昨日、多治見まで企業相談に行っておりましたが、少し早い目に行って美濃池田城に登ってきました。
多治見市池田町の池田不動と池田稲荷神社がある場所が美濃池田城跡です。土塁などは残っていません。山の上まで車道が続いていますのでスーツ姿で登れる山城です。
裏山に登ると小牧・長久手の戦いで戦死した池田恒興と池田元助(長男)の墓標があります。池田恒興は恒興の母が信長の乳母だったので乳兄弟であり側近でした。本能寺の変の後の清州会議でもメンバーの一人です。他のメンバーは柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉。
小牧・長久手の合戦では秀吉方として家康と戦いましたが、こう着状態が続くため、岡崎に奇襲をかけようと秀吉に進言して軍を進めます。ところが家康に見破られえ長久手で襲われ、戦死してしまいます。池田恒興は美濃の池田町の出身という説があり、それで墓標が建てられたんですかねえ。池田家は次男の輝政が継ぎ、播磨を領した時に、修復工事がまもなく終わる姫路城を造りました。
ネットで美濃池田城を調べると遺構はないとなっていたのですが、あきらめがわるく裏山に登ったりしていました。帯郭かなと思えるところもありましたが、不確か。ところが稲荷神社の脇から登れるところを見つけ、上がってみると、まあまあ大きい郭跡があり、しかも帯郭までありました。今まで来たマニアは見逃したのかなあ。