桃配山(関ヶ原 徳川家康陣地)

桃配山
壬申の乱で関東(鈴鹿関の東側で現在の桑名)に逃れた大海人皇子は尾張氏を味方につけ、大友皇子の近江軍と激突したのが関ヶ原の土地。
この時、関ヶ原を見渡せる山に登り兵士に魔除けの桃を配りました。それ以来、桃配山という名前となります。近江軍を破った大海人皇子は軍勢を二手に分け、湖東と湖西から大津京を目指します。
若き家康が今川義元のもとで人質生活をおくっていた時に教えを受けたのが大原雪斎。雪斎は今川軍の指南役でもあり、今川義元の教育係も務めた禅僧です。薫陶を受けた家康が読んでいたのが論語、中庸や史記などの歴史書、六韜などの兵書です。当然、壬申の乱などの過去の歴史についても学んでいました。
関ヶ原に布陣することになった時、まっさきに思い出したのが桃配山の故事。関ヶ原の戦いをもとに天武天皇となった大海人皇子にあやかり、最初の陣地としました。

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