まだまだ続く関ヶ原シリーズ 第12回は藤堂高虎・京極高知陣跡です。
東軍の第一軍が福島正則隊で、藤堂高虎・京極高知は第二陣になります。不破の関跡あたりまで進軍し、大谷吉継の隊に属していた平塚為広(美濃垂井城主)と交戦。小早川秀秋軍とともに大谷軍を破っています。
■京極高知
京極高知は名前の通り、近江守護で北近江をおさめた京極氏。浅井氏は京極氏の被官でしたので小谷城には京極丸があり、名義上の盟主を京極氏にしていました。信長が清州城に尾張守護の斯波氏を迎えていたのと同じ構図です。もっとも信長は途中で斯波氏を追放してしまいました。
京極高知の兄が京極高次で奥さんは浅井三姉妹の初。大河ドラマ「真田丸」では姉の淀君への使者として登場するはずです。関ヶ原の合戦の時は大津城城主で西軍の立花宗茂らに攻められましたが関ヶ原の合戦時までねばり、立花宗茂らは関ヶ原に間に合わず結局、西軍の勢力をそぐことに成功します。京極氏は兄弟で家康側として戦いました。
■藤堂高虎
藤堂高虎は最初、浅井の家臣ですので、京極氏は昔の主筋。ともに戦うことになった時、感慨深いものがあったでしょうね藤堂高虎は何度も主君を変えた戦国武将として有名ですが、江戸時代、外様だった高虎を家康がめちゃくちゃ信頼していましたので、半分以上は譜代のやっかみでしょう。藤堂高虎は秀長(秀吉の弟)に仕えた時に頭角をあらわし、はじめて自分の力量を評価してもらえる主人と巡りあい、せっせと働いて自身も大名になります。ところが長年、仕えた秀長が病死し、後を甥の秀保が継ぎ、家老として後見します。秀保の代理として文禄の役にも出征しますが、この秀保も若くして亡くなってしまいます。ホトホトいやになったようで、高野山に出家。この時は秀吉が説得して還俗させます。
藤堂高虎といえば旗印にしている三つの白餅が有名ですが、他にもいろいろな逸話が残っています。関ヶ原で敗れた石田三成に声をかけ、わが軍の直すべきところを教えてほしいと言った話は有名です。津藩の初代藩主となります。