重要文化財である大坂城の櫓が公開されていますので、行ってきました。公開日は22日、23日、26日、27日の残り4日です。
徳川家光が再建した大坂城の大手口は枡形虎口になっています。門を突破した敵をまっすぐに進ませず方向を変えさせ、周りを櫓が囲んでいますのであたふたしている敵を集中砲火で殲滅する入口のことです。戦国時代から虎口(城の入口)を湾曲させていましたが、これを発展させたものが枡形虎口。
武田信玄ら東日本の武将は三日月堀と馬出しをよく使っており、武田の家臣だった真田信繁(幸村)の真田丸も大きな馬出しだったという説があります。西日本でよく使われたのが枡型虎口です。
城は横矢がかかるように屈曲させるのが主流でしたが、これですと中の空間がどうしても歪になります。そこで水堀と四角形の郭パターンを作りだしたのが藤堂高虎。防御力が落ちるのを枡型虎口と多聞櫓でカバーしました。江戸時代は規格化されたこのパターンが使われ、全国どこの城へ行っても同じような縄張になりました。
多聞櫓というのは長屋のような櫓で、もともとは松永久秀の多聞城(奈良市内)で使われ、その名がつきました。大坂城大手口の多聞櫓は江戸時代のもので、ここから枡型虎口をのぞくと簡単に敵をしとめることができそうですね。