本能寺の変は今週、日曜日

備中高松城
備中高松城の戦いシリーズの最終回。(笑)
高松城の周りは湿地帯で城を攻めるには狭い道を行くしかなく、城から狙い撃ち。「のぼうの城」で有名な忍城と同じ沼城でした。ですので高松城の経験があった秀吉は三成に水攻めを命じたのでしょう。
■水攻めの開始
秀吉は高松城を3万の軍勢で囲み、攻めてみましたが敗退。そこで誰もやったことがない水攻めを開始します。工事に着手したのが1582年5月8日。旧暦ですので新暦にすると5月29日となります。完成に12日かかりましたので、新暦の6月9日に完成。足守川の水をせき止めて流し入れ水攻めを開始。
ちょうど梅雨シーズンで、今日のような雨が降り、みるみる水位があがっていきます。後詰(援軍)に来た毛利軍も手が出せず講和の申込をしますが、秀吉は信長に出陣を待って毛利攻めをするために、ノラリクラリと講和を引き延ばします。
■本能寺の変はこの日曜日
信長に京都から来てもらうため山陽道と高松城までの街道を整備し、途中に休憩所なども造っていたのでしょう。秀吉の中国大返しができた理由に、この街道整備が大いに貢献しました。
1582年(天正10年)の今日、秀吉は水攻めの真っ最中。高松城の士気を下げるために石井山の付城で宴会でもやっていたのでしょう。明智光秀は今日、丹波亀山城に入り、出陣の準備をはじめます。信長は安土城にいて、森蘭丸など小姓を連れ京都へ出発するのが金曜日。
本能寺の変は21日(日)になります。来週の月曜日に本能寺の変が秀吉の本陣にもたらさせ、来週から怒涛の人生が秀吉を待つことになります。

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