津城 内堀の石垣

津城
津市の中心市街地に百五銀行・本部棟を建設中。工事はほとんど完成し外観工事は終わっています。
工事中に見つかったのが津城・内堀の石垣。昔、ジャスコが建っていたのですが、石垣は破壊されず地下に残っていました。5メートルだけですが野面積の石垣が地上に復元されています。ちょうど内堀の石垣があったところの地上です。ほかの石垣があった位置は鉄鋲で印されています。
石垣から本丸までは60メートルほど離れており、水堀になっていました。津城を造ったのは織田信長の兄弟である織田信包。関ヶ原の戦いが終わった後、藤堂高虎が現在の縄張りに変更します。
藤堂高虎の縄張の特徴はまず広大な水堀。これは鉄砲の射程距離に対応するためです。あと城の曲輪は複雑な形にして横矢がかかるようにし防衛力を高めますが、藤堂高虎は四角にし、中に建物を建てやすく利用しやすくしました。その代わり枡形虎口を作って防衛力を補います。
これが家康の採用され、戦国末期から江戸時代に造られる城は四角形の曲輪と広大な水堀が標準形となります。

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