大谷吉継陣跡(関ヶ原)

大谷吉継墓
関ヶ原シリーズ・第三弾です。(笑)
大谷吉継は秀吉の天下統一に従軍し、やがて敦賀城主となります。白い頭巾姿で有名で敦賀市のゆるキャラ「よっしー」は大谷吉継をモチーフにしています。
秀吉が亡くなった後、前田利家と徳川家康が一触即発となった時、福島正則らと共に徳川家康の屋敷を守る方にまわっていますので、徳川派でした。上杉討伐軍に参加するために三成の居城である佐和山城に立ち寄った時に旗揚げの話を聞かされ、翻意するように三成が説得しますが、意志が固いので西軍に加わります。家康は大谷吉継が西軍に加わっていると聞いて、かなり驚いたようです。
敦賀に帰り、戦準備をするとともに東軍の前田利長を牽制するため、大谷の水軍が金沢を攻撃するぞと偽情報を流し、混乱させます。前田利長は実際、関ヶ原に来れませんでしたので、効果はありました。この大谷隊の陣ですが、まっすぐ松尾山の小早川秀秋の陣を見すえていますので、最初から裏切りに備えていました。ところが一緒に率いていた脇坂安治・朽木元綱・小川祐忠・赤座直保が途中で東軍に寝返り、総崩れ。脇坂安治は同じ秀吉の御馬廻り衆の一員で同僚でしたが、うまくいかないものですね。朽木元綱は信長が金ヶ崎城からの撤退戦で絶体絶命の危機に陥った時に朽木越えを助けた武将です。
大谷吉継は自刃し、側近の湯淺五助が首を埋めます。この五助は勇猛な侍として有名でした。ところが埋め終わった時に藤堂隊の藤堂仁右衛門(藤堂高虎の甥)に発見されます。五助は自分の首の代わりに大谷吉継の首の場所を口外しないことと、供養を頼んで討たれました。約束通り藤堂仁右衛門は家康に聞かれても首のありかを口外せず、戦が終わってから墓を建てています。
来年の大河ドラマは「真田丸」ですが、大谷吉継は片岡愛之助が演じるんですね。真田信繁(幸村)の奥さんがこの大谷吉継の娘と伝わっています(諸説あり)。大谷吉継の息子は義兄弟となる真田信繁らとともに大坂城へ入城し、大坂夏の陣で討死。湯淺五助を討ち取った藤堂仁右衛門は大坂の陣の八尾・若江の戦いで長宗我部盛親隊に敗れ討死にしています。

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