三重県よろず支援拠点の仕事で伊勢へ
伊勢トピアという生涯学習センターでIT導入補助金のセミナーです。お昼前に着き、昼食に出ると、すぐ隣にあるのが、いかにも山城のありそうな小山!
黒瀬八幡宮という社が小山の一角にありますが、頂上への道があって登ると小さな公園があり、いかにも主郭という雰囲気。向こう側は崖になっていました。土塁などはありませんでしたが、郭のような削平地もありました。ネットで城郭情報を調べても出てこないので、こら日本城郭大系あたりで調べないと分かりませんね。
というわけで無事にセミナーを行って大阪へ戻ってきました。大阪へ着いたらどしゃぶりの雨でビシャビシャになってしまいました。
月: 2017年5月
G Curry ジーカリー
給与振込を忘れていた
合同会社エムアイティエスを3月に設立したので、4月から自分で自分に給与を払っています。
毎月25日を振込日にしているんですをバタバタしていて忘れておりました。さっき振込予約をしましたので週明けの月曜振込になります。ふつうの従業員だったら怒るだろうなあ。今月からは市民税(事業主負担なし)の引き落としが始まります。
日本年金機構から”7月は算定基礎届の提出月”ですという案内が届きました。算定基礎届に関する案内や届出用紙は後日、届くそうですが、いろいろややこしいですね。事務説明会が大阪府下で行われるそうなので参加してこようかなあ。
御着城
大河ドラマ「軍師官兵衛」の前半でよく出てきた御着城です。
大河ドラマでは片岡鶴太郎が播磨御着城主である小寺政職を演じていました。小寺政職は家老・官兵衛の進言に従って織田方についたのですが、別所一族や荒木村重の裏切りをみて毛利方につきます。織田は石山本願寺とも戦っており、けっこう危ない時期だったので判断としては妥当でしょう。
ところが織田はしぶとく生き残り、御着城は結局は織田に攻められて落城し、落ちのびます。小寺氏は播磨守護であった赤松氏の一族でした。
御着城は平城で川の水をひき堀にしていました。広大な敷地の城だったようですが、城跡は何も残っておらず、本丸跡は公園になっているだけです。JR御着駅から歩いて10分ぐらいのところにあります。
英賀城
山陽姫路駅から3駅目が飾磨駅(しかまえき)。ここから山陽電鉄網干線という支線が出ていて一駅目が西飾磨駅です。
駅から歩いてすぐの所にあるのが英賀(あが)城で、ほとんど住宅地に埋没してしまったのですが墓地や神社などに土塁が少し残っているのと堀跡が水路として残っています。この水路がけっこう湾曲していて昔は横矢はかかるように考えられていたんですね。
瀬戸内海が近く、英賀は古代より水の要所と栄えていました。夢前川の河口にあり、南が瀬戸内海、西に夢前川、東に水尾川が流れ、川を堀替わりにした平城で、別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城の一つです。大河ドラマ「軍師官兵衛」では播磨進出を狙う毛利と小寺氏の部下だった黒田官兵衛が英賀で戦い、毛利軍を撃退する英賀合戦が描かれていました。英賀城は秀吉の播磨進出で敵対したため攻められ落城しました。
向島城
IT導入補助金セミナー(AMIC)
伏見指月城 舟入
京都橘大学へ。それにしても今日の京都は暑かったですなあ。
大学へ1年ぶりに行くと、けっこう色々と変っていて学食に行ったらカフェに変っていました。他の学食を探して、ようやく昼飯をゲット。帰りには伏見に行くスクールバスがあったので乗車。伏見指月城の舟入を見てきました。
秀吉が最初に造った伏見城で、観月橋近くの丘に造られましたが、慶長大地震で倒壊してしまいます。新たにの木幡山に造りなおすことになりますが、大河ドラマ真田丸では、新しい城の縄張図を真田昌幸に命ずるシーンが登場していました。伏見指月城跡は団地になってしまいましたが東側に大きな舟入があり、川から城に入れるようになっていました。
写真の先が深い谷になっていて、ここが舟入跡です。今は住宅地になっていますが高低差が見事です。