本当は十条まであった平城京

羅生門
平城京の朱雀大路入口にあった羅城門跡です。
実際に羅城門があった場所は佐保川の堤防の下で、佐保川にかかる羅生門橋からは遠く大極殿を望むことができます。この羅城門の礎石の一部は大和郡山城の天守閣の石垣に転用されています。石材がなかったため、なんでも転用したんですね。
羅城門は九条通りにあったのですが、実は平城京は最初、十条通りまであったことが発掘で判明しています。藤原広嗣の乱があった後、聖武天皇は都を平城京から恭仁京へ、次に紫香楽宮や難波宮へ移します。5年後に平城京に戻っていますが、この時までに九条までとコンパクトになったようです。
平城京の前の藤原京が十条でしたので平城京も最初はあわせたんでしょうね。朱雀大路の東側では遺構が見つかりましたが反対側の西側で遺構が見つからず、考古学の疑問の一つになっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です