違法行為から始まった日本のインターネット

■お祭り騒ぎだったウィンドウズ95の発売
ンターネットが一般的に広まったのは1995年のウィンドウズ95の発売以降です。秋葉原(東京)、大須(名古屋)、日本橋(大阪)などの電気屋街では大手コンピュータショップが特設会場を設け、深夜0時にウィンドウズ95を発売しました。コンピュータ関係で深夜から発売するようなイベントはそれまでなく、各ショップとも大がかりなイベントを用意し、深夜0時に向けてカウントダウンが行われました。
大手コンピュータショップには購入客が長い列をつくり、このイベントがテレビで大きく放映されました。それを見た一般の人が、興味をいだいてパソコンを初めて買うことにより市場が拡がり、インターネットも普及しています。現在のiPadやiPhoneの発売イベントの原点がウィンドウズ95でした。
■慶応大学と東京工業大学の接続が第一歩
インターネットが普及したのは1995年以降ですが、日本のインターネット開始はそれより10年ほどさかのぼります。
日本のインターネットの父と呼ばれる村井純先生が慶応大学から東京工業大学に異動になりました。いろいろな資料などを慶応大学のコンピュータにおいていたので、なにかあると慶応大学まで足を運ばねばなりませんでした。そこで考えたのが慶応大学と東京工業大学をネットワークで結ぶこと。ネットワークを通じて必要な資料を慶応大学のコンピュータから得ようというズボラな動機が日本のインターネットの発端です。
当時、専用回線はありましたが、べらぼうに高い通信料が必要でした。そこで目をつけたのが電話回線。コンピュータが一定の時間になると相手のコンピュータに電話をかけて、コンピュータ通しでデータ交換するシステムです。
■コンピュータを電話回線で接続すると違法行為だった
1984年に慶応大学と東京工業大学を接続します。当時、コンピュータを電話回線につないで、別のコンピュータに自動的に電話をかけ通信することは違法行為でした。仕方なくアングラでやっていました。1985年に通信の自由化が行われ、日本電信電話公社(電電公社)がなくなりNTTが誕生。電気通信事業法を施行されたことで、ようやくアングラ状態から脱却できました。法律がようやく時代に追いつきました。
このネットワークに大学や企業が接続されることでJUNETというネットワークが発足。これが日本のインターネットの基礎になりました。
■モデム接続できるホテルのリストをビジネスマンで共有
通信の自由化が行われたと言っても、まだまだ黒電話が主流の時代。電話回線と電話機の接続は今では当たり前のモジュラージャックではありませんでした。当時、PC-VANやNifty-Serveというパソコン通信がビジネスマンの間で流行。持ち運びできるモデムが登場したことから、出張先のホテルからパソコン通信しようと考えるビジネスマンが登場します。困ったのがモジュラージャックのないホテル。ホテルのホームページもない時代で、ホテル側もホテルの部屋から通信するビジネスマンがいるとは気づいていない頃です。
情報がなければ皆で持ち寄ろうとパソコン通信の会議室にビジネスホテルの情報が書き込まれるようになります。ホテルに泊まったビジネスマンが、モデムを接続することができたかどうかレポートをアップ。これがまとめられて地域別のビジネスホテル一覧ができました。ホテル予約する前に、この一覧をチャックして予約するのが定番となりました。今では全館無線LANのビジネスホテルが当たり前ですが、当時はこんな状況でした。やがて海外出張が多くなると国別に通信可能なホテル一覧がまとめられるようになります。

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