JR関駅構内に観光案内所があり、関宿巡りのマップをゲット。マップを見ると「西の追分」近くに城山という文字を発見。
城山って...「三重県の山城ベスト50を歩く」に出てきた関地蔵城(新所城)だ~あ~!
のんびり関宿を散策というプランを急遽、山城登りに変更。関宿の宿場町を抜けて、「西の追分」へ。すぐ近くに小山があり、これが城山。でも登り道が分かりません。地元の人に物流倉庫の裏から登れると聞いて、城山に登り石垣跡や郭跡を見てきました。もっとも帰ってから「三重県の山城ベスト50を歩く」の縄張図を見ると1/3もまわっていませんでした。こりゃ、またリベンジしなくては。
「西の追分」から東海道、大和街道が出ていますが城山はちょうど見下ろす位置にあります。古代の鈴鹿関時代には頂上に見張り台があり、鈴鹿関を守る部隊が城山に駐屯していたようです。戦国時代には関氏の関地蔵城がありました。関氏は織田信長の伊勢侵攻では一族の神戸氏などが和睦するなか近江の六角氏と組んで抵抗しますが、最後には降伏。関地蔵城は賤ヶ岳の戦いの前哨戦で秀吉方の蒲生氏郷と織田信孝方の滝川一益とで城の取り合いになりました。
関氏は伊勢平氏(清盛)から出た氏族で家紋は揚羽蝶。「天地明察」で和算の関孝和が出てきますが、もともとは内山氏で若い頃に関家に養子に入ります。この関氏の家紋もはじめは揚羽蝶。どうも伊勢の関氏の系統だったようです。