大阪に住んでいると”えべっさん”は1月10日に行う十日戎と思い込んでいますが、1月20日に行う二十日恵比寿というものがあるんですね。
ちょうど1月20日に九州の唐津へ行っていて、曳山展示場で唐津くんちの山車を見て、外へ出ると目の前が唐津神社でした。平日の昼間にもかかわらず音楽が流れて、賑やかだったので境内に入ると、二十日恵比寿祭というのをやっていました。へ~え、十日戎じゃないんだあ!規模は小さくって、縁起物を笹を売っている所も一ケ所だけでした。唐津神社の二十日恵比寿はけっこう古く、天保年間に始まったそうです。180年ほど前ですね。これ幸いと唐津でも商売繁盛のお願いをしてきました。
調べると十日戎ではなく二十日恵比寿をやっている所は各地にあり、伊勢志摩サミット近くの志摩市浜島では「鼻かけえびす」像の前で、南方向の浜を向き、3回初笑いしながら商売繁盛を祈願するそうです。恵比寿さんの像はいつも鼻がかけているそうで、地元の人が持って行ってしまうのが理由。これはハナ(端を取る)ことが”先を制す”になるんだそうです。
月: 2016年1月
ジョーシス第3回 うっかりミスは許されない! 日本のセキュリティレベルを上げよう!!
企業のIT担当者、情報システム部門の方向けの情報サイト「ジョーシス」に掲載されています。4月に新しく始まる情報セキュリティマネジメント試験(情報処理技術者試験:国家試験)をテーマにしたセキュリティに関する3回シリーズの記事で、今回が最終回です。
皆さんはウイルス感染のパソコンが見つかったらどうしますか?
基本はすぐにインターネットからはずすこと。そのままですとウイルス感染が蔓延してしまいます。LANケーブルを使った有線LANで接続している場合は、まずLANケーブルを抜きます。ただし無線LANルーターがオフィスに入っていたら、パソコンは無線LANを探しにいきます。自分のパソコンで、どうやって無線LANを無効化するかって、けっこう知らない人が多く教育が必要です。
→ うっかりミスは許されない! 日本のセキュリティレベルを上げよう!!(ジョーシス)
覚王山 日泰寺
名古屋市市営地下鉄・覚王山駅の由来は日泰寺の山号からきています。覚王とは御釈迦さんをあらわします。
■御釈迦さんの本物の遺骨
寺院の塔は舎利をおさめるためのもので、薬師寺の東塔(国宝)の解体修理では江戸時代の舎利容器が見つかりました。本物の御釈迦さんの遺骨は無理なので、それに代わるものが納められていますが、日本で唯一、本物の御釈迦さんの遺骨があるのが日泰寺。
そもそもは明治になりイギリス人によって御釈迦さんの遺骨が入った舎利容器がインドで発掘されたことに起因します。古代文字を解読すると舎利容器が御釈迦さんのものと判明。この舎利が仏教国であるシャム国(現在のタイ)に、送られます。
一部が同じ仏教国であるセイロン、ビルマに分与されました。この話を聞いた日本からも申し出があり、遺骨が分与されて納められたのが日泰寺です。明治の終わり頃の話です。
■日泰寺境内から少し行ったところに安置
日泰寺は日本と泰(タイ)ということで命名されています。日本で唯一、いずれの宗派にも属さない寺院になっています。
日泰寺境内に塔がありますが、御釈迦さんの舎利はここではなく、少し行った、奉安塔にあります。境内にあるものばかりと思っていたので、先日、専門家派遣のついでに奉安塔へお参りに行ってきました。写真の奥にあります。
小牧・長久手の合戦の舞台 岩崎城
専門家派遣のついでに地下鉄・星ヶ丘駅から名鉄バスに乗って岩崎城へ出かけてきました。
現在は公園になっていて立派な模擬天守が建っていますが、戦国時代のいわゆる土の城で、こんな天守はありませんでした。中は博物館になっています。外観がこの模擬天守なんで、あまり期待せずに行ったのですが、城の周りの空堀や櫓台跡、西の曲輪などが見事に残っていました。なかなか見応えがあります。
■小牧・長久手の合戦
こう着状態に陥った小牧・長久手の合戦で、池田恒興が長躯して家康の岡崎を狙おうと進言。これが認められて進軍しますが、第一軍の池田恒興の前に立ちはだかったのが岩崎城。池田隊7000に対し、300の兵で守っていましたので降伏してもよかったのですが徹底抗戦し、玉砕してしまいます。
これが足止めとなり、岡崎を目指す第三軍に家康軍が襲い掛かり、池田恒興、森長可らが討死することになります。
■織田信秀が築城
岩崎城を造ったのは信長のお父さんである織田信秀。ところが家康の祖父である松平清康に攻められて城が獲られてしまいます。この松平清康、矢田川沿いにある守山城にいたところを部下に暗殺されてしまい、松平家は没落し、竹千代(家康)は今川家の人質になることになります。
城は名門・一色氏の一族である丹羽氏の城となり、小牧・長久手の合戦でも丹羽氏が守っていました。
信長のお父さんのお城(末森城)
名古屋の覚王山まで専門家派遣で行ってきました。
せっかく覚王山へ行ったので駅近くにある城山八幡宮へ。ここは信長のお父さんである織田信秀の末森城があったところです。
信秀は斎藤道三と争いましたが、結局、決着はつかず和睦を結び、跡取りの信長と斎藤道三の娘である濃姫を夫婦にします。信秀は尾張に勢力を拡げ、津島や萱津などの経済力を重視し、これは信長に引き継がれます。
信秀はこの末森城で病死しますが跡取りの信長は那古野城(現在の名古屋城)にいました。この末森城を引き継いだのが信長の弟である信行です。ところが信長に反旗を翻したため、結局は殺されます。
末森城の本郭は神社の境内になっていますが、境内の周りが空堀になっており、きれいに残っています。本当は二重の空堀や馬出しもありましたが、外側の空堀などはなくなっています。名古屋の街中によく戦国時代の平山城が残りました。
寺沢広高が友人との約束を守った唐津城
「唐津くんち」で有名な唐津にあるお城。邪馬台国時代は末盧国でした。
唐津湾に面して城が造られており、海にそびえる海城になっています。城の周りを巡ってみましたが、海岸線から石垣がめぐらされていて、なかなかすごいです。
唐津城を造ったのは秀吉家臣だった寺沢広高で、唐津藩の初代藩主になります。尾張の出身で朝鮮出兵では物資の輸送など兵站を担当しました。三成らと立場は同じで武断派とは対立していましたが、関ヶ原の戦いでは東軍につき、家を守りました。
寺沢広高には友人との逸話が残っています。若い時、出世して国主となったらもう一人をは10分の1の禄をもって家臣にしようと約束しました。友人は光秀に仕えますが、本能寺の変で没落。寺沢広高は約束を忘れず、国主になった時に石高の10分の1で友人を召し抱えています。
天守閣は復興天守で、耐震工事のため1階から4階までは工事中。5階展望所のみが解放されていますので、せっせと階段を登ります。途中でめげないよう、現在何段目であと何段残っているか案内がいくつか設けられていました。天守からの眺めは絶景です。
今日は電子メールの日
サービス業生産性向上セミナー
夜はマイドーム大阪で「サービス業生産性向上セミナー」。主催は大阪府です。
サブタイトルが実に長く「業務効率化への切り札!上質なサービス提供を可能にする、IT利活用とリスク管理」となっています。対象は創業者や小規模事業者なので、小さな企業でもすぐ取り組める内容といろいろな企業事例を話してきました。日中は大阪府よろず支援拠点で窓口相談でしたので、マイドーム大阪7階から4階に降りるだけでセミナー会場へ到着。毎回、こうだといいんですが。(笑)
最近、セミナーの導入部は「信長に学ぶビジネスモデル」にしています。織田信長のイメージといえば、「天才的な革命児で威圧感があり、近寄りがたい人物」でしょう。確かに信長は天才だったかもしれませんが、負けに学び、常に考え続けた武将でした。信長の時代に登場したのが鉄砲で、今でいえばITです。事業を取り巻く外部環境が劇的に変っていくなかで、ITという鉄砲をどう事業にいかしていくのか信長のように学びましょうという話です。それはよいのですが、セミナーが終わってから武将の話をずっと聞きたかったと3人の受講者が言われてしまいました(笑)。うーん、単なるマクラだったんですがあ。
今日のよろず支援拠点の相談では大分出身の事業者と大友宗麟の話で盛り上がり、戦国時代の知識も役立つものですなあ。(笑)
木下延俊陣跡(名護屋城)
朝鮮出兵には全国各地の大名が動員され、名護屋城の周りにはたくさんの陣が造られました。現在、118ヵ所の陣跡が確認されていて、うち65ヵ所に遺構が残っているそうです。
昭和バスに乗っていると伊達正宗陣跡というバス亭もありましたし、そこかしこに前田利家陣跡などの小さな看板が建っていました。そんななか、一番近くにあるのが木下延俊陣跡。名護屋城博物館の裏手の山の上にあります。博物館近くを太閤道(唐津街道)が走っていて、これを監視する場所にあります。
■木下延俊は「おね」の甥
木下延俊ですが木下という名前がついている通り、秀吉の奥さんである「おね」の親戚で、甥にあたります。木下延俊の兄弟が小早川家に養子で入り、これが小早川秀秋。
朝鮮出兵時、木下延俊は三木城攻めで有名な播磨三木郡2万石の大名でした。関ヶ原の戦いでは家康側につき豊後の日出藩として幕末まで続きます。
陣跡を取り囲んだ石塁の跡などが残っていますが、枡型虎口もあり小さな山城という風情。どうも茶室もあったようで、なかなか優雅です。変わったところではトイレと思われる遺構もありました。
特別史跡に指定された陣跡は23もあり、堀秀治陣跡の復元CGを博物館で見ましたが茶室も能舞台もある、すごい陣。この陣跡をぐるっとまわるとなると、かなりの時間がかかりそうです。
日本人のネット常識レベルに衝撃の事実が!?
ジョーシスに3回シリーズで連載していますが、第二弾「日本人のネット常識レベルに衝撃の事実が!?」です。
セキュリティテストで日本人が16カ国中最下位になりましたが、テストの一つがドメイン名の問題。危ないサイトかどうか見極めるための必須知識です。しっかり従業員教育をしておかないと、会社に届いたメールの本文に書かれたURLを安易にクリックしてしまい、ヘタをするとウイルス感染してしまいます。
大河ドラマ「真田丸」がスタートしましたが、真田氏発祥の地は小県郡真田郷。現在の長野県上田市です。この上田市も昨年6月にサイバー攻撃で知らない間にやられてしまい、外部からの連絡で結局9台のパソコンが感染したことが判明しました。まだまだ対応中ですが、初期対応だけで3千万円かかっています。セキュリティだけは目先の費用ではなく長期的にみた方がよいでしょう。