朝鮮出兵には全国各地の大名が動員され、名護屋城の周りにはたくさんの陣が造られました。現在、118ヵ所の陣跡が確認されていて、うち65ヵ所に遺構が残っているそうです。
昭和バスに乗っていると伊達正宗陣跡というバス亭もありましたし、そこかしこに前田利家陣跡などの小さな看板が建っていました。そんななか、一番近くにあるのが木下延俊陣跡。名護屋城博物館の裏手の山の上にあります。博物館近くを太閤道(唐津街道)が走っていて、これを監視する場所にあります。
■木下延俊は「おね」の甥
木下延俊ですが木下という名前がついている通り、秀吉の奥さんである「おね」の親戚で、甥にあたります。木下延俊の兄弟が小早川家に養子で入り、これが小早川秀秋。
朝鮮出兵時、木下延俊は三木城攻めで有名な播磨三木郡2万石の大名でした。関ヶ原の戦いでは家康側につき豊後の日出藩として幕末まで続きます。
陣跡を取り囲んだ石塁の跡などが残っていますが、枡型虎口もあり小さな山城という風情。どうも茶室もあったようで、なかなか優雅です。変わったところではトイレと思われる遺構もありました。
特別史跡に指定された陣跡は23もあり、堀秀治陣跡の復元CGを博物館で見ましたが茶室も能舞台もある、すごい陣。この陣跡をぐるっとまわるとなると、かなりの時間がかかりそうです。