我家の隣が額田(ぬかた)という土地。
とっても古い土地で地名の由来は古代氏族である額田氏に由来します。ここに額田寺(がくでんじ)という寺があり、弘法太子に由来すると書かれています。昭和になって焼けた本堂は天正年間にできたそうで、ちょうど織田信長が足利義昭を追放して、実質的に室町幕府が滅亡した頃です。そのまま残っていたらすごかったでしょうね。
近くには額田墓地がありますが、ここもめちゃくちゃ古く、行基によりに河内国に作られたとされる7箇所の墓地の1つ。河内七墓(かわちななはか)の1つですがつくられたのが奈良時代ですので、ざっと1300年ほど前の話です。河内七墓というのは盆の14日に七墓参りをすると極楽往生できるとの謂れがあります。
額田氏が住んだ地域には額田や豊浦の地名が多いようで、近くには豊浦という地名も残っています。豊浦という地名は由緒正しく、初めて飛鳥に宮ができたのが豊浦宮、そして仲哀天皇と神功皇后が山口県下関に造ったのも豊浦宮です。なにか関係あるんですかねえ。すっかり中小企業の街となった東大阪ですが地名などに古い記憶が残っています。