gacco「アンコールワット研究」第2週目。
ヒンズー教の寺院として造られたアンコールワットですが仏教寺院に変容してきます。戦国時代には日本人が仏像を寄進していて、その落書きが残っています。寄進した人の名前が森本右近太夫一房。
加藤清正の重臣だった森本儀太夫の次男で父の菩提を弔うために仏像を寄進しましたが、落書きには寛永九年と書かれています。西暦でいうと1632年。1615年に大坂の陣が終り、徳川秀忠による大坂城再建がようやく終わった頃になります。
森本右近太夫一房は加藤家ではなく肥前の松浦氏に仕えていたようで平戸が国際貿易国だったので、ここからカンボジアに向かってようです。当時、アンコールワットはインドの祇園精舎と思われていたようです。
落書きには「摂州津池田之住人森本儀太夫」と父親の名前がありますので、池田の出身だったんですねえ。となると織田信長と謀反を起こした荒木村重との有岡城の戦いにも巻き込まれていたんでしょうね。