-
大河ドラマ「軍師・黒田官兵衛」。黒田官兵衛が謀反を起こした荒木村重を説得に行き、反対にとらえられ土牢に押しこめられてしまいました。これから黒田家にとって苦難の時代になります。大河ドラマでは荒木村重を大局を理解できない人物のように描いていますが、けっこう勝率が高い戦いだったようで、毛利がもう少し動けば、状況がどうなったかは分かりませんでした。
有岡城の戦いは長引き、1年以上にわたる籠城戦となります。長い籠城戦となったのは伊丹の街を取り囲んだ惣構えで、これが鉄壁の守りとなりました。惣構えとは城のほか城下町一帯も含め堀や土塁で囲んだもので、後では大坂城や小田原城でも築かれましたが、有岡城が最古の惣構えのようです。
JR伊丹駅から阪急伊丹駅の伊丹バルが行われるあたりが惣構えにすっぽり入っています。有岡城・本丸はJR伊丹駅のすぐ西側にある有岡公園で、遺構はあまり残っていません。遺構が比較的に残っているのが岸の砦跡。惣構えの北曲輪になっていました。現在は猪名野神社になっていますが、石垣跡や土塁跡が残り、 本殿裏から続く散策道は外郭濠跡でした。写真の地図では一番上のとがっているあたりが岸の砦です。
月: 2014年5月
半世紀にわたり走る鮮魚列車
近鉄が行商用専用列車を走らせています。これが鮮魚列車。伊勢の宇治山田駅と大阪上本町駅を結んでいて、一般の乗客は乗れません。
朝は三重県の漁港から早朝に揚がった海の幸を持った行商人を奈良や大阪へ運び、帰りは大阪から伊勢へ戻ります。鮮魚列車が始まったのは昭和38年。ですので半世紀にわたって走っている列車です。三両編成で先頭には白い帯が入っていて、ロングシートタイプ。昔はたくさんの行商人が乗っていたんですが、今は10人ぐらいですね。
昔はいろんな私鉄で走っていましたが、国内で運転されている鮮魚列車は近鉄のみとなっています。時刻表にも乗っていませんのでドクターイエローみたいな電車ですが、早朝または夕方に運がよいと鮮魚列車を見かけることができます。
早朝、鶴橋駅に急行が着くとビジネスマンの横をドヤドヤと竹カゴを持った人が降りていきます。大阪近郊から鶴橋の市場へ買い出しに来た小売商なんでしょうね。魚屋さんかなあ。
日本一低い天保山を登頂
日本中世の自由と平等 全講座が終了
日本版Mooc(無料オンライン大学講座)であるGacco。4月14日に開講した「日本中世の自由と平等」(東京大学史料編纂所 本郷教授)を受講しています。
最終が「中世の平等について」でした。毎回、講座が終わると四択の確認テストみたいなのがあるんですが最終講座では四択以外に、「日本中世における自由・平等・平和」のレポート問題がありました。
締切がこの日曜でしたので、今日、講座を受講して、ようやく先ほどレポート提出。大学時代はこんなに一生懸命、レポートをやらなかったですなあ(笑)最終講座では、ようやく織田信長がでてきましたが、信長の前に信長のように権威をぶっこわそうと考えた人物がいて、それが細川政元。こんな人物がいたんですねえ。
とりあえず「日本中世の自由と平等」の全講座は終了です。次回は日本のインターネットの父である村井教授の講座が始まるので、こちらも受講しなければ!
信長の妹が城主夫人だった小林城(名古屋)
知の拠点あいち
お菓子のミニ博覧会
奈良へ
奈良へ。
近鉄で西大寺駅を過ぎると平城京跡が見え、復元された大極殿、朱雀門、遣隋使船が車窓から見えます。東院庭園の真向かいにはイトーヨーカドーが見えますが、昔は奈良そごうの建物でした。豪華絢爛な隠し会長室があったことで有名です。
平城京時代から一等地で、当時は長屋王の邸宅跡。ですので「そごう」が破綻した時には長屋王の呪いだと、まことしやかに噂が流れました。
近鉄奈良駅で古くからの診断士仲間と合流し、駅から徒歩すぐの野菜ダイニング「菜宴」で昼食。日替わりがなかなかよかったですね。夕方から仕事が入っていたので途中で抜けて、大阪へ戻ってきました。