鎌倉幕府打倒計画が漏れ、危なくなった後醍醐天皇は京都を脱出。三種の神器を持って挙兵したのが笠置山です。
ところが圧倒的な鎌倉幕府軍に囲まれ、笠置山は落城。後醍醐天皇は捕らえら隠岐に流されます。その間に楠木正成や赤松円心などの反幕勢力が勃興し、隠岐を脱出した後醍醐天皇と合流。足利尊氏、新田義貞を巻き込んで南北朝時代へ突入していきます。
全ての発端となったのが笠置山。ICカードが使えないJR笠置駅からすぐ見える山で、頂上に寺があり、ここが山城になっていました。あまり山城の遺構は残っていませんが稲荷神社や六角堂跡付近は高台で郭になっていました。ところどころに竪堀もあります。それはよいのですが笠置寺の住職が”猿が4匹、山の中を走りまわっているので気をつけて”と言っておりました。どう気をつけたらいいんだか。(笑)
笠置山の北、東、西は急峻な崖になっており、南側(柳生方面)は少しなだらかになっています。東海自然歩道から一歩入ると郭が5つほど並んでいました。こちらは戦国時代に造られたもののようです。