動屋さんの間違えられますなあ。

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