大河ドラマ「真田丸」 鉄壁の防衛ライン(岡山)

御勝山
大河ドラマ「真田丸」を見ていたら最新の城郭研究の結果が反映されていました。それが真田の新しい防衛ライン。堺雅人が図を示していました。
大坂冬の陣で活躍した真田丸を破却された真田信繁はさらに南側に新たな防衛陣地を築きます。西側は大坂冬の陣で家康が陣を置いた茶臼山。東側は同じく秀忠が陣を置いた岡山です。大坂の陣で徳川側が勝ったので御勝山と呼ばれるようになりました。写真は現在の御勝山で後円部の一部しか残っていません。
茶臼山と岡山を陣城に改修し、2キロほどの間に堀を造ります。堀跡が見つかっていましたが和気清麻呂が古代に大和川の付替えをした時のものと考えられていましたが、どうも大坂の夏の陣で真田信繁が造ったようです。
新しい真田丸の古図が見つかったと話題になった「浅野文庫所蔵 諸国古城之図」ですが、茶臼山の陣城についても書かれており、そこにあったのが武田流の丸馬出しで、同じ丸馬出しが岡山にもありました。岡山を守っていたのが大野治長です。
防衛ラインで家康軍を止めて戦闘部隊と本陣との間に間隙ができたところで両側の丸馬出しから出撃して本陣を狙うという作戦でしたが、味方が敵につられ防衛ラインを超えて攻めてしまったため、策は瓦解してしまいました。

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