備中高松城 水攻め土塁跡

蛙が鼻
昨日、せっかく岡山まで行くので、吉備線に乗って備中高松駅へ。
駅近くに秀吉の水攻めで有名な備中高松城がありますが、駅は完全なローカル駅で、駅の中には何の案内もなく、駅を出たところに看板があるだけ。
駅から少し歩くと蛙が鼻築堤跡があります。水攻めにするために堤防を築いたのですが、この堤防の土塁が今も残っています。
土塁を発掘したことろ一番下には土留めに使われた木杭や土を入れた俵の跡などが見つかり、しっかり基礎をつくってから土を盛ったようです。発掘現場も展示されていました。残っている築堤跡は高さ3~4メートルほどで、江戸時代の地誌類では高さ8mとあります。この堤防を延々と3kmも築き、高松城を水攻めにしました。わずか12日で完成したという話ですが、本当ですかねえ。
水攻めは中国の歴史書には出てきますが、日本では高松城が本邦初。水攻めの策を考えたというのは黒田官兵衛と言われています。
去年、大河ドラマが黒田官兵衛でしたので、それにあやかって「黒田官兵衛 備中高松城を水攻めにする」という記事をAll Aboutに書いたのですが、現地を見たのは今回がはじめて。(笑)書いた内容はだいたいあっていたので一安心。
→ 黒田官兵衛 備中高松城を水攻めにする (戦国武将に学ぶシステム作りシリーズ)

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