mooc(無料オンライン大学講座)の日本語版gacco。村井純教授のインターネット講座を受講しているのですが、ようやく第4週目(最終講座)を受講。
毎週の小テストが終わると最終課題が待っています。「日本中世の自由と平等」の最終課題はレポート課題でしたが、「インターネット」は選択問題。選択問題といっても4択なんて簡単なものではなく、いったい選択肢がいくつあるんだという問題。いろいろと調べてくださいという出題者の意図でしょうが、疲れます。(笑)
インターネットの技術的なことはまあまあ分かっている方ですが、歴史の話やポリシーなど、なかなか頭の整理になる講義でした。さあて、夕方からLEC梅田へ行って、中小企業診断士講座・経営情報システムの講義です。さっそく学んだことを役立てなければ(笑)
月: 2014年6月
タバコと塩は専売品だった
ひょんなことから昔の電話の話となり、1985年、通信の自由化が行われるまでNTTは日本電電公社という名前で、使っていた電話は黒電話。今のようにカラフルな電話や多機能電話はなく、携帯ももちろんありません。
そしたら昔って塩をスーパーで売っていなかったという話になり、こっちは日本専売公社で塩とタバコを売っていたという話に。若い人に昔、国鉄だったという話をしてもピーンとこないでしょうね。
物部神社(名古屋)
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今日は名古屋市中小企業振興公社で長年、常務を勤められた方の送別会があったので参加してきました。
開始まで時間があったので、まずは千種にある高牟神社へ。ここは尾張物部氏の拠点があったところ。またすぐ近くぬ物部神社があります。そのまま名古屋駅前に移動して送別会に参加。今から大阪へ戻ります。木曜の近鉄特急はさすがにすいています。
「日本中世の自由と平等」講座 終了証をゲット
4月から5月の4週にわたって開講された「日本中世の自由と平等」の終了証が届きました。
もともと、中世という言葉に反応し、山城の話でも出てこないかなと期待して受講したんですが、そんな話はいっさいなく(笑)古文書などをもとにして中世とは、どんな時代だったかという考察。NHK大河ドラマでホームドラマ的な「黒田官兵衛」をやっていて、見ると面白いのですが、中世とは、あんな世界じゃなかったということがよく分かります。
東京大学史料編纂所の本郷教授の講義がおもしろく、山城の話がなくても、結局、最後まで受講。講座の終了条件は各週講座の後に行われる課題と最終課題レポートの合計が60点以上であること。成績をみると88点でしたので、これは「優」ですなあ。(笑)
次に「インターネット」講座を受講しているんですが、こっちはけっこう難解で大変な講義で、がんばらないと!
伊勢でITCセミナー
伊勢市産業支援センターでITC活用セミナーの講師をしてきました。タイトルは「上手なICT活用方法とセキュリティ対策」です。午後のセミナーでしたので、寝ないように今回も音量たっぷりのセミナー。(笑)
久しぶりに伊勢市産業支援センターへ行ったのですが隣接するj県営サンアリーナ―はかなり変わっていました。サッカー場が5面整備され、フットサルも可能です。以前、駐車場だったところもサッカー場に変わっていました。
また伊勢市産業支援センターの周りの工業団地もいろいろな企業が進出。伊勢の市街地から離れた高台にあるのですが、沿岸部は津波の影響を受けやすいので高台に引っ越す企業が多いようです。
セミナーは午後15時に終わったので、その後、外宮ちかくに飲みにいきましたが、さすがにこの時間帯からやっている居酒屋はないので、店先でビールが飲めるところをハシゴ。結局、4軒まわって、まだ明るいうちに伊勢市駅から帰ってきました。(笑)
マッチ箱のような電車
「停車場はすぐに知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。」
夏目漱石が小説「坊っちゃん」で伊予鉄道のことを形容した言葉です。
漱石が伊予鉄道に乗った頃、レール幅762mmの軽便鉄道で確かにマッチ箱のような汽車と客車が松山を走っていましたが、現在はレール幅が1067mm(狭軌)となり、JRのレール幅と同じになりました。
残念ながら漱石時代のマッチ箱のような電車が走っているところは三重県だけになってしまいました。一つが西桑名駅から出ている三岐鉄道北勢線。もう一つが四日市駅から出ている内部線・西日野線。采女城のある内部駅へ行くのに久しぶりに乗ってきました。
三両編成のワンマン運転で、30分おきに出ていますので1時間に2本のダイヤ。当然、単線です。電車の中は狭く両側の椅子に座った人が足を組むと通れなくなるほどの幅です。見どころは日永駅で西日野駅へ行く路線と別れるのですが西日野から四日市へ向かう電車と行き違いをします。しかも三角形のホームになっています。
マッチ箱のような電車を見るのなら、ぜひ三重県へどうぞ!
落城で姫が井戸に身を投げた采女城
前から行きたかった采女城へ行ってきました。
近鉄四日市駅から軽便鉄道に乗り、内部駅から20分ほど歩くと城の入口につきます。采女城は3つの尾根上に9つの郭を配置した平山城。采女城保存会が整備しており、ヤブもかってあり、非常に歩きやすく、また見やすくなっています。スーツ姿で登れました。(笑)
南側の入口から入り10分ほど登ると主郭(一の郭)につきます。ここに深井戸がありますが、落城する時に城主の姫が身を投げたところと伝わっています。
城を造ったには藤原氏を祖先とする後藤家で三重郡采女郷の地頭職となった時に築城しました。鎌倉時代の話になります。それ以来、15代にわたり続きましたが、織田信長の伊勢進攻で落城します。攻めたのは滝川一益で、城の四方から6000の兵で攻めました。守っていたのは500ほどだったようです。
1~5郭と8郭は簡単に行くことができますが、6、7郭は道がなかったので堀に降りて崖を登るしか方法がなかったですね。さすがにこっちまでは整備されていなくってヤブだらけでした。離れたところにある9郭は断念しました。
創業カフェでセミナー
創業カフェでセミナーをしてきました。
四日市志創業応援隊という創業支援ネットワークがあり、構成メンバーは四日市商工会議所、四日市市、三重北勢地域地場産業振興センター、日本政策金融公庫四日市支店、三重県信用保証協会四日市支店。1ケ月に1回、第一金曜日に、創業を考えている人や、創業してまもない人を対象に創業カフェというセミナーを開催しています。
今日は「SNSを経営に活用する方法」という内容でセミナーをしてきました。あいかわらずスピーカーを使った鳴り物入りスタイル。これなら絶対に寝ません。(笑)セミナーが終わってから、四日市商工会議所3階の休憩コーナーを使って交流会を開催。交流会といってもお酒は出ず、ジュースとお菓子だけの健全な交流会。(笑)創業者通しのネットワーク構築のための仕掛けの一つです。
セミナーは夕方スタートでしたので、早目に四日市へ出て、采女城へ登ってきました。本丸跡で落城に想いをはせていたら仕事の電話がかかってきて、すっかり現実に。文明の利器もよしあしですね。
三宮の地名の由来となった三宮神社
神戸の中心と言えば三宮ですが、三宮という地名は三宮神社からとられました。航海の安全と商工業の繁栄を守る神さんです。
三宮センター街のすぐ近く、古い建物が多い旧l居留地にあり、目の前はトアロード神戸です。旧居留地にあった三宮神社の前で起きたのが神戸事件。慶応4年ですので明治に改元される年です。西宮の警護に大砲をひいて向かう備前藩の行列の前をフランス人水兵2人が横切ったことから、フランス兵に軽傷をおわせてしまいます。生麦事件と同じ構図です。
交渉となり列強ともめにもめましたが、備前藩関係者の切腹で決着しました。朝廷は徳川幕府から明治政府への政権移譲を宣言していなかったので、あわてて明治新政府への政権移譲を表明。神戸事件は明治新政府となり初めての外交事件となりました。
三宮神社の境内には当時のものと同型の大砲が置かれています。
幻想的な楽園そこはザナドゥ
J-Mottoの経営コラム作成が終了。今回のテーマはオリヴィア・ニュートン=ジョンが歌うザナドゥです。みずほフィナンシャルグループのテレビCMに井上真央さんが出演していますが、バックで流れている歌がザナドゥ。すこし前はソフトバンクモバイル「ホワイトプラン」のCMソングにも使われていました。1980年に公開された映画「ザナドゥ(Xanadu)」で、オリヴィア・ニュートン=ジョンがザナドゥを歌っています。
→ みずほCM
ザナドゥのアルバムは大ヒットしましたが映画は酷評され商業的には失敗。大学生の頃、いまはなき祇園会館で見た記憶があるんですが、なかなか楽しめる映画でした。ザナドゥの起源はモンゴル帝国のクビライ・ハンが、モンゴル高原南部にもうけた夏の都からきています。英国の詩人コールリッジが幻想詩「クーブラカーン」で都「ザナドゥ」を登場させて以来、ザナドゥはシャングリラと同じように幻想的な楽園の代名詞として広く使われるようになりました。
コンピュータの世界でいうとテッド・ネルソンという人物がザナドゥ計画というのを考えていました。文書や画像のリンクをクリックすると次々と情報をたどれる仕組みが World Wide Web (ウェブ)ですがザナドゥ計画は片方向でなく、双方向でした。