宇喜多家の陣跡

宇喜多陣跡
先日行った、備中高松城シリーズ第4段!(笑)
秀吉側で戦った宇喜多忠家の陣跡。八幡山の山頂で、現在は八幡神社が建っています。宇喜多といえば宇喜多直家が有名で、当初は毛利方でしたが後に織田信長に降参しています。これで備前(岡山)は織田方となったため毛利との境目は備中となりました。毛利方の防波堤となったのが備中七城、その一つが備中高松城です。いわゆる境目の城となりました。
宇喜多直家は備中高松城の前年に病没しており、後は嫡男の宇喜多秀家が継ぎましたが、まだ10歳と若かったため叔父の宇喜多忠家(直家の弟)が宇喜多勢を率い高松城攻めに参戦しています。宇喜多忠家が陣をかまえた八幡山の眼下が高松城で、向こう側には堀尾吉晴や秀吉の陣が見えます。なかなか眺めがよい陣跡です。
家督を継いだ宇喜多秀家は秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫を正室として秀吉の一門衆となりました。関ヶ原の戦いでは石田三成と共に戦い敗北。薩摩まで逃げ島津が家康と交渉してくれ、結局、八丈島に流されることになります。83歳まで長生きし、関ヶ原を戦った大名の中では最後に残った一人となりました。

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