日曜日、ACT2020(パソコン通信時代からの中小企業診断士の集まり)は10時スタートでしたので、朝から太田城へ出かけてきました。
和歌山と言えば紀州藩の和歌山城が有名ですが、もともとは紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。平定する前にあったのが太田城でJR和歌山駅のすぐ東側にあり、来迎寺や玄通寺あたりが本郭でした。残念ながら城跡は残っていません。
小牧・長久手の合戦では大阪や和歌山も戦場となり、秀吉は太田衆、雑賀衆、根来衆の連合軍と戦っていました。太田城でも合戦が行われましたが、城はなかなか落ちません。そこで秀吉が行ったのが水攻め。備中高松城、忍城(「のぼうの城」で有名に)に並び三大水攻めの一つと言われています。
この時、秀吉が造った堤の一部が奇跡的に残っています。場所は”きのくに信用金庫 出水支店”近くで6メートルほどの高さの土塁が残っていました。昭和のはじめの頃には20ケ所ほど残っていましたが、今はここだけになってしまいました。
残っていてもタマ電車には勝てないので観光資源にはならないでしょうね。